ヰ121 秘密共有
隣に座る設楽居睦美は、今や唇まで真っ青になって、
すでに震えることさえやめて、じいっと前の座席の一点を見つめていた。
やがて、その顔には、どこか諦めに似た表情が浮かび、いっそ優しい笑みを浮かべながら今までの人生を振り返っているようだった。
オ\(^o^)/……/(^o^)\オワタ
睦美は、ある意味清々しいとも言える顔をして、
さようなら……と筋肉の緊張を弛めていく。すると呪怨ォォォォォォォン…………と
生温かいものが座席に広がっていくのがわかった。
その時だった。
隣に座る美少年、向井蓮が、「おおっと手が滑った!!」と叫び、900mlの紙パックのオレンジジュースを睦美のスカートの上からビシャァァァ……とぶっかけた。
「ゴメン!睦美ちゃん!何てことだ!うっかり100%濃縮還元、吐露ピカルオレンジジュースを溢してしまった~!ごめ~ん!」
何が起こったか分からない様子の睦美は、そのままボンヤリとした顔で、自分のお腹に向かって俯いていくと、
ミンチミンチミンチ……と、逢い引き肉をこねこねして、手篭めハンバーグを作り始めた。
瞬時に、別な臭いに気付いた蓮は、リュックからお弁当のタッパーを取り出し、
「うわっ!しまった!デザートに持ってきていたドリアンの蓋が開いていた~~!」と言って、容器を逆さまにして睦美の足元にぶちまける。
念のため……と、蓮は、極太の黒糖かりん糖を床にばら蒔いた。
それはオレンジジュースでふやけて、靴の下でグジュリ……と、なすりつけられた。
「向井くん?!何やッてるの??」と後部座席から担任の廣川満里奈が悲鳴に似た声を上げる。
「ご、ごめんなさい!なんか、リュックの中で持ってきたお弁当がぐちゃぐちゃになって!!ごめんなさい!ごめんなさい!」
そう言いながら、蓮は、
……ウプッ……と白目を剥いた睦美の横顔を視界の端に捉え、
「しまった!!ゲロッ具オートミール(牛乳割り)を溢した~~!!」と叫んで、
水筒に入れていたそれを、すでに再誕始めていた睦美の襟口めがけてビシャァッ!とひっかけた。
「窓を開けて!」とバスガイド舘科 芽楼 が叫ぶ。
芽楼 は、研修で習った通りに、運転席の足元にある緊急ボックスの側面を靴の先で蹴り、中から飛び出してきたガスマスクを、素早く2個取り出した。
「コード97!コード97!藤堂さん!!」
「ああわかってる!対テロリストマニュアル736ページ、これは乗客の安全確保の為、やむを得ず緊急停止するシチュエーションだ!舘科さん!乗客を頼んだよ!」
運転手の藤堂は、渡されたガスマスクを片手で装着しながら、冷静に、ただ緊張時であることを告げるように強い口調でそう言った。
「皆さん!急ブレーキに備えてください!前の座背の把手に掴まって!!」ガスマスクをした芽楼 が叫ぶ。
子供達が開けた窓から、ゴオォォォォ……と風が入り込み、辺りをお菓子の袋が舞った。
キキーーーー!!
つんのめるような衝撃を吸収するように、バスは横向きになり、壁すれすれをスライドしていきながら、後続車を巻き込まないぎりぎりのスピードで減速しつつ、ななめに滑っていった。乱気流と子供達の悲鳴が沸き起こる中、
バスは最後に軽くドリフトし、ズザァ…とタイヤの焼ける臭いを発生させながら、路側帯に停止した。
プシュゥゥゥゥ……………
「お、お見事です。藤堂さん………」
芽楼 は補助席の下に尻餅をついたまま運転席を見上げる。
「皆さん?!お怪我はないですか??」
バス内には子供達の荷物が散乱し、眠っていた約3名の少女が、前の座席に飛び出して、体を逆さにして脚をジタバタさせている。
蓮は、オートミールと、ドリアンと、黒糖かりん糖と、オレンジジュースにまみれた通路にベチョリ♡と突っ伏していて、
「イタタタ……」と上半身を立ち上げると、
座席に座ったままの設楽居睦美を見上げた。
「睦美ちゃん……だ、大丈夫??」と蓮が恐る恐る声をかける。「ご、ゴメンね……僕がうっかり色々な嘔吐ブルを溢してしまったばっかりに……。君のお洋服を汚してしまって……」
睦美は、最初茫然とした様子でこちらを見ていたが、やがてスクッと立ち上がり、
「そ、そ、そうよ!何てことをしてくれたのよ?!」と叫びながら、蓮のことをビシリと指差した。
「ぐちゃぐちゃじゃない!!ど、どーしてくれるのよ!??」
あまりの強烈な臭いに、後部座席の方で廣川満里奈がオロロロロ………と、エチケット袋を口にあてがっているのが見えた。
意識の戻った3人の眠り姫が、睦美と蓮の席に駆け付けると、
惨状を目の当たりにして、一瞬怯んだ。
「転校生!アンタ、睦美に恨みでもあるの??」と、簡易ガスマスクを付けてきた詩が叫ぶ。
時雨は、一瞬で状況を把握し「さすが蓮くん!持ってくるお弁当やお菓子も…お洒落で超健康志向ね!!100%オレンジジュースに、果物の王様ドリアン。主食がオートミールで、おやつには北海道産の黒糖お菓子とは!まさに美と健康の極みであるメニューだわ!」と鼻を摘まみながら言った。
夢子は、頭から白い液体を垂らした睦美を見て、「……BUKKAKE……」とだけ呟く。
「と、とにかく……」と新人バスガイド芽楼 が、ガスマスクをしたままの姿で近寄ってきて、「そこのお二人さんは着替えなきゃダメね。」と言った。
「舘科さん?パーキングまであと少しだから皆を一度座らせてください。そこで子供達を下ろして、車内清掃を行いましょう。」と藤堂が言う。「ハイ!」と芽楼 が返事をした。
「……そうですね。見たところ、座席のエチケット袋も満杯に近いようですし……取り換えないといけないですね……」
見渡すと、多くのα世代の生徒達はeチケット袋に顔を埋め、OA~とやっていた。
バスは振動もなく、再び滑るようにして走り出し、
芽楼 はすぐに機転を効かせ、子供達が、自分が吐いてしまったことをギャグに変換出来るように、カエルの歌を輪唱させ始めた。
『『ゲロゲロゲロぐわっぐわっぐわ~~』』
『『ゲロゲロゲロぐわっぐわっぐわ~~』』
…………。
***************
パーキングエリアにある医務室に隔離された向井蓮と設楽居睦美は、
特別にシャワーを使わせてもらった後、上から下まで新しい服に着替えて、それぞれ離れたベッドに腰掛けていた。
他の生徒達は廣川先生に引率され、お店を見て回っている。その間、バスガイド舘科 芽楼 はバス内の清掃を行い、窓ガラスについた指紋やエアコンの向きを調整し、全部同じ方向に揃えていた。
「ねえ」
長い沈黙を破って、医務室のベッドに座った睦美が声を発する。
「……アナタが数々の健康食品を持ってきていたのが偶然だったとは言え……、結果私はアナタに助けられたことになるのよね……。」
と、睦美が言いにくそうに、喉に何かつかえたような声で言った。
蓮は驚いた顔をして、睦美の方を見る。
「でもね……私このままじゃ……なんか嫌なの……。」「き、気にしなくていいよ。そもそも食べ物を溢した僕が悪いんだし……」
「………」
睦美は黙って、蓮のことを見つめ返した。
蓮は真っ赤になって俯いてしまう。「お、お礼ならいいよ……僕は…」
「はあ?何言ってるのよ?……私はね?アナタに弱みを握られた人生なんてまっぴらごめんだ、って言ってるのよ……。言っちゃ悪いけどね?私、さっき見ちゃったんだからね?
言っときますけどね?今日の私の失態と……ほぼ同等のアナタの弱みを私、掴んだんだからね?…バラされたくなかったら、今日の出来事は生涯黙っていることね……」
「よ、弱みってなんだよ……」と蓮はベッドから立ち上がり、若干後退りをしながら言った。
「……アナタ、シャワーから出た時、誰も見てないって思ってたでしょ?……ところがどっこい、こっちからは丸見えだったのよ…。」
「…と、言いますと?」と蓮がゴクリと唾を呑み込みながら言った。
「アハハ……その顔!いい気味だわ。アナタ、私のストーカーしてるんでしょ?私のスカートーを覗きたいんでしょうよ、このヘンタイ!私が知らないとでも思っているの??でも諦めなさい。……私、見ちゃったんだから。」
「な、なにをだい……?」
睦美は深呼吸をすると、邪悪な表情で微笑み、「アナタ……ダブルハムちゃんでしょ……」と言った。
「!!」
「アナタね、私がウブな天使だと思って油断してたでしょ。ふ、ふ、ふ。甘いわよ。私にはね?重要剥けい文化財に指定された、人間国宝の兄がいるのよ。先日、お風呂上がりに私はとうとう見てしまったのよ!私のお兄ちゃんはね?それはもう凄いんだから!!今も夢に見るわ!正直最初は怖かったけど、今は毛平気!
私はね、○えてない、○けてない、アナタのようなお子ちゃまには興味がないわ……おととい来やがれ公タロウ……」
「………」
絶句した蓮は、逆にまじまじと睦美の顔を見つめ返した。
「ナニヨ?」とハムスターに所縁が深い少女が睨み返す。
「……いや、その件なら多分、中2で解決するはずだから……」
「はあ?」
「だって、君のお兄さんだって小6くらいは……そうでもなかったんじゃない?」
……ハッ!そう言えばそうね。言われてみれば、私、お兄ちゃんが小6まで一緒にお風呂に入っていたんだったわ……。
睦美の表情を見て、蓮は「でしょ?」と言った。
「と、と、とにかく!今日のことを誰かに言ったら、アナタがダブルハムちゃんだってこと、めいずちゃんとか、赤穂さんとかにバラすからね!?これでおあいこよ!!」
「わかったわかった……」と蓮は、半分笑いながら言った。
……これで睦美ちゃんと僕は、秘密を共有する仲となった。1周目の人生と比べると、これは十分過ぎるくらいの前進と呼べるのではないだろうか…。
睦美ちゃんもクラスメイトの前で大恥をかかなくて済み、中学からグレる未来も回避されただろう……。
良かった………。と蓮はベッドに戻ってバタン!と倒れ込み、……一番心配していた危機を脱した……。と半分涙ぐみながら考えていた。
生徒達がバスに戻ってくると、
車両は新品と見紛うばかりに輝いており、制服の上からエプロンとゴム手袋をした芽楼 が、にこやかに子供達を出迎えた。
全ての座席にはエチケット袋が折り目正しく設置し直されていて、シートの汚れも完全に洗浄されている。
別なバス組から、金髪の飛鳥めいずが心配そうに、蓮の元にやってきて、「何かあったのですか?」と聞いてくる。
「いや、何でもないよ。」と蓮は答え、朝と違う服装で、髪から爽やかなシャンプーの香りを漂わせながら歯を輝かせた。
めいずと会話している蓮のことを見て、睦美がそそくさと近寄ってくる。
「あら、めいずちゃん、お久し振り!そこのビショうねんと何話してたの?」
「あ、設楽居さん。今、向井様にバスで何があったかお聞きしていたところです。」めいずは、ギャラクシーな瞳を輝かせながら睦美の方を向いた。
「ちょっとアンタ?まさか喋ってないでしょうね?!アンタ、もし喋ったらダブルハンムラビ包典だかんね?目には目を歯には歯をよ??わかってんの?!」
そう叫ぶ睦美は、少年の輝く歯と、少女の輝く瞳の照り返しで、
若干日焼けしていた……。
ブランド物の買い物袋を両手に抱えた担任の廣川満里奈が、ヨイショ、ヨイショと汗をかきながら歩いてきて、バス側面の荷物入れにそれらを詰め込む。
「さあ!皆さん出発しますよ~」
と満里奈は、吐いたことなどすでに忘れたような、晴れやかな笑顔で言った。
蓮の後ろから三浦詩が近寄ってきて、「……あなた、今回はよくやってくれたわ。一応感謝しておくわ。」とコソッと言う。
「……ちなみにどさくさに紛れて、睦美の着替えのパソシを高性能オムレツタイプにすり替えておいたから、後は帰りのバスまで大丈夫なはずよ……」「ありがとう…」と蓮は言った。「あ、今日のことは何も知らない振りをしておいてね。」「当然よ。」
バスの乗車口のところで、近藤夢子がバスガイドに向かって何かを話しているのが見える。
「……制服ってなんかいいですよね?舘科 さんはやっぱり制服に憧れてガイドさんになったクチですか?」「まあ、それだけではないけど。でもこの制服可愛いよね?あなたもちょっと試してみる?」と言って芽楼 は、ガスマスクを夢子の頭に被せてやった。
「うちの会社はね?エロ対策に特化していることで有名なの。」「へえ。」
「セクハラおじさんとかの臭い息を、このガスマスクでガードするのよ。卑猥なトークをするような人は、高速であろうとその場で下ろしてしまう死ね。」「へえ。」
夢子は心の中で、……バスガイドってカッコいいなあ……将来、こういう仕事をするのもなかなかいいんじゃないかしら……と適当に考えてみるのだった。
『Shared Secret』




