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 松田治。彼が犯人ではない根拠はわからなかった。が、松田治のことを調べる中で、とある奇妙なことがわかった。それは、『上田優たちは春野和樹に着けられていた』ということだ。彼は、イジメをしていたグループの人間全員のことを調べ上げようとしていた。それは、執念深く、着実に、間違いなく行われていたようだ。

仕事終わりの夜。食事も、お風呂も済ませて、後はもう寝るだけという状態になってから、勉強机の椅子で、最後の容疑者、だったはずの人物について考えていた。

部屋に引きこもっている松田治に直接、話を聞くことは難しかったが、彼について、学校帰りの生徒たちや、近隣の住民から話を聞いていく中で、彼が誰かに、もっと言えば、彼らが誰かにストーキングされているということが、わかった。

彼の友人曰く、その犯人は春野和樹であるそうだ。イジメを受けていたはずの春野和樹は、松田治のことを追いかけまわし、何かを探ろうとストーキングしていた。

横井音から話を聞いた時にも話題に上がっていたように、上田優にやっていたように、然るべきタイミングで、松田治が最も困るような瞬間に、イジメを公にするために、彼なりにそれの証拠を、誰にでもわかるような形で集めていたのだろう。

それでも、それがストーキングにまで発展していたとなれば、話が少し変わってくる。そしてそれを松田治が把握していたとなると、尚更話が変わってきてしまう。

もしかすると松田治が引きこもっている理由とは、犯人として疑われていることからくる周囲の目から逃げるためではなく、純粋に、上田優を殺したかもしれない春野和樹から逃げるためなのかもしれない。彼は、犯人が春野和樹だと疑っている。

疑っているからこそ、逃げている。どうして松田治だけが隠れているのかはわからないが、彼は他の二、三人と比べて、恐怖を感じやすい体質なのかもしれない。 

他の、イジメをしていた人間は、何食わぬ顔で、学校に通っている。俺は彼らからも話を聞きたかったが、彼らは俺を見ると逃げ出すので、それはできていない。

彼らもまた、春野和樹という人間を恐れているのだろうか。本当は、部屋に引きこもってしまいたい気持ちを抑えて、必死になって学校へ通っているのだろうか。

当然のように、それだけでは何も贖罪にはならない。彼らもまた、何か別の形で罪を償わなければならないのだろう。現実がそんなに綺麗なものかは定かではない。

部屋の中で、隅の方を眺める。天井と、二つの壁があるそこには、何もない。だからこそ、考え事をするにはちょうどよかった。春野和樹のことを考えていた。

ここにおいて何よりも大事なのは、春野和樹がそれをしていたという決定的な証拠だ。彼が彼らにストーキングをしていたという決定的な証拠が必要なわけだが、その証拠は防犯カメラに写っていた。確かにそこに、春野和樹が写っていたそうだ。

こんな場所に、信頼関係が大事な田舎に防犯カメラなど設置されている訳もないので、彼も油断をしたみたいだが、上田優の家には防犯カメラがあり、家の前で何時間も突っ立っていたり、何かをポストに投函する彼の様子がそこに写されていた。 

虐待をするような人間が他人を信用できるわけがない。きっと、それが設置されていた理由は、上田家だけが感じていた、単なる疑心暗鬼でしかない。それだけだ。

その映像は、当然ではあるが、上田優らのグループに共有されることになり、結果的に、それは前よりも激しく、イジメは前よりも激しく痛々しいものへ変わっていったそうだ。それでも、確実に、そして絶対に反撃の時を狙っていた春野和樹。

当然のように、俺は、犯人が春野和樹である可能性を再考した。イジメの記録を残していた、というだけであれば、納得をすることができる。しかし、それがストーカーにまで発展したとなると、やはり話は変わってきてしまう。異常性を感じた。

とはいえ、これは、大前提のはずだ。が、どうしても、再度確認しなければならないことがあるらしい。『春野和樹は人を殺していない』と思い直す必要が生まれた。

奥平米は、事件が起こってから居る時間が減った、自分の部屋にいた。そこには自らの趣味を語るようなものなど何もなく、親が彼に買い与えたものだけがある。

子供の頃から何も変わっていないようなその部屋は、無機質な部屋よりも不気味だった。まるで、他人のものによって装飾された彼の内心を表しているかのようだった。どこにも中心となるようなものがない、よる辺のない湖のような空間だった。

奥平には、何もなかった。環境との相対的な関係性により、全てが決まるような性格をしていて、自分という芯がないようだった。実際、ないようなものだった。

しかし、それでも、人よりは少しだけ賢かった。本人にその自覚はなかったが、それでも、普通の人間に比べると、賢かった。少なくとも普通の人間ではなかった。

いつもの灰色のダウンを身に付けていない彼は、部屋の中で、無機質な黒のパーカーを着て、着古した、着心地が良い、黒のズボンを履いて、考え事をしていた。

考え直す必要が出てきた。それは、春野和樹のことだ。彼はまた、最初に事件のことを調べようとした時と、高井浜高校でイジメがあったと知った時と同じように、春野和樹が犯人であると疑っていた。そうであると考えるのが、自然だった。

大前提として受け入れる、と、彼は決めたはずなのに、そうなってしまっている。それでも、やはりそのことは大前提として受け入れるべきものなのだった。

彼はまたそれを受け入れるために、話さなければならない相手が生まれた。そうしなければ、前に進むことができないような気がしたので、そうすることにした。

秋葉光と、久保春。別にどちらでもいいし、どちらともでもいいが、俺は、彼らとまた話さなければならなくなった。そうしないと、前へ進むことができない。

二人は春野和樹がストーカーをしていたことを知っているのだろうか。そして、それを知った上でも、前と同じように、陽が沈む公園で話した時と同じように、『春野和樹は人殺しをするような人間ではない』、と、断言することができるのだろうか。躊躇いなどない、透明な断言でなければダメであり、それ以外は認められない。

俺はそれを確かめる必要がある。俺が、『春野和樹は人殺しではない』としている根拠は、彼ら二人の瞳だったわけだ。逆に言うと、それ以外には何も、本当に何も根拠らしきものはない。それを信じた上で、春野和樹以外の犯人を捜している。

わざわざ、上田優の両親を犯人だと疑っているのだ。今となっては、彼らが上田優に虐待をしていたというのは疑うべきことでもないが、それでも、そこから殺人にまで発展させるのは行き過ぎた考えにも思える。子供を殺す理由には不十分だ。

もちろん虐待の末に殺してしまったという可能性はあるが、それでも、やはりどこか違和感を覚えてしまうのは間違いない。本当にそれだけが事実なのだろうか。

あの二人の想い、そして、それを象徴するかのような、迷いのない真っ直ぐな瞳。それだけが頼りなのだから、もう一度それを確かめる必要がある。もう一度、二人に会って、間違いなく春野和樹は人殺しではないと確信しなければならない。

そうしないと、これからノイズが走り続けることになる。本当は春野和樹が犯人なのではないか? そんなノイズが走り続けたら、普通のことを考えていても考えが鈍ってしまうはずだ。それだと、辿り着けるはずの犯人にも辿り着けなくなる。

もう、俺は、犯人を捜し出さなければならない。どうにかして犯人を見つけ出し、この日々に終わりを告げる。それがやるべきことであり、目指すべきゴールだ。

夜の田舎は、外が真っ暗だ。散歩でもしたい気持ちはあったが、そんなことができるほどの街灯もない。等間隔に並んでいるそれは、あくまでも車のためのライトでしかなく、夜道を歩く人のことなど考えてもいない。歩行者のためではない。

歩くにはあまりにも暗すぎる夜だった。が、眠るにはあまりにも頭が思考で詰まり過ぎていた。発散したいという気持ちもあった。どうやって発散すればいいのか。

最近は、人の話を、事件の情報をインプットしてばかりで、どこにもアウトプットする先がなかった。それの影響で、俺の頭の中はパンクしそうにもなっていた。

それらを一度、脳内で整理してみると、自分という人間は、犯人捜しをする上で必要なことが何もわかっていないということに、無知であることに気付かされる。

結局は、横井音も、堀野琴音も犯人ではないという明確な根拠などない。俺がそう思っているだけで、本当は、犯人なのかもしれない。そうだと思いたくないのだ。

俺は真実に近付いている、と勘違いをしているだけで、本当は、この場所でただ足踏みをし、なんの意味もない足取りを積み重ねているだけなのかもしれない。

それでも、俺のような素人が犯人を見つけ出すためには、全部を疑っていては仕方がない。俺は『春野和樹は人殺しではない』という前提を立てるように、『横井音、松田治、堀野琴音の三人は犯人ではない』というような前提を立てたいと思っていた。そしてそれは、そこまで不可能なことではないのだ。そう俺は思っている。

もちろん、松田治には、犯人ではないという根拠はない。が、とにかく、犯人はこの中には、三人の中にはいないような気がするのだ。それを自分のものにするためには、それを確かなものにするためには、もう一度、春野和樹に向き合う必要がある。春野和樹という人間と話ができればそれが一番良いはずだが、それは難しい。

その前提の先には『上田優の両親のどちらか、もしくはどちらともが犯人である』という仮定の前提を、そうだと決めつけた情報を元に行動する俺がいるのだ。

俺が思っていることをハッキリと言えば、犯人は春野和樹か、上田令か、上田日和の三人だとしか思えない。その中で、春野和樹は本来は疑ってはいけない人物だ。

やるべきことはあるのに、それをすることができないもどかしさが俺には苦しかった。とにかく、早く眠ってしまいたかったが、この様子だと眠れる訳もなかった。

奥平米は、部屋の電気を消し、ベッドに入った。が、それでも、当然のように、そこでも考え事を止まらない。最近はずっとこうだった。眠るということが難しい。

彼しかいない部屋の中。それでも、彼の頭の中には様々な人物が入れ替わり立ち替わり現れてくる。名前しか知らない、春野和樹、上田令、上田日和もそうだった。

人よりも少しだけ賢い彼にはこういう眠れない夜が良くあった。自分の思考に追い詰められて、夜を越えることができない夜が良くあった。そして、そういう夜を何度も越えてきているのだ。結局は、朝になれば夜は終わる。朝を待つだけだった。

どうすればいいのか。やはり、俺は、犯人を見つけ出し、その本人の前で、つまりは殺人犯の前で真実を突き付け、それを認めさせなければいけないのだろうか。

そもそもそんなことをする必要があるのかもわからない。結局は、全て、警察に任せてしまえばいいことだ。が、ここまで首を突っ込んでしまった以上は、何もしないというわけにもいかない。どこかで、終わりを迎えさせなければいけない。

今日が、本当に長い夜になり、俺は、寝不足のまま工場へ行き、いつもよりもより濃い目の下のクマのことを心配されるようないつもの明日が待っている気がした。

簡単に予測することができる日常に、仕事に飽々していた。それなのに、どこかへ動き出すつもりが俺にはなかった。その結果、退屈しのぎから犯人捜しを始めた。

もちろん俺が奥平良の弟でなければ、こんなことはしていなかったはずだ。それでも、俺は自らの意志で上田優を殺した犯人をくだらない理由から捜してしまった。

真っ暗な中で、またもや天井と二つの壁が接している、無意識に見てしまう隅を見ていた。暗闇なのでそこには何も見えなかったが、それでもひたすらに見ている。

もはや俺の背中には色々な人の、話を聞いて回ったあらゆる人の期待さえも乗っかってしまっている。それを無下にできるほど、人の感情に鈍感なわけではない。

誰が犯人だとしても、その結末は悲惨だ。こんな、誰も来ないような、人が減っていっているだけの田舎で、人を殺した人間が生まれてしまったこと自体が悲惨だ。

その悲惨さからは、目を背けられない。どこまでいっても、きっと、俺のことを追いかけてくるのだろう。これに深くかかわってしまったことの代償として、俺は、ここでの生活にモヤがかかることになる。日々に、血の臭いが混ざることになる。

そんなくだらないことを考えていると、不意に眠気がやってきた。眠れないはずの夜は思ったよりも早く終わりそうだった。はっきりとした視界が、輪郭を失った。

眠れそうな気配があまりにも突然に俺の元へやってきたので、それに身を任せる。さっきまでの思考を止めて、このまま夢の世界へと、自由に落ちていくことにした。明日になったら、秋葉光と、久保春と春野和樹の話をしなければならない。

奥平米は無事に眠りに着いた。日々の疲れから来る眠気には、密度が高い思考であっても勝てない。彼は、犯人捜しを始めてから、蝕まれるように疲れていた。

その疲れから解放されるために、そして、この町にある、モヤモヤとした疲れを取り除くために彼は全てが終わるまでの間はそれに、上田優の殺人事件に向き合う。

少なくとも、警察よりも先に犯人を見つけ出さなければ、今までやってきたことは何も意味がないということになる。単に、答えを急いていただけの野次馬になる。

そうならないために、焦る必要があった。自分のやっていることを肯定するためにも、どうにかして、絶対に犯人を捜し出す必要があった。それは、彼にとってはくだらない理由ではなかった。元々はくだらない理由だったが、今となっては、十分に、人生にとっては大事な理由となっていた。やらなければならないのだった。

彼は夢の中でも事件のことを考えていた。まるで羊飼いが羊の夢を見るように、奥平米は、殺人事件のことを考えるのだった。警察でもないのに、それをしていた。

囃し立てられたことが理由で立った場所は、思ったよりも責任をともなう立ち位置であった。それを痛感することばかりが常になっていた彼は、目の前の出来事を必死に解明しようとする。少なくとも、彼だけは必死にならなければならなかった。

夢を見るより先に、現実を見たい。現実に居る、犯人の顔を見て、そして、彼なりのやり方でそれを納得させたいのだった。何があったのかを理解した上で、現状を変える必要がある。好奇心よりももっと崇高な思いでそれをする必要がある。

奥平米は、明日の朝を迎えるために眠った。明日の朝になれば、全てのことを確かめられるようになる。知りたいことを知るために、彼なりに動くことができる。

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