1・魔女は回想する
前章のネタバレ編となります。
必ず前章を読んでから、こちらをお読みください。
炎と領民の熱気に包まれたベルゼウフ領を抜け、リズレインとカガリはひとまず隣街の宿屋に落ち着いた。
「うう……鳴くよウグイス平安京……」
道中ずっと上機嫌だったカガリは『疲れてない』と言い張っていたが、ベッドに入るとすぐ寝息をたて始めた。やはり疲れていたのだろう。
リズレインはベッドに上体を乗り上げ、肘をついて安らかな寝顔を眺める。不思議な寝言に頬が緩んだ。カガリが生まれる前に暮らしていたという、ニホンという国の言葉だろうか。
「本当に……不思議なお方ですね、貴方は」
額にかかった前髪をよけてやり、まだ幼さの残る頬を撫でる。
「あれほど鋭い知性と用心深さを併せ持ちながら、私のことはまるで疑わないのですから……」
一度信頼し、懐に入れた者はとことん信じ抜く。そういうところは変わらない。昔の彼のままだ。
「ふ……、ふふ、ふふふっ……」
笑うリズレインの瞳の奥が、ちりちりと熱を孕む。
鏡を見なくてもわかる。きっと今、自分の両目は血のように紅く染まっているだろう。
鮮血の紅――魔女の証。
カガリには絶対に見せられない。
「可愛いカガリ様」
冥界の女王の末娘が人界に降り、人間の男との間に生んだ娘たちの末裔。悪魔と契約し、その膨大な魔力を体内に宿して自在に使いこなす魔の申し子。人間の男と番って次代を産む。それが魔女だ。
カガリは最後まで気づかなかった。
冥界の女王の末娘の血を引き、悪魔と契約できる者が魔女と呼ばれるのであって、魔女が必ず女性であるとは限らないことに。
だがカガリをうかつだと責めるのは酷だろう。連綿と続いてきた魔女の系譜で、魔女が産むのは必ず次代の魔女……娘だけだった。人間も魔女たち自身も、魔女からは女しか生まれないものだと……魔女とはそういう種族なのだと思い込んでいたのだ。
だから約七百年前、リズレインが魔女である母から生まれ出でた時、魔女の里は驚愕と恐怖に包まれた。
初めて生まれた男の『魔女』。しかもリズレインの母魔女はリズレインを産み落とすと同時に全身が干からび、死んでしまった。老いを知らぬはずの魔女が、老婆のように老いさらばえて。
母親殺し。不吉な男の魔女。
魔女たちはリズレインを糾弾し、忌み嫌ったが、殺すことも里から追い出すこともなかった。無力な赤子に慈悲をかけたわけではなく、まだ健在のリズレインの祖母――大魔女と尊崇される里長に遠慮したのだ。
だがリズレインが十五歳になった時、里を出るよう命じたのも里長だった。
『お前という存在は我らにとって不吉と不安の象徴。二度と舞い戻るでないぞ』
恨む気持ちはなかった、と言えば嘘になる。
けれど里長の心情も理解できた。リズレインが里に残り続ければ、年頃の魔女は『自分も男を産んで死ぬかもしれない』と不安になり、男と番うのを避けるだろう。
血を分けた孫より里の存続を優先するのは、里長として当然だ。
わずかな荷物だけを持って魔女の里を出たリズレインは、人界をあてどもなくさすらった。
魔女が人界に現れれば大騒ぎになるが、リズレインが騒がれるのは人間離れした美貌だけだった。魔女は紅い目の美女、という思い込みがリズレインを守ったのだ。
魔女は変身術を使えるが、紅い瞳だけは隠せない。だがリズレインの瞳は生まれつきサファイアのような碧眼だった。魔女たちが恐れ、忌み嫌ったそれが人界では大きな助けになったのは皮肉な話だ。
最初のうちは、多少痛い目を見ることもあった。
だが数年も経てば美貌を目眩ましの術でごまかし、人ごみに紛れるすべを覚えた。けれど男の魔女――世界にたった一人だけの異質な存在である事実はリズレインの心に深く突き刺さったまま抜けることはなく、時折血をにじませるのだ。
旅の途中で仲良くなった人々とて、リズレインが母親殺しの不吉な魔女だと知れば、罵倒と共に離れていくに違いない。
誰にも受け入れられない。
空虚な心を抱えたまま放浪を続け、どこかで自分などどうなってもいいと思っていたのかもしれない。
サザランド王国の東方、ようやく開拓の手が入り始めたばかりの辺境。その山中を移動していた時、巨大なヒグマに襲われたリズレインは、無抵抗のまま喰らわれようとした。
むなしくなったのだ。
ヒグマの一頭や十頭、リズレインなら指一本で片付けられる。
けれど生き延びたところで、またあてどもなくさまようだけ。ならばいっそ獣の糧になった方がよほど意義のある生き方ではないか。
だが、ヒグマの爪がリズレインを引き裂こうとした瞬間。
『……馬鹿野郎! 死にたいのか!?』
リズレインの人生を一変させる出逢いが訪れたのだ。




