見えない糸
読んでいただき、ありがとうございます!
それでは、第十九話をお楽しみください。
家の中は静寂に包まれていた。
ザックは忍び足でリサの部屋の前までやって来ると、そっと中を覗き込んだ。
リサは深い眠りについている。
顔にははっきりと疲労の跡が残っていたが、その唇には満ち足りたような穏やかな微笑みが浮かんでいた。
ザックは数歩後ろへ下がり、温かな笑みを浮かべる。
(やれやれ……どうやら本当に俺のことを大切に思ってくれてるみたいだな)
そう心の中で呟いた後、小さくため息をつく。
どこか罪悪感を覚えながら、再び胸中で言葉を続けた。
(くそっ……俺はそんなふうに感謝されるほど立派な人間じゃないんだけどな、リサ)
ザックは静かにリビングへ向かった。
そしてソファへ倒れ込むように横たわる。
目を閉じながら今日一日の出来事を思い返し、皮肉っぽく笑った。
(結局、新しいスーツも買ったし、明日はリサと一緒にパーティーへ行くことになった……。まあ、食事が出たらどうせソースをこぼして汚すんだろうな。これって長年連れ添った相棒のスーツに対する裏切りじゃないか?)
寝返りを打ちながら両手で顔を覆う。
(はぁ……もう寝よう。せめて今夜は変な悪夢を見ませんように)
◇
しかし――。
ザックはソファの上で何度も寝返りを打っていた。
右へ転がり、左へ転がり、数秒ごとに頭の位置まで変えてみる。
だが全く意味がない。
睡魔は一向に訪れてくれなかった。
彼は天井を見つめながら、まるで懇願するように枕を撫でる。
「ベッドよ……頼むから今だけは俺を見捨てないでくれ……」
目を押さえながら苛立ったように息を吐いた。
「くそっ……全然眠れない!」
再び目を閉じる。
そして昔ながらの数え方でも試そうと思い立った。
眠気を呼び込むため、小さな声で数え始める。
「温かいミルク一杯……温かいミルク二杯……温かいミルク三杯……温かいミルク四杯……」
その時だった。
傍らに置いてあった携帯電話が震える。
画面にはフェリックスからの着信が表示されていた。
ザックは即座に電話へ出る。
「フェリックス?」
すると受話器の向こうから、驚きと緊張に満ちた声が飛んできた。
「おい! フレドリックさんを殺した犯人が捕まったぞ! ついさっき逮捕されたんだ! フレドリックさんの机から見つかった指紋の一つと一致した。それに、あいつは最後に被害者と面会した人物でもある!」
その言葉は雷に打たれたような衝撃となってザックを襲った。
目を大きく見開き、信じられないという表情を浮かべる。
「本当なのか、フェリックス!? だって考えてみろよ。フレドリックほどのベテラン検察官を暗殺した人物だぞ? そんな人間がこんなにあっさり捕まるなんてあり得るのか!?」
フェリックスは深く息を吐いた。
そして真剣な口調で言う。
「だが、それが事実なんだ。明日はかなり長くて厳しい一日になるぞ。覚悟しておけ」
ザックは顔を手で擦りながら考え込んだ。
「分かった……分かったよ」
翌朝早く――。
ザックとフェリックスは車の中にいた。
フェリックスはエンジンをかけると、真剣な表情でザックへ視線を向けた。
「この事件は一気に動き始めているぞ、ザック。フレドリック検察官殺害事件の容疑者はすでに逮捕された。それに、お前から聞いた話によれば、ノートパソコンを盗んだ犯人も捕まり、自分がジェルメーヌ・デ・ナズになりすましていたことを認めたらしい。だが――俺は確信している。この事件はまだ終わっていない」
そう言うと、フェリックスは次の行動を告げた。
「まずは刑務所へ向かう。フレドリックさんを殺した犯人……いや、正確には第一容疑者に会いに行くぞ」
ザックはシートベルトを締めながら頷いた。
「分かった。会ってみよう。少しでもこの謎を解く手がかりをくれるといいんだけどな」
◇
二人は刑務所へ到着し、正面ホールへ入った。
そしてアスコ・マイコタという被告人との正式な面会申請を提出する。
探偵という立場もあり、申請はすぐに許可された。
数分後――。
面会室の扉が開く。
中へ入ってきたのは、ひどく重たい足取りの男だった。
かなりの高齢で、長い年月と疲労の重みがその顔に刻まれている。
老人はザックとフェリックスの向かいに腰を下ろした。
二人は思わず驚いた表情を浮かべる。
だが、彼らが手帳を開くより先に、老人――アスコが震える両手を持ち上げた。
そして懇願するような声で言う。
「私は無実です……! 信じてください、若いお二人。私は人の命を奪うような人間ではありません……! 私には娘がいるんです。この厳しい世界でたった一人の娘が……。私はあの子のもとへ帰らなければならないんです!」
その姿と切実な声に、ザックとフェリックスはさらに驚かされた。
しかし気を取り直し、質問を始める。
「なぜあの日、裁判所へ行ったんですか?」
アスコは二人を交互に見ながら答えた。
「検察官から直接呼び出されたんです。会いたいと言われて……実際に会って少し話をしました。その後はすぐ帰りました。本当にそれだけです。どうか信じてください」
ザックが興味深そうに尋ねる。
「どんな話をしたんです? そもそも、なぜあなたが呼ばれたんですか?」
老人は小さくため息をついた。
「彼とは昔からの知り合いだったんです……。少し昔話をしただけですよ」
フェリックスが眉をひそめる。
「昔から? いつ頃から知っていたんですか?」
アスコは悲しげな声で答えた。
「二十年ほど前です……。彼は、私が関わったある事件の担当検察官でした」
その瞬間――。
ザックとフェリックスの目がさらに大きく見開かれた。
ザックは身を乗り出して尋ねる。
「つまり、今あなたに起きていることは誰かが仕組んだ罠だと思っているんですか?」
しかしフェリックスがすぐに制止した。
「ザック! 余計な質問はするな。決められた範囲で聞け」
だがアスコはゆっくりと頷く。
目には涙が浮かんでいた。
「ええ……。これは誰かが仕組んだ陰謀です。どうか信じてください」
フェリックスは立ち上がり、スーツを整えた。
「分かりました。ご協力ありがとうございます。それでは失礼します。行くぞ、ザック。必要な情報は十分得られた。これ以上アスコさんを疲れさせるわけにはいかない」
◇
二人は刑務所を後にした。
駐車場へ向かう途中も、顔には困惑と驚きが残っている。
ザックが信じられないという様子で口を開いた。
「どう考えてもおかしいだろ。あんな弱々しい老人がフレドリックほどの人物を殺せるとは思えない。どう見ても裏で誰かが糸を引いている!」
フェリックスは考え込みながら答えた。
「だが、お前も聞いただろう。二人の間には昔の事件がある。その恨みが動機だった可能性もある。犯行後に後悔して無実を主張しているだけかもしれない」
ザックは納得できない様子で首を振った。
「確かに可能性としてはある。でも俺はそうは思わないな」
フェリックスは車のドアを開いた。
「次はフレドリックさんの秘書の家へ向かう。彼女なら仕事や行動についてもっと詳しく知っているはずだ。だがよく聞け、ザック。質問をしすぎるな。勝手な捜査もするな。俺たちはこの事件の正式な担当じゃないんだ。慎重に動け」
ザックは助手席へ乗り込みながら答えた。
「分かったよ、分かった」
ザックとフェリックスは目的のアパートへ到着した。
二人は部屋の前に立ち、フェリックスが一定の間隔で数回ノックする。
しかし返事はない。
彼はもう一度落ち着いた調子でノックしたが、相変わらず部屋の中は静まり返ったままだった。
ザックはフェリックスの方を向き、急かすように言う。
「おいフェリックス、あの秘密の技を使えよ! ほら、あのドアを開けるやつだ。『ファイ』とかそんな名前じゃなかったか?」
フェリックスは半眼で彼を見た。
「俺の技術を軽く見るなよ、ザック。だが、そんな簡単に使えるものじゃない。もし中に本人がいて、警察に通報でもされたらどうする? 本気で取り返しのつかないことになるぞ」
ザックは苛立ったように息を吐く。
「くそっ……じゃあ俺たちはどう――」
その時だった。
言葉を最後まで言い終える前に、扉がゆっくりと開いた。
現れたのは五十代ほどの女性だった。
フェリックスはすぐに声をかける。
「失礼します。グリヴォラ・フロンドーサさんでしょうか?」
女性は警戒するような視線で二人を見つめた。
「私は母親です。娘に何の用でしょう?」
するとザックが柔らかい口調で言った。
「ご安心ください、奥様。私たちは探偵です。少しお話を伺いたくて来ただけなんです」
グリヴォラの母親は無表情のまま答えた。
「グリヴォラなら今はいません。裁判所へ行っています」
フェリックスはスーツを整えながら軽く頭を下げる。
「そうですか。ありがとうございます」
◇
二人はアパートの階段を下り始めた。
外へ向かいながら、ザックが腕時計を見る。
「それじゃあ裁判所へ向かおう。ちょうど俺も着いたら会う予定の人がいるんだ」
フェリックスはニヤリと笑いながら片目を閉じた。
「へぇ? もしかして秘密の恋人か?」
ザックは呆れたように答える。
「何を言ってるんだよ。従妹だってば」
――その時だった。
二人の横を、一人の女性が通り過ぎる。
魅力的なアプリコット色の髪を持つ女性だった。
彼女は、まさに二人が今出てきたばかりのアパートへ入っていく。
しかしザックもフェリックスも、その正体に気づくことはなかった。
◇
アプリコット色の髪の女性は部屋へ戻った。
リビングへ足を踏み入れた途端、母親が小声で呼びかける。
「グリヴォラ。さっき探偵たちがあなたを探しに来ていたわ。私は追い返して、あなたは裁判所にいると言っておいたけれど……あれで良かったのかしら?」
グリヴォラは微笑みながら母親の額にキスをした。
「ええ、お母さん。完璧な対応だったわ」
彼女は静かな足取りで幼い娘の部屋へ向かう。
眠っている娘の頬にそっと口づけを落とした後、自分の部屋へ入って扉を閉めた。
そしてスマートフォンを取り出し、慌てた様子である番号へ電話をかける。
相手が出ると同時に、彼女は緊張した声で囁いた。
「あなた……。あなたの予想は当たっていたわ。探偵たちが私を探し始めているの」
すると受話器の向こうから、厳しく真剣な声が返ってきた。
「誰とも話すな。絶対にだ。今すぐそこを離れろ、グリヴォラ。これは遊びじゃない」
グリヴォラは小さくため息をつく。
窓の外へ視線を向けながら、迷うように答えた。
「……考えておくわ」
第十九話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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それでは、また次回お会いしましょう!




