ヰ122 宴の準備
「ねえ、むうちゃん?お雛祭りはどうするの?」
と、設楽居花織は、銀色のボウル内でパン生地をこねながら言った。
「お母さん、またパン作ってるのー?」
と言いながら睦美は『ボソボソ泥んこシール手帳』でベトベトになった手を休めて一度顔を上げた。
「ところでむうちゃん?貴女は何年生になったのよ……。いつまでそんなGeorgeGangで遊んでるのかなあ?……もう春から中学生よ?お勉強とか、予習とかは大丈夫なの?」
手がベッタベタの親子は、改めてヌッチャヌッチャと手を動かしながら、それぞれの作業に集中しつつ会話を続けていた。
「大丈夫よ母上。私にはお兄ちゃんという強い味方がいるから。お勉強は毎日のように見てもらっているし。心配しないで。」
「…カイトくんはね?むうちゃんよりもずぅ~~っと難しい授業の中学校に通ってるのよ?あんまりお兄ちゃんのお邪魔をして、めーわくをかけちゃダメよ?」
「……わ、わかっているわよ……。だいたいお兄ちゃんと同じ学校に行けない頭に生んだ親を恨むわ……親ガチャ失敗よ……」と睦美がショボンとして言った。
「………あなたの親はカイトくんの親と同じなんですけど~」と花織が言う。
「で、むーちゃん?今年のお雛祭りは誰かを呼ぶの?今年は輪番だから、本来はうちが会場でしょお?
でも三丁目Bグループの女の子ちゃん達はみんな去年で高校生になっちゃったから、もう来ないしね……。どーする?でもお雛祭りをやらないのも寂しいわよねー。」
「うん。その件だけどね。今年はフリーで呼ぼうかと思ってるんだけど……ダメ?」
と、睦美がドロドロのシール手帳をブチョッと閉じ、指についた緑色のスライムをアルコールティッシュで拭きながら言った。
「え??むーちゃん、お友達出来たの??ホントに?!」
「え……元々いるわよ…ウタとか……」
「あーウタちゃんね?そういえばバレンタインの日も来てたわよね?でも最近、あなた達あんまり遊んでなかったみたいだけど、どーしたのよ?昔はあんなにベッタリ仲よしこよしだったのに。」
「色々あるのよ……私、今年からアンドロイドになったでしょ?……ちょっとクラスの子達と距離を取ったって言うか……何と言うか……ほら、やっぱり私って特別じゃん?人と違うって言うかさ……アンドロイドになることで、心を置き忘れた哀しき美少女って言うか……」
「はいはい。むーちゃんは中二病。飛び級してエライわね~~」と言いながら花織は、パン生地にラップをかけた。
「でね。今年は飛鳥めいずちゃんって子を招待しようかと思うの。隣のクラスの子なんだけどね?
その…彼女は一軍って言うの?え~と、こういうのカーストって言うんだっけ?私自身、結構、ピラミッドの頂上付近にいるもんだから、そういうグループの人同士でお雛祭りするのもいいかな…て。」
「むうちゃんが??」と花織は手を洗いながら素っ頓狂な声を上げる。
「そうよ。」と睦美が得意気な顔をして言った。「私ね、クラス一の美少年(と言われている)奴から追いかけ回されているし、ウタも毎日のように私のことを可愛い可愛いって言ってくるわ。それでね、それでね、聞いてよ母上!
その、まあ、美少年と思われる奴がね?…あ、でもお兄ちゃんと比べたら月とスッポンですけどね。と、言うか奴のアソコはまさにスッポンの如し……。でね?そいつをめぐって、金髪美少女の飛鳥めいずちゃんと、韓流ヤンキーの赤穂時雨って子が争っているのよ、マジでうける。……まあ、そのヤンキーの子も、見た目はまあまあってとこなんだけどさ?性格は悪いの。
……それが聞いてよ!」「聞いてるわよ」「………その美少年(仮)もしくは(真)が私に夢中なもんだから、学校でも比較的可愛いその子達がさ、私をライバル視しちゃって大変なのよ!私はあの男に全っ然興味ないのに。むしろ嫌いなくらいよ?………私って罪な女………むつみなだけに……でね?あと長いこと登校拒否していた子で五十嵐さんって女の子がいるんだけどさ、その子も私に興味津々て感じで、前に質問責めにあったんだよね?
…あの子も確実に私のファンね……。でね?どうやらその五十嵐さんもうちのお雛祭りに来たいみたいなのよ。もう、睦美ちゃんってばモテモテで困っちゃうわ……」
「むうちゃん大丈夫?ひょっとして夢のお話をしてない?そんな子達、実在する?現実見えてる?ママちゃん心配だわあ……」
「失礼ね……。でね?私、お雛祭りに、そのめいずちゃんと五十嵐さんをお招きしようと思うんだけど。どうかな?」
「……まあ、いいでしょうけど…。それならウタちゃんも誘ってあげなさいよ?仲間外れはダメよお」「はあい。」睦美はそう言うと、今時珍しい立派な七段飾りのお雛様を、満足そうに見つめた。
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時計の針は戻り、その日の放課後のこと。ゴールデンヘアの美少女飛鳥めいずは、文芸少女五十嵐葉南師匠に会いに2組の教室に顔を出していた。
「あ、葉南ちゃん。やっと会えましたね。社会科見学はお休みされていたみたいですし、最近お忙しかったのでしょうか。」
めいずは、目の前にいる小柄な少女の、カラシ色の昭和風カーディガンを眺め、……可愛い、と考えていた。
「……なあに、めいずちゃん?…フム。その顔は……また何か相談があるみたいね?」と葉南が言う。ウールっぽい見た目をした緑色のアクリル生地のスカートから、白く細い脚が覗き、横線の入った白いハイソックスがふくらはぎをキュッと締め付けている。髪の毛には黒いヘアクリップが留められていて、未処理の眉毛が少し神経質そうに寄っている演出がまた心憎い。
「実はそうなんです。」とめいずがコソッと言った。
「……ご存知の通り…いよいよ雛祭りが近付いてまいりまして……、私この期間をどのように遣り過ごせば良いか……いまだ有効な立ち位置が見つけられないままでいるのです……。」
「ああ、その話?仮病でも使って休めば?」と葉南が答える。「ボクは男装して1日を過ごすつもりだけどね。」
「……それは私にはハードルが高過ぎます……」と言いながらめいずは、師匠のスカートに目を落とした。
「あ、今日は付けてないわよ。」と葉南が言う。「そろそろ暖かくなってきたし、あれ痒くなるのよね……まだまだ改良の余地が残されているわ。」
「………。は、はい。で、仮病の話なんですが……。それはうちでは許されないっぽいのです。私の母は体面にこだわる人ですから。それはもう、日本文化に溶け込めていないことをとても気にしていますし……病気であろうとなかろうと、お雛祭りに参加しないというのは難しそうです……。
また、私的にも地元の名家、宍戸家の桃の節句に招かれないようにする為にも、地元の地区内でのお雛祭りの方に参加しておきたいんです。」
「今年はめいずちゃんちは輪番じゃないの?」と葉南が聞く。
「ええ。初年度は自分の所のお雛様をお披露目するのはマナー違反らしく…輪番は来年からになるそうです。」
「ふうん。そんなシステムだったかしらね。」
「それでですね?出来ることなら私なるべく小規模な会がいいんです……頼りの葉南ちゃんは地区が違いますし……私、これでもある程度覚悟は決めたのですよ?でも……あまり大勢で舌しXのようなことは行いたくありませんし……。」
「良家のお嬢様は大変ね。」と葉南が言った。
「そもそも、お雛祭りというのは……どのようなことをするお祭りなのですか?」とめいずが言う。
「そうね。まあ言ってもお雛祭りは日本でもかなり時代遅れの風習よ。女の子の成長と健康と幸せを願うという建前はありつつ、その実態は、『幸せな結婚が出来るように』っていう男尊女卑の風習の名残なの。」と葉南は嫌そうな顔をしながら言った。
「有名なのは、雛人形をすぐに片付けないと嫁に行けないっていうやつよね。そういった意味では、ボクは結婚なんて一生するつもりはないから、願ったり叶ったりですけどね!!」
「……結婚…」と、めいずが小さな声で言った。「……そ、そういうことでしたら私、向井様との縁談が滞りなく済むように、……お雛祭りをしておかなければなりませんね。」
「あら、そう?じゃあ好きにしなさいな。でもめいずちゃん、あの美少年は設楽居睦美が好きなんじゃなかったかしら?」
「……そうなんです。向井様も地味なものがお好きなようで。そういった意味では私と趣味が合うと思うんですけど……最近ちょっと心配になってまいりました……」
葉南はフム。と顎に手を当て、「じゃあ設楽居家のお雛祭りに行くってのはどう?」と言った。「それで、設楽居家がお雛様を片付けるのを妨害するのよ。」「ど、どうやってですか…?」「そうね。設楽居睦美をうまく言いくるめて、当日はお泊まり会にしてもらうのよ……で、3月4日朝のお片付けをボク達で阻止するの。そうすれば、設楽居睦美はお嫁には行けないわ。」
「…な、なるほど。」
説明しながら葉南は、………これはチャンスかも知れないわ…。と考えていた。…この機会に設楽居家に潜入し、救世主に再度接触を試みることが出来るやも知れない……。
「めいずちゃん、あなた、何のかんので設楽居睦美と仲が良かったわよね?」
「仲が……?良かった……?」とめいずが考え込むような表情をして呟く。
「まあ、いいわ。」と葉南が言う。「善は急げよ。そうと決まれば、早速あの子のうちのお雛祭りにご招待されにいきましょ。」
葉南はそう言うと回れ右をして、設楽居睦美の座る席に向かって笑顔で歩いていった。
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「ところで、むうちゃんはまだよね?」
と、設楽居花織が言った。
「ん?」と上機嫌で六段目の嫁入り道具を指で触って遊んでいた睦美が振り返る。
「前にお風呂に一緒に入った時から何も変わってないよね?それとも少しは大人になりましたか?」
花織は押し入れにしまってあった道具箱から、大事に布でくるまれた剃刀と筆、そして水差しと、お皿の上に固めてある色とりどりの絵の具一式を取り出してきた。
「貝合わせよ。」
と花織が言う。「ほら、それだけの人数をお招きするんなら、みんなでやるんでしょ?むうちゃんも6年生だし、貝合わせとかするのも今年が最後じゃないかしらね?」
「ああ、モチロンやるわよ。」と睦美が答える。
「むうちゃん?…ハマグリはね、この剃刀で綺麗にツルツルにして、…よおく洗ってから、まずは金色に塗るんだからね。自分で出来る?」「……う~ん。自信ないかなあ。でも剃刀は必要ないよ。」「…じゃあ金粉を塗るところまでは自分でやりなさいよ?綺麗に塗れたら、ママちゃんが絵を描いてあげるから。……今年はどんな柄にしようかしらね?」と花織は無意識に舌をペロリと出しながら、自分が小さい頃から使われていた古い画集のページを捲っていった。
「あ、この兎と波の絵、カワイイわあ。う~ん、でもやっぱりお花かなあ……。桜とか桃の花もいいわよねえ…」そう言う母の体に、睦美はピッタリとくっついて画集を覗き込んでくる。
「でもお母さん?あのメンバーなら、みんな自分のハマグリは凝った絵柄にしてくると思うのよねぇ……他の子に負けないように綺麗に可愛く描いてね?」
「……そうねえ。」と花織は人差し指を頬にあてがって右斜め上を見上げた。
「むうちゃんと絵柄が合えば貝合わせするわけだし、他の子達もそんなに凝った絵柄にはしないんじゃない?」
「同じ絵柄でも相手の方がずっと綺麗に描かれてると……、貝合わせした時、さすがに恥ずかしいじゃん。」
「むうちゃんも、そういうの気にするようになったのね~」と花織が感慨深そうに目を閉じて頷く。
「あ!あとね、なんかみんな、当日はうちにお泊まりしたいんだって!いい?」
「今年の3月3日は火曜日よ?……まあみんなの親御さんがいいと言うならいいけど……。あ、それならカイトくんとパパはお部屋から一歩も出られなくなるわね……」
「……可哀想に。その日の男性陣は断食ね……」と言って睦美は涙を流した。
「早速お兄ちゃんを慰めてくるわ!」と言って睦美が走り出す。
「あ!むーちゃんずるいわ!ママもー!」と言って花織も駆け出す。
キャアキャアと押し合いながら親子は同時に長男の部屋に押し入ろうとして、
扉のところで肩がぶつかってつっかえた。
顔を上げた海人は、……またこの季節が来たか……。早く嵐が過ぎさればいいな……。とそっと考えていた。
『Preparing for the feast』




