ヰ124 ホームパーティー
「むーちゃん、大丈夫?」
設楽居花織が音入れの扉をノックする。
「ま、ままちゃん……お助けを……」
花織は後ろを振り返り、「ゴメンネ詩ちゃん。……ちょっとお部屋の方で待っててくれる?」と言った。
少女が心配そうな表情で、何度もこちらを見ながら和室に戻っていく姿を見届けると、
花織は人差し指の第二間接を折って扉を再度叩いた。
トントン。
「むーちゃん、開けて?」
ギギギギギ………。
中から現れたのは、肌襦袢と裾よけ姿の娘の姿だった。
花織がその後ろを見ると、音入れの中に、小紋友禅の着物と亀甲柄の帯の半分が水没しているのが見えた。
「な、な、なぜ、そんなことになったのよ……」と、花織が青ざめた顔で言う。
「…わかんない……」と睦美が涙目で言った。
「ハマグリは無事?」と花織が言う。
「うん。そっちは大丈夫……」
「拭いてない?」
「うん。拭いてない。」
はああ……と、花織は盛大に溜め息をつき、
「ちょっと待ってて。お色直ししましょ」と言って、トタトタ…とスリッパを引き摺って走り出した。
そして、着替えを取りに階段を上がろうとしたが、
……何故か足が止まり、そこから一歩も動けなくなる。
……あら……。何故かしら……2階に行きたくないわあ……。
花織は首を降りながら引き返してくると、「むうちゃん?もういいわ。このまま貝合わせを始めちゃえば?」と言った。
「……え、でもそれだと風情が……。ほら、一枚一枚捲っていくのが、み、雅というものなのに……」と、音入れの扉の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。
「そうねえ……」と、花織も困ったような顔をして、人差し指を頬骨にあてがって斜め上を見上げた。「雅ねえ………」
しばらく考え込んでいた花織は、「あ、そうだ。」と手のひらの上で、ポム☆と拳を打った。
「むーちゃん?じゃあお食事を出すのをお手伝いしてくれない?今ちらし寿司を作ってたとこなのよ~。むーちゃんももう6年生でしょ?お雛祭りの主役はあなたなんだから、そろそろこういうこともしなきゃダメよ~」
**************
2階の勉強部屋にいた設楽居海人は、今日1日分の食事として与えられていたカ・ロリーメイツを頬張りながら、高校生の参考書を捲っていた。
設楽居花織は、…お雛祭りが終わったら、カイトくんの好きなものを何でも作ってあげるから今日1日は我慢してね~と言って、その後にそっと…『階下に妙齢の女の子達も来ているから、柔軟剤も我慢してね……』と耳打ちしてきた。今夜はタオルもセーターもごわごわでゴメンネ……と涙ぐむ。元気いっぱいのカイトくんには辛いと思うけど、頑張ってね。
あ、あと明日のお昼には回収してあげるから、何本か置いておくね。
と言って空の1リットルのペットボトルを5本ほど置いていった。
海人は、やれやれ…と首をストレッチし、参考書をいったん閉じる。
……今日は木下のうちもお雛祭りをやっていると言っていたな。
最近友達になった、別の町に住む友達を招いてやっているそうだ。確かアリサちゃん?とか言っていたな。今朝のべんき(ょー)のオトも快調みたいだったし。試験後も木下のやつ、べんき(ょー)のくせ(ー)が染み付いて、すっかり生徒(隷)代表らしくなってきたな……感心感心。
木下のべんき(ょー)垢が大バズりしたせいで、春休みに新宿の予備校の講師に招かれたって言うし、……まあ多分話題作りの為とは言え…、なかなか大したものだよ。そういう面白いことなら俺も全力でサポートするし、今年の春休みは退屈しなさそうだ……。将来的には木下の露出がもっと増えることだってあるぞ。そうなったら俺が裏からプロデュースして、『難勉○"痢ギャルの東大受験!』とか話題になったりして……。
……いやいや。木下を無視して、なに妄想しているんだ俺は……。
あ、そうだ。
……ホワイトデーのお返しを考えなきゃな……。母さんと、むつと、そして木下……。何がいいかな……。
考え事をしていた海人は、背中側で音もなく扉が開いていくことに、全く気付いていなかった。
部屋に潜入した葉南は、
絨毯の中央に敷かれた丸いカーペットを注意深くよけ、部屋の隅に並べられたペットボトルを不安そうな目で見やった。4本は空。1本はしーしー檸檬が半分まで充たされている。
……あの防衛装置は古典的だけど……やっぱり効果はバツグンね。近くにあるだけで、若干眩暈を感じるわ……。全部に水が入っていなくて助かったわ。
さすがメサイア候補。侮れないわね。
葉南は、しばしメサイアの後ろ姿を眺めた後、……なんかもう面倒になってきたわね……。と考え始めていた。
……正直、面も割れているわけだし、今更こそこそやる必要なくない?
直接、聞いてみようかしら。その方が早くない??
「あ、あの。」
急に声をかけられて、海人はビクッとして凄いスピードで振り返った。「うはっ?!き、君は……?ん?いつぞやの全能研ガール!?ど、どうして俺の部屋に!!」
「はい……。実は睦実さんにお招きされまして……今日はお寝巻きでお泊まりさせていただく予定ですのでご挨拶に伺いました…。そこの呆痴彼女の小さなおマネキン、素敵ですね。」
「そ、そうなの?……君、むつのお友達なの??」「ハイ。」
「て、今日はお雛祭りだろ??男子と喋っちゃダメじゃないか?!」と海人が慌てて言う。
「喋っては駄目ということはございませんが…… まあ、あまり褒められたことではないのは存じ上げております。」
「じゃあ、今すぐ出ていきなさい。こんなところを人に見られたら、何を言われるかわかったものじゃないよ。」
「ハイ。……ただ…、一つだけ質問してもよろしいでしょうか?」「え、なに?勉強のことなら答えるけど、手短にね……」
葉南は目蓋を閉じ、牡丹柄の黒帯の前で指を組むと、肩を落としながらゆっくりと息を吐き、
……静かに目を開けるとこう言った。
「お兄さんは炉利昆虫さんですか?
ある朝、不安な夢からふと目が覚めたら、……ベッドの中で自分が一匹のとてつもなく大きな毒炉利昆虫に変わってしまっているのに気が付いたりはしませんでしたか?」
海人は、少し驚いたような顔をして、この着物を着た小柄な少女を見つめ返し、
「……いいや。」と呟いた。
「カもなく、フカもなく……。不条理文学だね……」
「……ふ、腐女子文学ですと??ち、違います。ボクにそんな趣味はございませんよ!?」と急に慌て出した少女がワタワタと手を振りながら叫ぶ。
「だ、男性なんて、基本キモい生き物ですから!!た、確かに男性という概念を学ぶために、そういった文学もいくつか読みましたけどぉ?!そ、そりゃまあ、人はバカにしますけどね??げ、現実の男性にはないものを望んだりするってのも、わからなくはないんじゃあ、ありませぬか?!ボ、ボクは違いますけど?!そ、そのペットボトル、どかしてくんない??なんか調子出ないのよ…」と、葉南は言い終わると、ガックリと肩を落として項垂れた。
「……まあ、あれね。どんな思想でも、心の中は自由というか……現実に迷惑をかけなければ、それでいいのよ……。よく言うように、人は何者でもない状態で生まれてきて、後から自分自身で何者になるかを決定することが出来るのよ……(ショボン)。」
「『実存は本質に先行する。』それがまさに実存主義だね。」と海人が賢そうな表情をして言った。
「負けたわ……」と葉南が言って、寂しそうに笑う。そして「……あー疲れた。」と言って、う~~んと伸びをした。
「やれやれ……長い長い、炉離婚調停が終わったわ……。メサイア?うちのボスとはもう話したんでしょ?
……で、どうなの?塾の講師は受けるの?」
「……メサ……?ボス……?
塾の講師?あーその件なら分かる。それなら木下が受けたよ。俺はそのサポート役として手伝う予定だよ。まあ、何にしてもその春期講習次第かな?年間学習に関する計画書は、木下に見せてもらったよ。なかなか興味深かった。豊子塾はいい試みだと思うよ。……ん?君も何か関わっているの?」
葉南はニコリともせずに、「ええ。ボクも小学校を卒業したら入塾する予定ですよ。」と言った。
「へえ……。うまく軌道に乗ったら、むつにも通信講座を受けさせようかな……。これは春が楽しみになってきたね。その時はうちの芋虫も宜しくね!」と海人は言って手を差し出す。
葉南はその手を見て、フンと鼻から息を吐くと、「……ボク、もう帰るわ。お邪魔しましたぁ……」と言うなり、バサッと紺色の着物を脱ぎ捨て、
一瞬見えた薄だいだい色の残像を残して海人の視界から消えていった。
残された海人は、一人残された部屋で辺りをキョロキョロと見て回り、
ガチャッと扉を押し開けると、
……履いていた靴下がビチョリ、と床にあった水溜まりを踏んで湿るのを感じた。
部屋を振り返ると、絨毯に落ちて広がっていた着物と帯も消えてなくなっていて、
海人は首を傾げると、静かに扉を閉め直したのだった。
****************
「遅いですね。」と飛鳥めいずが呟く。
「まあ、もうちょっと待ちましょ。」と黒髪に大きなリボンを付けた白装束風の三浦詩が答える。
「…葉南ちゃんはどこへ行ってしまったのでしょう」「そっち??」と詩が叫ぶ。「今日の主役は設楽居よ?分かってる?」「ええ。そうでしたね。すみません。」
「………ところで、めいずちゃん。」と詩が注意深く、水色の振袖が似合う金髪の美少女に声をかけた。「あなた、今日は……貝合わせの準備をしてきたの?」
「かい……?そ、それはいったい何のことでしょう……(葉南ちゃん助けて……)」
「も、もしやあなた…準備してこなかったの……」
「え~と、あの、その、……何と言うか………はい。してきませんでした……」
「な、なんと?!」と詩は黄色い帯に支えられた上半身で仰け反りながら言った。「……じゃ、じゃあアナタ、もしかして未処理??……ア、アナタ、いくら金髪だからってそれはマナー違反よ……」
「ええ?!私、何かしでかしましたか??日本の因習……怖い……」
その時だった。
「はい。お待たせ致しました~~」とホスト設楽居家のマダムの声がかかり、
ゴロゴロゴロ……と移動式担架のようなものに乗せられた今夜のメインディッシュが運ばれてきた。
「パンパカパ~ン!皆さまの健やかな成長と将来への願いを込め込め致しまして~。
ちらし寿司の到着でこざいま~す!」
それを見て、飛鳥めいずは飲みかけていた甘酒を口からぶーーーーッと霧状に吹き出し、それは三浦詩の顔にかかって、そのまま白に近い薄ピンク色の着物を盛大に汚した。
彼女達の目の前には……、
リアルQP人形の設楽居睦実の桃色の身体が横たわっていて、
要所幼少に、海老、豆、蓮根、各種サラダ、錦糸玉子が乗り、
……ピンク色のサーモンと赤いマグロのお刺身が、ペタリ♡と大切な箇所に貼り付けられているのが確認出来た。その周囲には黄金の玉子の杜がちりばめられ、
…ハマグリの絵柄は丁度綺麗に隠されている。
おへその上にこんもり盛られた酢めしが、まだほんのりと湯気を立てながら酸っぱい匂いを立ち昇らせ、色鮮やかな食材の数々が、アンドロイド少女が呼吸をする度に上下方向に移動を繰り返しているのが見えた。
「途中からむーちゃん、甘酒で酔っ払って寝ちゃったから、ママちゃん、ちょっと張り切っちゃいました!実は、昔から桃のお節句でこーゆうのやるの夢だったのよね~。
うちのむーちゃんはね?みんなと比べてお顔はそこまでではないけど、お腹周りはぷらすちっくのボトルなみにツルツルすべすべで綺麗なんですからねー!因みに、この(こょたいもりには、マヨけの意味があるのよ。マんヨー集の時代からある伝統なの。あ、きゅうりにマヨ使う?」
「日本人どーなってるんですか?!?」と言ってめいずが卒倒する。
睦実は横になったまま、頬を桜色に染め上げ、すうすうと寝息を立てていた。
「詩ちゃん?めいずちゃん?このまま貝合わせも同時にするからね。」と花織が言った。
「せ~のっ!」と花織がパン!と手を叩き、
慌てて詩も、着物の前をガバッとはだける。
お箸を使って、娘のサーモンをずらした花織は、「はい!紅白梅の源平咲きよ!可愛いでしょ?」と言う。
「あ~っ。源平咲きかあ……私もマヨったんだけど、源氏物語にしちゃいました。……どの場面でも同じ題材ってことで、貝合わせ出来る確率が高いと思って……」
「ウフフ。残念でした。今年は貝合わせは無しね。で、めいずちゃんは?」と花織が言う。
「わ、わ、わ、わたくしは……」「あの…睦実のお母さん、めいずちゃんは準備してこなかったそうです。」と詩は、睦実のハマグリの蒔絵をガン見しながら言った。
「あら?そういえばアナタ、外国の出身なのかしら?え~と…ロシア?」「はい、中国とウクライナと日本の血が入っています。」
「日本の風習を知らなかった?」「……はい。」
「じゃあアナタ…貝合わせの絵だけでも描いていく?まだ絵の具は余っているからやってあげてもいいわよ?」
めいずは、「いえ……結構です……」と言うと、「……あの、どなたか葉南ちゃんを見ませんでしたか…」と聞いた。
「ああ、あの子?」と、新しいピンクのお刺身を娘に盛り付け直しながら花織が言う。「さっき帰ったわよ。なにか急なご用事が出来たからって、ピューっと帰っていったわ。」
「そ、そんな……」とめいずは畳の上に膝を付き、……全く食欲の湧かない夕食のメニューを見つめたのだった。
『house party』
まだまだ続くよ!




