3・魔女は戸惑う
その後、リズレインは男と共に山を下りた。ふもとには小さな村があり、他よりもほんの少し大きな家が領主館……男の自宅だという。
『そういや、まだ名乗ってなかったな。俺はグレン、このベルゼウフ領の領主で一応男爵ってことになってる』
自室兼執務室で自己紹介された。私的な空間に通されたのは、それなりに信頼された証だろう。
『魔術師のリズレインと申します。わけあって流浪の旅をしております』
『そうか。あんなのに出くわしちまって災難だったな』
魔女ほどではないが、魔術師もじゅうぶん珍しい。今まで出逢った人々は根掘り葉掘りリズレインの事情を聞き出そうとしたものだが、グレンはそれ以上何も尋ねようとしなかった。ヒグマ程度たやすく倒せるはずの魔術師が抵抗すらしなかった理由も。
『危ういところを助けて頂き、ありがとうございました。よろしければお礼を……』
『あー、いい、いい、そんなもの。お前さんが囮になってくれたおかげで貴重な肉が狩れたし、いいことも教えてもらえたしな』
熊肉は使いでがあるんだよな、と笑うグレンはとても貴族には見えなかった。豪快な見た目もだが、何より。
『……俺のこと、貴族らしくねえなって思ってるな?』
『あ、いえ、決してそのようなことは』
『責めてるわけじゃねえよ。実際、ほんの半年前まではただの雑兵だったんだから』
グレンはからりと笑い、話してくれた。ベルゼウフ領主に収まるまでの数奇な道のりを。
元々は、さびれた農村の生まれだという。
だが三男坊では受け継ぐ畑もなく、商都へ働きに出ようと思っていたら、領主から村に徴兵の命令が下された。魔物の群れが大発生し、討伐のための兵士を増員しなければならなかったのだ。跡継ぎの長男と可愛がっている次男を手放したくないグレンの両親は、迷わずグレンを差し出した。
来る日も来る日も魔物を倒し続け、グレンはとうとう群れのボスに遭遇した。
ボスは小山ほどの大きさのカマキリ型の魔物だったそうだ。虫型の魔物は魔物の中では弱い方に分類されるが、カマキリ型の魔物は倒しても倒しても復活し、討伐隊を苦しめた。
戦ううちにグレンは魔物が動いても魔物の影は微動だにしないことに気づき、影の中心に剣を突き立てた。すると魔物は絶叫して倒れ、二度と起き上がることはなかったのである。
『つまり影こそが魔物の本体で、カマキリは囮だったってことだな』
わかってしまえば簡単な事実にグレンだけが気づいたのは、善き精霊の祝福のおかげだったのだろう。
領主から報告を受けたサザランド王は歓喜し、殊勲のグレンに男爵位と小さな領地を与えた。寒村出身の雑兵が一躍男爵、しかも領主だ。
ありえない大盤振る舞いに驚いたグレンだったが、与えられた領地に赴いてすぐ王の意図を理解した。
そこはカマキリ型の魔物が大暴れしたせいであまたの民が犠牲になり、荒れ果てた村だったのだ。元の領主はとっくに金目のものを持って逃げ出し、金庫も穀物庫も空っぽ。そんな領地、既存の貴族は誰も引き受けない。
そこで王は一計を案じ、グレンを領主として送り込んだのだ。
カマキリ型の魔物さえ倒すグレンなら、たいていの危機はどうにかできる。非難する面倒な貴族の親族もいない。万が一死んでも、誰も文句は言わない。
『……ま、ていのいい貧乏くじを引かされたってわけだ』
グレンが苦笑で締めくくると、リズレインの心の奥にもやもやとした黒い感情が生まれた。ずんと胸を蝕むような、わけもなく叫びたくなるような、初めてのそれに戸惑いながら尋ねる。
『なぜ、笑っていられるのですか?』
『……?』
『民を守るのは領主と王の義務でしょう。二人は義務を怠りあまたの犠牲を出した挙げ句、何の責任もない貴方に後始末を押し付けたのですよ?』
グレンは大きな目をぱちぱちとしばたたき、ふはっ、と噴き出した。
『何でお前さんが怒ってるんだよ』
『怒る……? 私はただ胸がもやもやとして、重たくてたまらないだけですが』
『それが怒ってるってことじゃねえか。……何だ、わかってなかったのか?』
グハハハ、と盛大に笑われ、リズレインは呆然とした。
(怒る……私は今、怒っている……?)
怒りという感情そのものは知っていた。魔女の里では誰もがリズレインにぶつけてきたから。不吉な母親殺しに対する恐怖と一緒に。
けれどリズレイン自身がそれを感じることはなかったのに――今日出逢ったばかりの、赤の他人のために怒っているというのか?
そっと胸に手を当てた時だ。
『なあ、リズレインよ。お前さん、行くあてがないならしばらくここに留まらないか?』
リズレインを面白そうに眺めていたグレンが、ふいに問いかけてきたのは。




