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 横井音。彼女から話を聞くため、この町にある、小さな定食屋にやってきた。外では、小雨が降っている。町全体が鉛のような灰色になって、全てが重たくなる。

込み入った話をするため、店主が目の前にいるカウンター席ではなく、奥の座敷席に座ることにしたが、どうせどこに座っても、俺たちの話はどこからか漏れ出して、町の噂の一つになる。秘密なんて、そもそも、持とうとしないことだ。

しかしながら俺は、この町の噂にも期待をしていた。それがあることで、俺が犯人を見つければ、すぐにその人物が、上田優を殺した人物であることがあらゆる人に広まる。春野和樹の問題も、俺の兄の問題も、案外、すぐに終わるはず(・・)だ。

それならば、犯人を捜し出すのが正しい行為だ。もっと言えば、それをすることによって、春野和樹の、その他の人々の無実を証明するのが、正しい行為となる。

しとしと、と小雨が降る中でここまでやってきた俺の足元は濡れていた。特に、紺色の靴下が濡れていて、座敷の座布団の上であぐらをかくことすら躊躇われた。

それでも、仕方がないのであぐらをかきながら、彼女と話をしていた。彼女はずっと、居心地が悪そうに正座をしていた。そうせざるを得なかったのだろう。

黄ばんだ紙に、達筆のような文字が書かれたメニューが、カウンター席の上の壁に張られている。それをぼんやりと、虚ろに眺めている彼女がいた。そんな彼女の目の前には、魚の骨と、刻んだキャベツだけが残された、空っぽの皿が並んである。

休日なので、横井音は制服ではなくて私服を着ていた。ここにはお洒落な服などないので、どこにでもあるような、分厚い黒のパーカーと、なんでもないジーンズを履いている。そのパーカーは大きく、サイズが合っていないようにも思える。

その見た目は男性的なところがあった。全体的に、男勝りな雰囲気があり、俺には分からないが、彼女は、可愛くなることにはそこまでの興味がないように見えた。

平均的な女子高生よりも少しだけ高めの身長、イジメの件を教師に報告したことも頷けるような、しっかりとした印象の顔立ち、短めな、真っ黒な髪の毛の人物。

すでに横井音からはあらかた話を聞き終わっていた。その上で、俺は、彼女が犯人ではないと断言できる。なぜならば、上田優が死んでも、彼女の目的は達成されていないのにも関わらず、彼女自身はとても賢いからだ。賢い人なのは間違いない。

つまりは、『もしも、賢い彼女が上田優を殺していたのならば、彼女が達成したいと思っていた目的は達成されているはずだからだ。』そして、上田優を殺してもそれが達成されないことを理解することは、難しいことではない。賢い人ならば分かる。

彼女の目的とは、春野和樹を自由にすることだった。そのために、教師にイジメを報告し、上田優のグループと対峙する道を、何度も選んだ。それなのに、春野和樹が、不自由に、自らの部屋に引きこもることになっている現状を善しとするわけがない。彼は、周囲からの視線により、前と同じように、一人で苦しんでいる。

そして、やはりそれは予見するのが難しいことではない。賢い彼女であれば、上田優が殺害されることによって、春野和樹に疑いの目が行き、結果として、誰でもなく、彼自身の人生が不自由になることは簡単に予測することができるからだ。

田舎の執着心というのも、知っている。例え、警察によって、誰か犯人が捕まえられたとしても、春野和樹に、人を殺したかもしれない人間という印象がこれからの人生付きまとうことになることも、彼女は知っている。そういう印象は離れない。

彼女は色んなことを知っている、分かっている人間ではある。が、だからといって、上田優に対して、何も思っていないわけではなかった。むしろ、その知性がゆえに、彼について様々なことを調べ上げていた。そのことを、俺に話してくれた。

いつか、正攻法で復讐することを望んでいたのだろう。彼女も俺と同じように、色んな人に、上田優についてのことを聞いていた。みんなに不審がられたとしても、それをしていた。その結果、彼のことで、一つ、不思議なことが分かったらしい。

上田優は、プールに入らない。なぜならば、人前で裸になることを極端に嫌がっていたから。それは、当然ではあるが、上半身だけの露出であったとしても、そうだったようだ。この年齢の、田舎の、陽キャの男子としてはそれは珍しいだろう。

どうしてそんなくだらないことを彼女は俺に報告してきたのか。彼女は、上田優が教師、または、親から体罰、もしくは虐待を受けていたと考えているからだ。

簡単に言えば、体に痣があるから、人前で裸になることができないのではないか? と、彼女は考えているわけだ。それが本当なのかは知らないが、情報としては持っておいてもいいだろう。賢い彼女の推理が間違っているとも思えない。

もしも教師から体罰を受けていた場合、もっと言えば、上田優が教師から体罰を受けるような立場であった場合、イジメの問題など容易に解決していたであろうことから、それが事実であったら、体罰をしていたのは親ということになるだろう。

もちろん、教師すらも春野和樹のイジメを楽しんでいたという可能性もある。が、可能性としてはそこまで高くはない。頭の片隅に可能性として持っておけばいい。

上田優の両親は、上田令と、上田日和。どちらか片方だけがそれをしていたとしても、もう片方が何も知らないということはないはずだ。知らないでは通らない。

どこかのタイミングで、二人からも話を聞きたいとは思っているが、息子を亡くした親に、不躾な質問ができるほど、俺は世間知らずではない。彼ら二人以外から話を聞かなければならない。この町ならば、いくらでも話を聞くことはできる。

上田優の遺体は河川敷で見つかっていた。虐待が過ぎた結果、殺してしまったのだと仮定したら、車でそこまで、川まで運んだということになるのだろうか。

なんにしても、二人が犯人である可能性もあるのかもしれない。ただ、それはあくまでも虐待が事実だとしたら、の話だ。それは確定した事実でもなんでもない。

俺はその話を聞いて、上田優の変化のことを思い出した。高校に入った辺りから、彼が変化したというのであれば、その辺りから虐待は始まったのだろうか。

突発的にそれが始まる理由など分からない。が、あるとしたら、高校の問題。あの、高井浜高校へ、上田優が入学したことが、何かの問題となったのだろうか。

両親は、彼に別の高校へ通ってほしいと思っていた。が、何かしらの理由で、それができなくなったので、その鬱憤を晴らすように、自らの子供に対して虐待をしていた。彼女の推理した虐待を前提として置き、物事を考えると、こんな感じか。

少し飛躍しすぎている気もするが、高校入学から上田優が変化し、その変化のきっかけが虐待であるとしたら、虐待されている理由にも、高校が関係している可能性は高い。単純に、人間とは気まぐれでも、鬼畜に成れるという話かもしれないが。

どのような理由が考えられるのか。それはもう少し調べてみなければ分からない。そもそも本当に高校が虐待に関係しているのかも、本当に虐待があったのかも分からないわけだ。分からないことがあるならば、この町の住人に話を聞けばいい。

意見をまとめている奥平米。それを直視することはせず、ひたすらに定食屋の内観を眺めているだけの横井音。彼女は何にもならない、虚ろなことを考えていた。

上田優が地獄へ行ったのかどうかを考えていた。地獄の存在を信じているわけでもないのに、そのようなことを、奥平米の目の前で、ぼんやりと考えていた。

今日も前と同じファッションに身を包んでいた彼は、やはり今日も前と同じように寝癖がついたままだった。それでも、何も気にせずに事件について考え事をする。

犯人捜しは順調であった。思ったよりも、遺体の第一発見者の、奥平良の弟であることは使えた。それを利用しているから、横井音と話をすることができている。

それを使うことで、しっかりと事件の輪郭を掴もうとしていた。この町の、なんでもないような一日を、一日でも早く取り戻すために。というような使命感よりも、もっと単純に、くだらない自分の好奇心を満たすために、それをしていた。

俺は、春野和樹の話も聞いていた。彼女の話からしても、他の住人の話からしても、春野和樹も横井音と同様に賢かったらしい。物事を考えられる人間だ。

彼は、イジメの内容をノートに残して、然るべきタイミングで、上田優の人生にとって問題となるような瞬間に、公にしようと考えていた。これは、彼女しか知らなかった、春野和樹が彼女にだけ伝えていた情報。彼は彼女を信頼している。

やはり、人を殺すというような、短絡的かつ愚かな解決手段を選ぶような人間ではないらしい。そもそも、人殺しなんて、考えが足りない人しかしない行為だ。

春野和樹は、イジメをされる前は秀才として有名で、高校も、高井浜高校ではなくて、別の、もっと賢い高校へ行くのではないかと噂されていたほどらしい。

ここでは、別の高校へ行く人間などほとんどいない。みんな、エスカレーターのように同じ学校へと通う。教育に興味がある親も少ないので、必然的にそうなる。

「今日はありがとう。他にも何か話したいことは?」

「特にはないです。犯人を見つけ出してくれるんですよね?」

「それは分からない。俺は素人だからね」

「じゃあ、どうしてこんなことを」

「君も、俺の兄が遺体の第一発見者ということは知ってるよね。それがあって、俺も犯人を捜すことになった」

「そうなんですね」

「本当は警察を待てばいいんだけど。そんなことも言ってられない」

「そうですね。私は、奥平さんなら犯人を見つけられると思ってます」

「それはどうして?」

「なんとなくです」

「『なんとなく』では理由になってないよ。なんでもいいから理由を聞かせてくれないか?」

「それは、奥平さんが、普通の人とは違うからです。普通の人とは違うから、きっと、普通の人では辿り着けない、この事件の真相に辿り着くことができると思うのです」

「そう。普通の人間だけどね、俺は」

「それは絶対にないと思います」

俺は、俺が普通ではないと断言され、どこか微妙な気持ちになっていた。それは不快というわけではないが、愉快であるというわけでもない、奇妙な感情だった。

なんの感情かと言われたら、慣れた感情と答える。俺にとっては、変だと認識されることは当たり前にもなっていたので、もはや、慣れていた、はずではあるが奇妙だとは感じる。どこから沸いてきているのか不思議な、この、混ざった感情。

きっと、普通に生きているつもりなのに、周囲から奇妙だと思われることが、俺にとっては奇妙なのだろう。どこか他人事のように、そんなことを、考えていた。

横井音には何も悪意のようなものはなかった。であるならば、その断言すらも受け入れることにしよう。どうせ、俺という存在は常にどこかおかしいのだから、今さらこんなことを気にしている余裕なんてどこにもない。慣れているはずなのだ。

食事を終えた俺たちは店を出ることにした。当然、会計は俺が払うことになった。が、横井音はどこか申し訳そうにしながら、自分でお金を払おうとしていた。

どこで教わった作法なのかは知らないが、俺の中に、女子高生と割り勘をするという価値観はなかったので、結局は俺だけで会計を済ませた。払わせるわけがない。

外ではまだ雨が降っている。それはさっきよりも強くなっていて、濡れている、これからもっと濡れる靴下のことを考えると、とにかく億劫だった。本当は、外出などしたくない。俺だって、できることならばずっと家に引きこもっていたいのだ。

店先の傘置きに置かれた傘を手に取る二人。さっきまでの会話を反芻していた奥平米は、軽く挨拶をして別の道を歩く。横井音とは違う道を歩いて、家へと向かう。

本当に虐待を受けていたとしたら、イジメをしていたことを許容することができるのだろうか。今は、犯人像よりも、そのことに関心を持つようになっていた奥平。

それを考えた結果、もうすでにイジメの主犯格だった、上田優は亡くなっているということを想い、そんなことを考えることすら無駄に思えたので、考えないようにした。考えても意味のないことは、考えたくなかったので、そうすることにした。

本当は、許す許さないなどないのだと思えた。例え、彼が生きていたとしても、死んでいたとしても、俺の中にいる上田優は、春野和樹をイジメた人間である。

その事実と、俺が持っている印象は、変わらないのだ。そこには許すも許さないもなく、ひたすらに変えることができない人物像が存在しているだけでしかない。

雨の中で、帰宅するために歩いている。事件を調べると決めてからずっと犯人捜しをしていた。休日になるとそればかりで、それ以外のことは何もしていなかった。

自分でも何をしているのか分からなかった。が、それでも、それを続けるのだ。単なる好奇心とも言えないような気持ちに変化した内心を抱えて、これがどうなるのかを見守ることにした。自分の感情を観察しているだけで、実になることはない。

肌寒い気温が俺のことを多少、苦しめる。多少苦しめられた俺は、この空の下であるにも関わらず、自販機で缶コーヒーを買った。そして、それを、飲まずにずっと、持っておいた。どうしても傘が邪魔だった。雨が降っているので仕方がない。

どこかベンチに座ってそれを飲みたい気持ちもあったが、雨の中で、濡れずに過ごせるベンチなどこの町のどこにもない。もう帰ってしまう以外に選択肢はない。

犯人が見つかったとしても、こういう、日常の煩雑とした面倒事はなくならない。そう考えると、俺は、虚無的になった。どうしても解決しない問題も世界には存在しており、それに対しては、抵抗しても無駄であり、ひれ伏すことしかできない。

兄の問題は、本当に、解決する問題なのだろうか。ずっと自分の部屋に引きこもるという、ある種の異常行動は、何かしらの精神的な病ではないかとも思える。

もっと気楽に、自らの境遇を利用するように、それをしている兄がいたら、俺としては、騙されたと思うよりも先に、嬉しいと思う。その方がいいように思う。

それは、兄だけの話ではなくて、春野和樹の話でもある。顔も知らない、話したこともないような相手ではあるが、もはや他人のようには思えなくなっている。

そんな風に、色んな人のことを考えていると、最終的には、みんなが幸せになればいいのに、などと、どこか能天気な、お花畑なことを考えるようになった。

そこに、イジメをした、松田治は入っているべきなのだろうか。俺にはそれが分からなかったが、とにかく、幸せになるべき人が幸せになってほしいと思った。

そもそも、俺は、神様でも、聖人でもないのだ。であるならば、幸せになる人間を決めるのは俺ではない。そう想いながら、缶コーヒーを握りながら、歩いていた。

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