7・めでたし、めでたし……?
リズレインの碧眼がわずかに潤んだ。
「……カガリ様に、そうおっしゃって頂けるとは思いませんでした」
「何だよ、それ。俺だって感謝はするし、礼だって言うさ。……まあ、今は礼を言うだけしかできないけど」
当座の着替えや旅費は持ち出したが、リズレインのこれまでの貢献をねぎらえるだけの金はない。うっかり領民に見つかったら厄介なので、サンドラが貯め込んだ宝石なども持ち出さなかった。
「そのお言葉、私にとって千金にも勝ります。ですがもし……」
「もし?」
「もしお許し頂けるなら……これからも私をカガリ様のおそばに置いて下されば、何よりの褒美にございます」
ぱちぱち、とカガリは黒い瞳をしばたたいた。
「でもリズ、お前はベルゼウフ家をぶっ潰したいから俺に協力してくれてたんだろ? もう俺と一緒にいる理由はないんじゃないか?」
「いいえ、カガリ様。十年間お仕えするうちに、私は悟ったのです。貴方こそ私が探し求めていたお方だと」
共に過ごした思い出をたなごころに包むように、リズレインは微笑んだ。
「魔女の呪いを受けると聞けば、普通の人間なら血眼になって解呪の方法を探すか、魔女の慈悲を乞うか、自暴自棄になるかのどれかです。けれどカガリ様は魔女の呪いを条件文とみなし、条件を満たさないことで呪いを回避なさった」
「俺にとっては、誰もそこに思い至らないのが不思議だったけど」
「魔女は畏怖の象徴です。魔女に呪われた時点で、普通の人間は思考停止してしまうものですよ」
リズレインの人間離れした美貌を陰が彩る。出会いから十年経っても、この男は変わらない。
(そういえばこいつ、いくつなんだっけ? 年齢聞いたことなかったような……)
「領主一家には容赦のない鉄槌を下させる一方、領民には情けをかけられた。蜂起の日までほとんど餓死者が出なかったのは、カガリ様がひそかに食料を配布されたおかげでしょう」
「……領民には何の恨みも責任もないんだ。その程度のケアは当たり前だろう」
「そうですか? 王都までベルゼウフ家の行状を事細かに記した告発状を送り、領民が裁かれずに済むよう取り計らうのは、当たり前とは言えないと思いますが」
一月ほど前、カガリは匿名で王家にベルゼウフ家の告発状を送っていた。
領主一家が滅びたベルゼウフ領には、いずれ王家から監察官が派遣され、反乱に至った経緯を調査することになる。反乱がベルゼウフ家の長年にわたる悪政によって起きたのだと証明されれば、王も領民を厳罰に処さないだろう。
王は新たな領主を任命し、荒廃したベルゼウフ領を建て直させなければならない。領民を厳しく罰すれば、再建が遠のくだけだ。
「ベルゼウフ家がとんでもないクソッタレ領主だったとわかれば、クソ親族が王に再興を懇願しても却下されるだろう。そのためだ」
万が一『ベルゼウフ家』が復活などされたらたまらない、と毒づくカガリをリズレインは微笑ましげに見やる。
「貴方にそのつもりはなくても、貴方はあまたの人々を救っていらっしゃる。そういうところが、本当に……」
「リズ?」
「……本当に、……たまらない……」
リズレインは片膝を折ってひざまずき、カガリを見上げた。つかの間、サファイアよりも澄んだ瞳に映る自分が別の人間に見え……なぜかその顔に既視感を覚え、カガリは戸惑う。
「私はこれからもずっと貴方をおそばで見つめていたい。……ご迷惑ですか?」
「あ、いや、迷惑なんて、そんなわけないだろ。そこまで言ってくれるのは嬉しいし、リズが一緒に来てくれたら、そりゃあ心強いよ」
「では、なぜためらっていらっしゃるのですか?」
「だって、俺はこれから住所不定無職になるんだぞ。お前に給金も出してやれない。いや、今までだって出してたわけじゃないけど……」
カガリは無償労働とサービス残業を忌み嫌っている。やりがい搾取も大嫌いだ。
これから別の街に移り、落ち着き次第仕事を探すつもりだし、ある程度目星はつけているが、それまでは無職である。とてもリズレインの給金を出す余裕はない。
「給金など必要ありません」
「お前なあ、だからそれはやりがい搾取だと……」
「やりがい搾取でもありません。カガリ様、冒険者ギルドに興味はありませんか?」
唐突な問いにカガリはきょとんとする。
冒険者ギルドそのものは知っている。魔物討伐や薬草の採取、各種調査などを請け負う個人業者――冒険者を統率する組織だ。前世のラノベではおなじみの存在だった。
だが荒事メインの組織と、優美なリズレインが結びつかない。
「実はギルドに少々伝手がございまして、仕事を手伝って欲しいと前々から頼まれていたのです。もしよろしければ、カガリ様もご一緒にどうかと思うのですが」
「ギルドの仕事? 冒険者とは違うのか?」
「ギルドの内々の事務仕事……のようなものです。口が堅い者でなければ務まらないため、万年人手不足なのですよ」
それはそうだろうなと思いつつも、ますます疑問は大きくなる。
ギルドに伝手があるくらいなら、ベルゼウフ家に潜入した時、リズレインはそれなりの年齢だったはずだ。けれどそれから十年が経った今でも、リズレインの外見はせいぜい二十代前半くらいのまま変わらない。
若く見える、のではない。本当に若いのだ。エルフの血でも入っているのだろうか? 排他的なエルフが人間との間に子をもうけることは、めったにないと聞くが。
そしてそんな人物が、どうしてベルゼウフ家に恨みを抱くに至ったのだろうか?
「……本当に、事務仕事なんだろうな?」
湧き出る疑問を、カガリはすぐさま放り捨てた。
リズレインが何者でも構わない。大事なのはリズレインがリズレインであり、カガリを裏切らないということだから。
知らないことは、これから知っていけばいいだけだ。魔女の呪いから解放されたカガリには、時間はたくさんある。
もう、魔女の紅い目に怯えなくていい。
「ええ、もちろん。カガリ様なら問題なくこなせると思います」
事務仕事は前世でさんざんやったし、魔物退治よりは向いているだろう。カガリもどこかの商会に事務員として潜り込もうと思っていたのだ。
「わかった。……じゃあ、世話になることにする。よろしく頼む」
リズレインが差し出した手に、カガリは己のそれを重ねた。
リズレインは美貌をほころばせ、そっとカガリの手の甲に頬を擦り寄せる。ひんやりしているのに熱い、みずみずしい肌にカガリの心臓が跳ねる。
「お世話させて頂きます。これからもずっと、ずっと……幾久しく」
さらりと肩口からこぼれた長い金髪の陰で。
サファイアの瞳の奥が紅く染まった。
これにてカガリの章は完結です。お付き合いありがとうございました。
私の書く話を普段から読まれている方はおそらく想像がついていらっしゃると思いますが、次からはリズレインの章が始まります。別名ネタバレ章です。




