一方通行の友情
第4話まで読んでいただき، 本当にありがとうございます!
みなさんの応援のおかげで، 楽しく執筆を続けられています。
今回のお話も楽しんでいただけると嬉しいです。それでは، どうぞ!
部屋は、ほとんど完全な闇に包まれていた。
その静寂を破っているのは、女性向けファッションショーを映し出す大型テレビから放たれる、冷たい青白い光だけだった。
汚れたシャツはあちこちに散らばり、食べ終えたピザの箱が積み重なり、果ては脱ぎ捨てられた下着まで無造作に床へ転がっている。まるでこの部屋には一度たりとも掃除機が入ったことがないかのような惨状だった。
その混沌の真ん中で、ジェルメインはソファに寝転がっていた。
彼は激辛ポテトチップスの袋へ手を突っ込み、一握りを口へ放り込む。
静まり返った部屋に、バリバリという派手な咀嚼音が響く。
辛いスパイスの刺激を味わう彼の顔には、まるで子供のような満足げな笑みが浮かんでいた。
この世界で今の彼にとって大切なのは、大好物を食べることだけだった。
その時だった。
隣の木製テーブルに置かれていたスマートフォンが激しく震え、大きな着信音を鳴らした。
ジェルメインは面倒くさそうにため息をつくと、指についた赤いスパイスをシャツで適当に拭い、そのままスマホを手に取る。
画面に表示された発信者の名前を見た瞬間、眠たげだった表情は一瞬で消え去り、驚きへと変わった。
発信者は――傲慢。
彼は慌てて通話ボタンを押した。
「おおっ……傲慢か! ずいぶん久しぶりじゃないか!」
一秒ほどの沈黙。
そして次の瞬間、冷たく鋭く、あまりにも尊大な声が受話器越しに響いた。
その声だけで、ジェルメインの血が凍りつきそうになる。
「私のことは『閣下』と呼べ。貴様の親友でもなければ、秘密を語り合う仲でもない。勝手に呼び名を付けるな。」
ジェルメインは思わず唾を飲み込んだ。
相手の口調に本気の怒りは感じられなかった。
それでも、その声に宿る圧倒的な威圧感だけで、彼の身体は震え始める。
受話器の向こうから、退屈そうな、それでいて苛立ちを押し殺したため息が聞こえた。
「……何を言おうとしていたのか忘れてしまった。まったく、貴様のせいだ。」
少しだけ沈黙が流れる。
考えを整理するような間を置いたあと、乾いた声で続けた。
「ああ、そうだった。祝いの言葉を伝えておこう。
今日この瞬間から、貴様は――暴食だ。」
ジェルメインは目を見開いた。
ちょうど口に入れていたポテトチップスが気管に入りかけ、激しくむせ返る。
そんな彼など気にも留めず、傲慢は淡々と話を続けた。
「あの禿げた馬鹿は、貴様の称号を『ポテト』にすると言って聞かなかった。
だが私は、そんな愚かな案を全力で却下してやった。
……ともかく、気をつけて行動しろ。」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます、閣下! 俺は、その……どうお礼を言えば――」
ツー……ツー……ツー……
一方的に通話は切られた。
ジェルメインはゆっくりとスマートフォンを下ろし、真っ暗になった画面を見つめる。
やがて間の抜けた笑みが浮かび、その笑顔は少しずつ大きくなり、耳まで届きそうなほど広がっていった。
次の瞬間、彼は勢いよくソファから飛び上がる。
ポテトチップスの袋を天井へ放り投げ、中身が散らばってもまったく気にしなかった。
ついに。
ようやく。
自分だけの正式な称号を手に入れたのだから。
「もう俺は、ただの人間じゃない……
俺は――暴食だ!」
青白い顔いっぱいに満面の笑みを浮かべながら、ジェルメインはそう叫んだ。
ザックはコックスオール家の上品な木製の玄関扉の前に立ち、深く息を吸ってから呼び鈴を押した。
数秒もしないうちに扉が開き、コックスオール夫人がいつもの穏やかな笑みを浮かべて姿を現す。しかし彼女は腕時計へ目をやると、少しだけたしなめるような口調で言った。
「遅かったですね、レスターさん。」
ザックは後頭部を掻きながら、申し訳なさそうに笑う。
「ええと……本当にすみません。今日は道がひどく渋滞していたんです。」
夫人は一歩横へ退き、柔らかな声で彼を中へ招いた。
「お気になさらず。どうぞお入りください。フレディなら裏庭にいますよ。」
ザックは平静を装いながら家へ入り、胸の内にある好奇心と緊張を隠そうとした。
コックスオール夫人は手入れの行き届いた裏庭へ続く上品な廊下を案内すると、「お茶を淹れてきますね」と微笑み、二人きりにしてその場を離れた。
庭の隅に置かれた丸い木製テーブルには、一人の男が腰を下ろしていた。
五十代後半ほどだろうか。
細い縁の眼鏡を掛け、分厚い本を静かに読んでいる。
ザックが近づいても顔を上げることはなく、本から視線を外さないまま、向かいの椅子を手で静かに示した。
ザックは席に着き、その男の手元へ視線を向ける。
ページをめくる指先には、まるで一切の震えがなかった。
やがて男はゆっくりと本を閉じる。
静かな庭に、小さく乾いた音が響いた。
眼鏡を外し、本の上へ置く。
そして法廷で幾多の被告人を見抜いてきた鋭い青い瞳が、真っ直ぐザックを射抜いた。
低く、かすれた声。
だが、その静かな重みは、聞く者に自然と耳を傾けさせる力を持っていた。
「待っていましたよ、レスターさん。」
ザックは思わず目を瞬かせる。
穏やかだった表情は驚きと戸惑いへ変わり、自分の胸を指差した。
「えっ……俺を、ですか?」
フレデリックの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
どこか血の通っていないような、冷たい笑みだった。
「ええ。
ローレンからあなたの話を聞いた時から、ずっと待っていました。」
ザックはゆっくりと瞬きを繰り返す。
(ローレン?
また知らない名前が出てきたぞ……。
この人、わざと俺を混乱させてるのか?)
しかし、その笑みは一瞬で消え失せた。
代わりに現れたのは、厳しく冷たい眼差し。
「レスターさん。
あなたは大胆だ。
そして……少し変わっている。」
突然の言葉に、ザックは黙ったままだった。
褒められているのか、それとも別の意味なのか、判断できない。
フレデリックは考える時間すら与えず、そのまま話を続けた。
「では、私に何を聞きたいのです?
長年この仕事をしてきた勘ですが……
あなたの質問は、おそらくロジャーについてでしょう。」
ザックはわずかに目を見開く。
(嘘だろ……。
どうしてそこまで分かる?
この人、頭の回転が別次元だ。
この機会を無駄にはできない。)
姿勢を正し、真剣な声で答える。
「ええ。
ロジャーと、その友人ジェルメインについてです。
証拠はすべて、パソコンを盗んだのがジェルメインだと示しています。
ですが、ロジャーは一切協力してくれません。
彼を捕まえるための、最後の手掛かりが欲しいんです。」
フレデリックはゆっくり頷いた。
その表情には、どこか品のある自信が滲んでいる。
「予想どおりです。
レスターさん。
あなたは天才ではありません。
ですが、一つだけ非常に優れた資質があります。
正しいことと間違っていることを見極められる。
それだけで十分です。
……ただ、その質問に答える前に、一つ知っておくべきことがあります。」
一拍置き、彼ははっきりと言った。
「盗まれたノートパソコンは……
ロジャーの物ではありません。
私の私物です。」
その言葉は、ザックにとってまるで雷に打たれたような衝撃だった。
彼はその場で硬直し、目を大きく見開く。
(そんな……あり得ない。もしそうだとしたら、どうして――)
まるで心の中を読んだかのように、フレデリックが口を開いた。
「ええ。
息子はあなたに嘘をつきました、レスターさん。
理由はただ一つ。
私に叱られるのが怖かったからです。
盗難が起きたその日に、私はすべてを知りました。
妻のローレンが、ロジャーのノートパソコンが部屋に置かれたままであることに気づいたのです。
その朝、彼がノートパソコンを持って出かける姿を見ていたにもかかわらず、です。
そこで彼女は家中のパソコンを確認し、その結果、私の私用ノートパソコンの一台がなくなっていることを突き止めました。
すぐに私へ連絡をくれたおかげで、何が起きたのか理解できました。
ですが、私たちはロジャーを問い詰めませんでした。
あの子を余計に追い詰めたくなかったからです。」
その時だった。
静まり返っていた庭へ、ローレン――ザックがようやく名前を知ったコックスオール夫人――が木製のトレーを手に戻ってきた。
温かい紅茶の入ったティーポットと二つのカップをテーブルへ静か
フレデリックは温かな紅茶を一口含み、静かにカップを置くと、再び語り始めた。
「小学校でも、中学校でも……。
ロジャーは純粋な気持ちで、何度もクラスメイトと友達になろうとしました。
ですが、その努力はことごとく失敗に終わったのです。
彼が得たものは、拒絶と失望だけでした。
その積み重ねが、あの子をさらに心の奥へ閉じこもらせてしまったのです。」
一度言葉を切る。
庭を吹き抜ける穏やかな風だけが、二人の間を流れていた。
「高校へ進学した頃には……
ロジャーは完全に諦めていました。
もう誰かと関わろうとはしなくなり、自分は人間関係を築くことのできない欠陥品なのだと、本気で思い込んでしまったのです。
そして、生徒たちだけでなく学校そのものを憎むようになりました。
理由は単純です。
彼らはロジャーを幽霊のように扱っていた。
まるで、この世界に最初から存在しない人間であるかのように。」
フレデリックは再びザックへ視線を向ける。
その声には、それまでとは違うわずかな熱が宿っていた。
「ですが、ほんの二か月前……
すべてが変わりました。
ジェルメイン・デ・ナズと出会ったのです。」
彼は穏やかに微笑む。
「信じてください、レスターさん。
あの子は別人になりました。
何年も見たことがないほど明るい表情で家へ帰ってくるようになった。
頻繁に外出するようになり、自室から笑い声が聞こえてくることさえありました。
ジェルメインは、ロジャーにとって生まれて初めてできた本当の友達だったのです。
しかも、ただの友達ではありません。
夢も。
興味も。
情熱も。
二人は驚くほどよく似ていました。
あまりにも幸せそうなロジャーを見て、私もローレンも、自分たちの息子とは思えないほどでした。」
深く息を吐くフレデリック。
短い沈黙が庭を包み込む。
その言葉は、父親としての想いそのものだった。
ザックは胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えながら、その話に聞き入っていた。
しばらく考え込んだ末、彼は口を開く。
「ですが……
なぜロジャーは、あなたのノートパソコンを盗んだんですか?
それに、そのパソコンには仕事に関する重要なデータでも入っていたんですか?」
フレデリックは迷うことなく答えた。
「最初の質問に答えられるのは、ロジャー本人だけです。」
そう言ってから、意味深な笑みを浮かべる。
「二つ目についてですが……
あのノートパソコンには、『C級犯罪者』に関する事件資料が保存されています。
私たちが社会の屑と見なしている者たちの記録です。
もっとも、あなたが思っているほど重要なものではありません。
すべて別にバックアップを取っていますから。」
その言葉を聞いた瞬間、ザックの背筋を冷たいものが走った。
――C級犯罪者。
その単語だけが、妙に耳へ残る。
そして彼は、この事件が自分の想像よりはるかに大きなものだと、初めて実感した。
ロジャーは細い路地を、ふらつきながらゆっくりと歩いていた。
力の入らない身体を壁へ預け、一歩、また一歩と重い足を前へ運ぶ。
右目はひどく腫れ上がり、濃い青紫色の痣に覆われていた。
もう片方の手では折れた腕を必死に支え、歩くたびに全身を駆け巡る激痛に耐えている。
ロジャーは地面へ血を吐き捨てる。
そして、食いしばった歯の隙間から、怒りと悔しさに満ちた声を漏らした。
「くそっ……あいつら……。
特に、あのでかい馬鹿野郎……。
ジェルメインさえ一緒にいてくれたら……
あんな連中、一生忘れられないくらい叩きのめしてやれたのに……。」
しかし、それ以上は耐えられなかった。
ついに身体から力が抜ける。
膝が崩れ落ち、彼は冷たい地面へ倒れ込んだ。
涙が、自分の意思とは関係なく頬を伝う。
土埃と血に混じりながら流れ落ち、静まり返った路地に押し殺した嗚咽だけが響いていた。
「痛い……。
本当に痛い……。
骨が折れたのなんて、生まれて初めてだ……。
また新しい経験だ……。
最悪の、新しい経験だけど……。」
ロジャーはゆっくりと目を閉じ、小さく呟く。
「ジェルメイン……
どこにいるんだ……。
今、お前がそばにいてくれたら……。」
痛みと震えで思うように動かない指を必死に動かし、彼は苦労してポケットからスマートフォンを取り出した。
画面を開き、ジェルメインの名前を押す。
耳へ当て、呼吸を止めるような思いで呼び出し音を待った。
一回……。
二回……。
三回……。
しかし――
返事はなかった。
そのまま通話は途切れ、誰も応答することはなかった。
暗い路地裏に残されたのは、
ロジャーと、
彼を包み込む静寂だけだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
もし気に入っていただけたら、評価やブックマーク、感想をいただけると励みになります。
次回のエピソードもお楽しみに!




