ヰ125 祭りのあと
まだうっすらと結界の効果が残っていた為、設楽居花織は首を傾げながら、仕方なく一階にあるものから娘のお着替えを探していた。
ついさっき目が覚め、まだ赤い顔をしながら毛布を被る睦実が、
長い黒髪に白いリボンをつけた、着物姿の三浦詩とボソボソ泥んこシール手帳を開いて、静かにピチョピチョと遊んでいる。
飛鳥めいずは、疲れたようにちゃぶ台に腕を乗せながら、全く喉を通らなかった夕食の代わりに、雛あられをつまんでいた。
「……ちらし寿司……とっても美味しかったよ…」と詩が夢見るような表情で言い、「…睦実……、来年も、再来年も、その先も……。ずぅ~っとお雛祭りしようね。」と囁いた。
「え?あ、うん?なんか言った?」と睦実が答え、「……ああダメね……そろそろ…禁断症状が出てきたわ……」と言う。
「禁断症状?」
「……ええ、そうよ。今朝から私、兄上に一度もお会いしていないの……。……び、美貌揺すりが止まらなくなっきちゃったわ……」と言って睦実はカタカタカタ……と畳の上で胡座をかいた膝を震わせ始めた。
「むーちゃん!お着替えがあったわよ~」と背中側から声がして、花織が手に白い色をしたものを持って入ってくる。
「これが下駄箱にあったこと、すっかり忘れてたわ~。」
「ん、ありがと。」と言って睦実が受け取る。
「………」
「………」
「……て、これ………、若干…半透明じゃない?」と言って睦実は、…自分の指が微かに透けて見える白いレインコートを顔の前に広げてみせた。
「ま、まあいいんじゃない……き、着てみせてよ」と詩が、前のめりに期待に満ちた目をして言ってくる。
「……ないよりマシか……」そう言いながら睦実は立ち上がると「ちょっと待ってて」と、台所の方へトテトテと歩いていった。
しばらくすると、レインコートのフードを被った睦実が和室に戻ってくる。
そして「……まあ、ぎりぎり透けてないかしらね……」と体を捻り、見返り美人のポーズを取った。
チラッとこっちを見ためいずが、……もう、恋態大国邪犯イヤ……と再び目を背けた。
その時、2階の階段付近の壁から、力を失った梅のかんざしがカラン!と床に落ち、
畳に座りかけていた睦実が、同時に立ち上がった。
「……私、やっぱり…、お兄ちゃんの顔見てくる。」
「はあ?!ちょ、ちょっとむーちゃん??お雛祭りをどーするのよ?今日は男子禁制、今宵は女の子の秘密の花園よ?しきたりを破ると蛇が出るわよ?!」
「あーもう、いいわ……私ね?自分の心に嘘はつけない……。お雛祭りはこれでもう終わり!!お兄ちゃんに会ってくる。」
「え、お泊まりは……」と詩が愕然とした顔で言う。
「……う~ん。お泊まりはしてもオーケーだけど、……もうお雛祭りはやめにしない?十分楽しんだでしょ?」と、白いレインコートから、所々桃色の皮膚を透けさせながら、睦実は興味なさそうに言った。
「さ、お雛様も、もう片付けちゃいましょ?さすれば、夜通し女子トークして、お寝坊してもだいじょーぶでしょ?」
「明日は学校よ??」と花織が叫ぶ。
「……まあ、明日はママちゃんもお仕事だから……」と、なんやかんやで、お雛様の片付けを開始した設楽居家の面々を見て、
飛鳥めいずは眩暈に似た感覚を味わっていた。
……ちょっと……これはどういうことですか……雛人形を片付けるの、早過ぎません?
葉南ちゃん?こ、こういう場合はどうなるんですか?設楽居さんはお嫁に行けるんですか?行けないんですか?
人形を桐箱にしまう作業を手伝いながら、めいずはチラチラと他の人達を伺っていた。
「めいずちゃん?」
「は、はい、なんでしょうか設楽居さん。」
「井伊直弼の件だけど……。」
「は、はい。いきなり来ましたね。」
「私、あんな男、眼中にないから。安心して。」
「………。」
「私にはね?心に決めたおさナナなじみがいるの……」「『な』が一つ多いのでは……」「禁断症状よ、気にしないで。」
「話は戻るけど、たとえ井伊直弼がどんなに言いよってきても、私が奴になびくことは一生ないわ。だから…、遠慮なくめいずちゃんは赤穂さんとバトルでもしてなさい。もしくは半分こにして仲良く分け合いなさい。ただ間違っても…私を巻き込まないで、ネ♡(キュピーン)
でも……そうね…分け合うといえば……。中国には一夫多妻制とかはないの?あの韓流崩れと、なんちゃって華僑のめいずちゃんでやったらよくない?中国って無法恥帯でしょ?」
「……1950年の中華人民共和国婚姻法以降、一夫多妻は正式に違法となりました。」「結構最近ね?!」
「聞いたでしょ、めいずちゃん?」と、後ろから三浦詩がポン、と振袖美女の肩を叩く。「睦実には心に決めた相手がいるのよ」と、自称幼馴染みの少女が満足げな表情をしながら言った。「……だから…今夜の睦実とのお風呂のペアは私に譲ってね……(コソ)」
めいずは遠い目をし、……同性婚、兄妹婚、ロリコン、シスコン、ブラコン、ダンコン祭り……日本人の習慣はまさに不条理なことばかりです……みんなまとめてカミュの違法人……。合法なのは、私だけなのでは……。なんだかズルいです……
と考えていた。
「さて。」と睦実がパチン☆と手を叩く。
「お雛様のお片付けも終わったし、ウタとめいずちゃんは2人してお風呂にでも入ってくれば?」「え?むつみ???私と一緒じゃ……」と詩が大きな声を出すと、
「え?なんでよ?」と睦実が答える。「私はね、お風呂に入れない可哀想なお兄ちゃんを慰めに行ってくるの!雛祭りが終わっても、1階はまだ女の園ですからね~。お父さんは外で泊まるって言ってたわよ。お母さん、大丈夫?外で浮気されたりとかしない?」
「……外って行っても、お庭のテントですけどね…」と花織は言って、カーテンを半分開き、外に立ったオレンジ色の小さなテントを確認した。「一応パパちゃんはまだ帰ってきてないみないね。」
「じゃ、お母さん、このうら若き汗かき乙女2人をお風呂場に案内してあげてね。私はお兄ちゃんの様子を見てくるから。」
「あ、ズル~い!順番こよ~」と花織が口を尖らせる。
「じゃ、お二人さん!パパ邪魔パーティー(吃り)まで解散!22時にまたこの場所に集まってください!」
ビシッ!と睦実は敬礼すると、白いフードを被ったまま、背中を向けて部屋を出ていってしまった。
「むーちゃん?あなた、背中が透けてるわよ~。」
2階へ上がる娘を見送った花織が「じゃあ、詩ちゃん、……お着物に文化系されちゃったみたいだし、さっそくお風呂に入ったらどう……?」と言うと、
めいずが「三浦さん…すみませんでした…」と頭を下げた。
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やはり別々にお風呂に入ることにした詩とめいずは、ジャンケンをして、結局、詩が先に入ることになった。
……これが日本古来の遊戯、野球拳というものですね。
全勝しためいずは、禅羅になった髪の長い少女のオシリスを送り出すと、愛・不穏を取り出し、少し迷ったあと、向井蓮に電話をかけてみた。
プルルルルルルルル…………
ガチャ。
「はい。」
「向井様。夜分遅くに申し訳ございません。」
「……なあに。」
と不機嫌そうな声が聞こえる。
「……あの、向井様?今、私、設楽居さんのおうちに来ているのですが。」
「………………。雛祭りじゃなかったの?男子と喋って大丈夫?」
「いえ、雛祭りなら先ほど終了いたしました。ここからは不倫タイムです。」「……そ、そうなの…?」
「時に向井様?イップタサイについて、どうお考えですか?」
「………は?」
「日本では、ハーレムが盛んだと聞いたことがあります。…もしや…、
……向井様はハーレムをお望みでいらっしゃいましたか?……まあ、よく考えましたら…、地味な私からしましたら『派手に遊ぶ夫』というものも悪くはありませんね。
私、色々と日本の奇習を見ているうちに……感覚が麻痺してきたのかもしれません……。
ニューヨークのハーレムでさえ、治安が劇的に改善したと言いますしね?しかし、ここ日本の安全神話は…レベルが違います。
日本では、女性が夜一人でも歩けますからね。」
「……何が言いたい?」と電話口で蓮がポツリと言った。
「向井様に安心安全なハーレムをお作りしましょうか?なんなら設楽居さんもお誘いいたしますが?」
「……え。そんなこと出来るの……」
蓮の声がわずかに上ずって震えている。
「今日見た感じ、設楽居さんは酔わせれば何でもしますよ、多分。」
「……飛鳥めいず……お前、……やはり邪悪な女だな…一瞬、心が動いた自分が情けないよ……」蓮はそう言うと、「お前、時雨ちゃんにも迷惑かけるなよ。」と付け加えた。
「……シグレチャン………?」とめいずは考え込むように聞き返し、「かしこまりました。もしそういった方と今後関わる機会がございましたら、ご迷惑はかけないようにいたします。」とだけ言った。
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トントン♡
「お兄様?」
睦実は、落ちたかんざしを跨ぎ、2階の廊下が所々水浸しになっていることを不思議に思いながら、
兄の部屋をノックした。
……あれ、この臭い……。もしやお兄様、1階の音入れが使えないから、そこら辺でしてしまったのかしら……。
困ったお兄ちゃん!
「…………」
「あ~け~て!」
「…………」
トントントントン、He knows no NEETン♪
悲喜こもごもりの、子供部屋王子さま?
「……なんだよ?!お雛祭りはどうなったんだ??」と中から海人の声がする。
「もう終わったわ!」
「え?終わった?って今年は早かったな……。じゃあ、もう下に降りても大丈夫なのか?」
「だ、め、よ♡下には美少女がイッパイよ。今お兄ちゃんが降りていったら犯罪よ。」
「じゃあ何しに来たんだ?」
「……お兄ちゃん?廊下が凄いことになってるわよ。お母さんがペットボトルを用意してくれなかったの?ちょっと出てきて見てご覧なさいよ。」
「え、いいよ。別に。明日にしてくれよ。今、面白い論文を読んでいるところなんだ。むつも早く下に戻ってお友達を接待してきなよ。」
「そんなこと言って、どうせまた呆痴彼女で遊んでるんでしょ?今夜はお風呂はどうするの?お湯汲んできてあげよっか?」
「いや、いいよ、1日くらい。風呂に入らなくても死にはしないよ。(まあ、なんか、そこはかとなく臭いけど……)」
「あ~け~て」
……鍵はかかってないんだけどな……
と、海人は思ったが、
睦実は、葉南が残した結界の効果のせいで、兄の部屋に入ることが出来ないでいたのだった。
睦実は、何度か扉をノックしたが、兄が出てこないのを見て、「おにーちゃ~ん」と歌いながら踊り出した。
「出てきてよ~♫」
睦実は、半透明のレインコート姿のまま踊り出し、太古のアンモナイト臭のする中、くるくると回ってコートの裾を太ももまで捲り上げていた。
間接照明のみが灯る薄暗い廊下で、仄かに光を反射する白い少女が、学校の授業で披露したようなよく分からない振り付けで、
腕を♪い~と~巻き巻きしながら天を仰ぐ。
フードがパサリと首に落ち、襟元カールポンポンヘアが覗いた。
「可愛いむつみちゃんのダンスを見てよ~、あけてよ~」
睦実はあまりに華麗に舞い過ぎて、甘酒がまたクラクラと頭に回ってくるのを感じていた。
ウプ……早く出てきてよ~気持ち悪くなってきちゃッたじゃない……
ぽーっとなった頭で、睦実は自称バレリーナ風に指先をしなやかに伸ばしながら、濡れた廊下の床に裸足の裏を滑らせて、見よう見まねのピルエットを回ろうとする。
その拍子に睦実は本当に足を滑らせ、オシリスからビタ~ンと廊下に倒れた。
「お、おい、大丈夫か?凄い音がしたぞ……」
兄の部屋のドアノブが回り、
ギィ~~~……と扉が開き始める。
ドアの隙間から海人の顔が覗いた刹那、
ひっくり返っていた睦実の手が、ガシッと扉の端を掴んだ。
「ヒッ?!」と海人は驚いて飛び退く。
いったん止めていた息を戻し、海人が足元を見つめ直すと、
…控え目に言って下水のような臭いのする液体に這うレインコート姿の妹が、
ふ、ふ、ふ………、と目を光らせ、濡れたビニール地から肌の色を透かせながら
「つかまえたわ……」と言った。
「八百万の神も喜んでいるわ……」
「天鈿女命かよ??!」
と海人が叫ぶと、
巫女の女神は満足そうに微笑んだ後、芸路芸路芸路~~☆と廊下に白いものを黄桃した。
***************
設楽居海人は、
何故か妹が禅羅に怜陰恍斗姿でいるらしいことを訝りつつも、
ひどい臭いのする彼女を部屋の中に回収した。
そして、愛・不穏を手に取り、階下にいる母へ電話をする。
しばらくすると、母設楽居花織が、バケツに雑巾を入れて2階に上がってきて、
廊下の惨状を目の当たりにした。
「日本書ッ紀ング!??むーちゃん大丈夫??あ、あなた……さすがに飲み過ぎよ……」
「母さん……むつにお酒を飲ませたのか……?」
「でも米麹よ~。甘酒にアルコールはないわ……」
「しょ、しょうなの……?」と、涙と目やにで滲んだ瞳を開いた睦実が、
兄のベッドに横たわって、手をクロスしながら言った。
「……そう言えば、むつは暗示にかかりやすいタイプだったな…」と海人が、汚染された自分のベッドを諦めたように見つめながら呟く。
「暗闇を示す、幻想の光。信じる想いの強さが真の世界を生誕す……偽りのアイドル、ユグドラ・ラビリンス……ミラージュディメンション……!」と小さな声が聞こえ「十字展開……」と声を出さずに口を動かす睦実は、死んだ乙女のように胸の上で指を組み、静かに目を閉じた。
設楽居花織は、そんな娘を見ながら
……むーちゃんは将来、想像ニンジンしないかしら……。
と思わず心配になりつつ、
ベッドの脇に腰掛けると「ちちんぷいぷい、気持ちん悪いの飛んでイケ~!」とおまじないをかけてやるのだった。
『It's too late.』




