2・魔女は出逢う
木陰から飛び出た男は身の丈よりも巨大な大剣を軽々と振るい、ヒグマを胴体のど真ん中で真っ二つにした。
『おい、大丈夫か!?』
どうっと倒れるヒグマに目もくれず、リズレインに駆け寄ってくる男を一言で表すなら『山賊』だった。凶悪な面構えに筋肉の塊のような巨体、針金より硬そうなざんばらの黒髪、いまいち寸法の合っていない革鎧、頬を斜めに走る傷痕。
リズレインは地べたに座り込んだまま、ぼんやりと尋ねた。
『……殺さないのですか?』
『はぁ? 何言ってんだ、あんた』
『貴方は山賊なのでしょう? 私の身ぐるみを剥いで殺すのではないのですか?』
男は呆気に取られ、ばりばりと頭を掻いた。困ったような顔をすると、不思議な愛嬌がにじむ。
『山賊ってなあ……そりゃまあ無理はないと思うけどよ、これでも一応このあたりを治める領主なんだが』
『……領主?』
『なりたてほやほや、領主自ら晩飯を狩らなきゃならないような貧乏領地だけどな』
『……おーい! グレンの兄貴!』
がさがさと茂みを掻き分け、弓を手にした青年が現れた。真っ二つにされたヒグマに気づくや、不安そうだった顔をぱっと輝かせる。
『すげえ大物だ! 冬なのによくこんなでかいのが狩れたな!』
『穴持たずだな。今年は山の実りが豊かだったんで、冬眠しないで活動し続けてるんだ。極上の餌につられて出てきたんだろうよ』
男がくいと顎をしゃくってみせ、青年はやっとリズレインに気づいたようだった。
『極上の……?』
青年がきょとんとするのは当然だ。リズレインは目眩ましの術でごく平凡な容姿の男に化けている。極上なんて、ありえないのに。
『何言ってんすか、兄貴。どっからどう見ても普通の兄さんじゃないっすか』
『普通って、お前こそ何言って……』
『……お助け頂き、ありがとうございました』
リズレインは立ちあがり、噛み合わない会話に割り込んだ。振り返った青年に魔力のこもった眼差しを向ける。
『早く血抜きをしなければ、せっかくの肉が台無しになってしまいますが、よろしいのですか?』
『あ、……ああ、そうだな。兄貴、俺、村から人を呼んできます!』
青年はぱちぱちと瞬き、山を下りていった。男が『おい、待て!』と声をかけても、振り返りもしない。
『何だぁ……?』
『少々、魔力を使わせて頂きました。意識を逸らす程度で体調に問題はありませんのでご安心下さい』
『……魔力だって?』
男の獰猛な目が警戒を帯びた。人間は誰しも魔力を持って生まれてくるが、魔術として行使できるのは限られた者のみだ。……魔女を除けば。
そして魔術師と呼ばれるのは、たいていが貴族である。
『貴方には、私がどのように見えているのですか?』
『どうって……とんでもない上玉だよ。その金色の髪といい青い目といい、どう見たってお貴族様なのに……あ、もしかして』
男は話している間に察したようだった。なかなか勘の鋭い男だ。
『はい、この見た目を隠すための術をかけております。ですが貴方には術が通じないようですね』
『あー……、そういうことか』
『驚かれないのですね。目眩まし程度の術とはいえ、見破れる人間は少ないのですが』
見たところ男は魔術師ではない。魔術師ではない人間に目眩ましの術を見破られたのは初めてだ。
『まあ、たまーにあるんだよ。死んだはずの祖父さんとか、鍵に細工された痕跡とか、魔術で上物に見せかけられた小麦袋とか、色々見えちまうことが』
『……なるほど。貴方は善き精霊の祝福を受けられたのですね』
『善き精霊ぃ? 何だそりゃ』
戸惑う男に、リズレインは説明する。
自然界に漂う小精霊は、ごく稀に人間を見初め、祝福を与えることがある。その人間が育てる植物の成長を早めたり、水難に遭わないようにしたり、ほんの少し身体能力が高まったり。精霊によって内容は違うが、魔術に比べればささやかな、ただの偶然や運で片付けられることも多い祝福。
それを授ける精霊を、善き精霊と呼ぶ。
『とは言え、貴方のように真贋を見抜くような祝福は私も初めてお目にかかりました。小精霊ではなく、中位以上の精霊かもしれません』
『小でも中でも、どうでもいいけどよ。つまり俺の目がいいのは、その善き精霊とやらのおかげなのか?』
『そういうことになりますね』
『そうか。……ありがとな』
男は虚空に向かって声をかけた。一つところに留まらない精霊は、とっくに男から離れているはずなのだが……その時、リズレインは確かに人ならざる高位の存在の気配を感じたのだ。




