8・魔女は閉じ込める
あまりに潔く、気高く、グレンは逝ってしまった。その魂は冥界の河を流れ、現世の記憶を全て洗い流された後、冥界で永い眠りにつくことになる。
そんなの、認めない。
死でさえもグレンとリズレインを別つことは許されない。
グレンはリズレインと共に在るべきだ。
二度と、他人のために己を犠牲にせぬよう。
二度と、リズレイン以外の者に目を向けぬよう。
この身に閉じ込めて放さない。
『さあ、探せ。私のグレンを』
低く命じたリズレインにサタナファガスは息を呑み、ゆるゆると瞳を閉ざした。
サタナファガスなら、冥界に降った魂を探し出すくらい、たやすいはずだ。だが予知の悪魔は眉根を寄せ、唸りながら口を開く。
『……おらぬ』
『何……?』
『冥界のどこにも、そのグレンという人間の魂はおらぬ』
ありえないことだった。
この世に生きる者が死ねば、必ず魂は冥界へ降る。王侯貴族だろうと平民だろうと魔女だろうと、身分にも種族にも関係なく。
では、サタナファガスが偽りを述べているのか?
それもありえない。悪魔は召喚主に対し嘘をつけないからだ。
『……その、人間』
サタナファガスの目がグレンの遺体に向けられる。
『精霊の気配を感じる。人間が善き精霊と呼ぶ精霊の気配だ』
『精霊だと……?』
『おそらく精霊がその人間の魂に干渉し、異なる世界へ導いたと思われる。冥界におらぬのは、それゆえだ』
異なる世界――。
リズレインは、ふと思い出す。
『また生まれてくるなら、魔物がいなくて、面倒な身分もなくて、病気になったら誰でもすぐ治療してもらえて、食うに困らない平和な世界がいいよなあ』
伝染病に罹ったばかりの頃、グレンはそう言っていた。
そんな世界なんてあるわけがないと、笑ってもいたけれど。
グレンの願いを聞いた精霊は、肉体から解放された魂を導いた。
魔物がおらず、身分がなく、病気をすぐ治療してもらえて、食うに困らない世界へ。
……リズレインが生きるこの世界とは、異なる世界へ。
『その人間の魂は、もはやこちらの世界の因果律から外れた。呼び戻すことは……』
『ならば、因果律を歪めよ』
能わぬ、とサタナファガスが告げる前に、リズレインは命じた。
『あちらの世界の因果律に干渉し、グレンが再びこちらに生まれるよう歪めよ。貴様ならできるはずだ』
『そのようなこと……』
『できぬなら、ここで消滅させるまでだ』
魔法陣が不穏な光を放ち、サタナファガスは焼きごてを押しつけられたように『ギャッ』と悲鳴を上げた。
『我を消滅させると? そなた正気か? さようなことをすれば……』
『冥界の女王の怒りを買い、冥界の軍勢が押し寄せるだろうな。……それが何だ?』
この身を切り刻まれ、奈落へ落とされようと構わない。グレンのいない世界で生きる苦痛に比べたら、かすり傷のようなものだ。
『選べ』
魔法陣がまた光を放った。さっきよりも強いそれは、鳥籠の格子の隙間からサタナファガスの青白い肌を焼く。
『従うか、消えるか。……今、すぐに』
低い恫喝にサタナファガスはぐるぐると目を回していたが、やがて諦めたようにまぶたを閉ざした。すると額の中央が縦に裂け、細長い瞳孔を宿した瞳が現れる。
『王国暦103年……非、王国暦157年……非、王国暦226年……非、王国暦389年……非、王国暦396年……非、王国暦415年……非、王国暦428年……非……』
異なる世界へ送られた魂をこちらへ呼び戻すには、それぞれの世界の因果律の流れが重なる瞬間を狙わなければならない。
サタナファガスは無限の時の流れをたぐり、最も可能性の高い瞬間を探り当てようとしている。砂漠からたった一粒の砂金を見つけ出すような、果てのない試行錯誤だ。
そうして、何千、何万、何億回目かの『非』の果てに。
『……、……王国暦778年……、……是』
悪魔は、とうとうその瞬間を見つけ出したのだ。




