9・魔女は呪う
サタナファガスは因果律を歪め、異なる世界からグレンの魂を呼び戻すための道筋を造った。
ただし、グレンの魂が戻ってくるのは――再びこの世界の人間として生まれ変わるのは王国暦778年。今から五百年以上先の未来の話になる。
普通の人間ならとうてい待てない時間も、魔女なら待てる。魔女として生まれたことを感謝する日が来るとは思わなかった。
叶うなら、生まれてすぐこの腕の中にさらってしまいたい。今度こそどこにも逃がさないように。
けれど魔女の魔力は赤子には毒だ。しばらくの間は遠くから見守って、身も心も成熟する頃……そう、この世界の成人である十六歳になったら迎えに行けばいい。
生まれ変わったグレンが十六歳になる日。
王国暦794年。
『王国暦794年になったら、一番に貴方を迎えに行きます。それまで……しばし、お別れです』
冷たくなったグレンの唇に口づけた時、ガタン、と寝室の入り口で大きな物音がした。振り返れば、グレンから特効薬を譲り受けたあの若い女が青ざめ、腰を抜かしている。
『ま、……魔女、魔女がっ……』
震える指先に指され、リズレインは悟った。目眩ましの術が解けていることに。
長い金髪を乱し、紅い目を輝かせ、グレンに覆いかぶさったリズレインは、混乱しきった女の目には魔女にしか見えないだろう。
『魔女が、旦那様に、呪いをっ……!』
這うように逃げ出した女を、リズレインは追わなかった。他にやるべきことがあったからだ。
グレンの遺体を運び出し、リズレイン以外の誰も近づけない山中に埋め、リズレインもまた眠りについた。サタナファガスに見返りとして与えた膨大な魔力を、回復させるために。
次に目覚めたら二百年近くが経っており、久しぶりに訪れたベルゼウフ領には奇妙な伝承が語り継がれていた。
『王国暦794年、魔女がベルゼウフ家の長男を呪いに来るであろう』
……あの女か、とすぐに思い至った。
リズレインがグレンに捧げた言葉。
『王国暦794年になったら、一番に貴方を迎えに行きます』
あの女は、それが死した領主に対する魔女の呪いだと思い込んだ。そうすることで、少しでも罪悪感から逃れようとしたのかもしれない。
語り継がれる間に『呪い』は歪められてゆき、今の形になっていた。ベルゼウフ家の長男というのは、『一番に』というのが長男だと変換されてしまったのだろう。
ベルゼウフ領はグレンの甥の血筋に受け継がれていた。グレンが子を残さず死んだので、王はグレンの弟の子にベルゼウフ家を継がせたのだ。
グレンの弟は、グレンを殺そうとしたあの義母の息子。甥は孫に当たる。
降って湧いた領主の地位に甥は歓喜し、重税を課しては贅沢に溺れた。その子孫も似たようなもので、ベルゼウフ領はグレンが生きていた頃からは考えられないほど荒れていた。皮肉にも『魔女の呪い』が領主一族を守っていると知った時は、思わず笑ってしまったが。
ベルゼウフ家を監視対象にする一方、リズレインは生まれ変わったグレンを迎えるための準備を着々と進めた。
各種の商業ギルドや魔術師ギルド、冒険者ギルドなどを設立し、人間の経済活動を裏側から支配した。それぞれの代表者には人間の代役を立てたが、実質的な支配者はリズレインだ。
そうしてこのサザランド王国や周辺諸国がリズレインの手中に落ちた頃、王国暦778年。
悪魔の予知通り、グレンはこの世界に生まれ変わった。よりにもよってベルゼウフ家の長男カガリとして。
魂は因果律に導かれるから、かつての血縁者のもとに生まれるのはおかしい話ではない。けれど歪められた呪いの当事者として生まれてくるのは、因果律を越えた何かを感じさせた。
リズレインは目眩ましの術をかけ、ベルゼウフ家に使用人として潜り込んだ。カガリを見極め、守るために。
だが初めてカガリを見た時、リズレインは困惑した。確かにグレンと同じ魂の気配を感じるのに、グレンに抱いたあの狂おしいほどの愛おしさが湧いてこなかったのだ。
生け贄の長男として生まれてきたカガリは、父親や父の正妻に罵倒されれば母親のスカートの陰に隠れ、生意気な異母弟に意地悪をされても逆らわず、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ子羊のような少年だった。
……これが本当にグレンなのか?
命が脅かされぬよう守りつつも、リズレインは悪魔の予知が外れたのかもしれないと疑い始めていた。
そんな頃だ。
カガリの母親が亡くなり……カガリの様子が一変したのは。




