7・魔女は召喚する
『……それが、何だってんだ?』
グレンの口から漏れたのは、予想外の言葉だった。リズレインは思わず眉をひそめる。
『世にもおぞましい男の魔女であることを、ずっと黙っていたのですよ?』
『だから、何でおぞましいんだ?』
グレンに嘘の気配はない。そもそも死に近い者が嘘をつく必要はない。
『俺は、魔女をおぞましいとか、怖いとか思ったことはねえ。会ったこともないのに、怖いも、何もないだろ』
本当に怖いのは、父の前では優しい母親のふりをしながら平然と毒を盛る義母だったり、腹が減っても食べるものがなかったりすることだ。
グレンはつぶやき、リズレインが世界で一番美しいと思う瞳を向けた。
『俺の知ってるお前は、いつも俺のそばにいてくれて、ねぎらってくれて、無駄話にも付き合ってくれて、一緒に食事をしてくれて、疲れたら蜜湯を作ってくれた。……それだけだ。それだけで、じゅうぶんだ』
『グレ、ン……』
『お前は綺麗だ。本当に……、綺麗だ……』
グレンの瞳が少しずつ濁り、焦点を失っていく。
放浪の間、幾度となく遭遇した死の瞬間が、グレンにも訪れようとしている。死神の見えざる手がグレンの首にかかっている。
魔女だろうと、悪魔であろうと止められない。
『……ありがとうなあ……』
『グレン、……グレンっ!』
『お前がいて、くれたから……悪くない、人生だったよ……』
何かを探すように虚空をさまよう手を、リズレインは両手で握り締めた。そっと額を押し付ける。誰かが見たら祈りを捧げているとでも思ったかもしれない。魔女に信じるべき神などいないのに。
どれくらい、そうしていただろうか。
すう……とグレンは深い息を吐き、まぶたを閉ざした。
握り締めていた手が温もりを失っていく。ゆっくりと確実に、容赦なく。
『……グレン……』
黒く染まった唇に、リズレインは何のためらいもなく口付ける。誰かと唇を重ねるのはこれが最初で最後に――。
『綺麗なのは……貴方ですよ……』
――なるわけがない。させるわけがない。
『貴方は綺麗で綺麗で、綺麗だ……だから、ねえ? 知らないのでしょう?』
ぐっ、と爪ごと握り締めた拳から鮮血が床に滴り落ちる。
魔女の命そのものであるそれはリズレインの意に従い、魔法陣を描いていった。書き込まれていく複雑な紋様と魔法文字は、冥界を住処とする悪魔を召喚するためのものだ。
『貴方が綺麗だと言ってくれた私が……どれだけ卑怯で汚い男なのか……!』
カッ!
血の魔法陣が光を放った。
窓も扉も閉ざされた室内に、生ぬるい風が吹き上げてくる。冥界の風だ。人間なら浴びただけで即死を免れないが、魔女のリズレインにはそよ風も同然。
やがて魔法陣の中に現れたのは、王冠をかぶった厳めしい老人――その生首だった。銀の鳥籠に納められ、鳥籠には幾重にも鎖が巻かれている。
大悪魔サタナファガス。
天上の神に仕える輝かしい天使でありながら、冥界の女王の色香に目がくらみ堕天した。しかし女王が欲していたのは彼に宿る予知の力だけだった。女王はサタナファガスの首を切って銀の鳥籠に納め、首から下は煉獄の炎に放り込んでしまった。
首だけになったサタナファガスは予知の大悪魔サタナファガスとして冥界で飼われている。
『……ほう……』
サタナファガスはひび割れた唇から感嘆を漏らした。
『魔女が、我を喚び出すとは珍しい……世にも珍しき男の魔女よ。我に何を求める?』
『この人の魂の居場所を突き止め、呼び戻せ』
即座に命じたリズレインに、悪魔は片目を眇める。
『ソレはただの人間であろう? 呼び戻したところで再び冥界に逆戻りするだけぞ』
サタナファガスの言葉は正しい。
グレンの肉体は伝染病によって痛め付けられ、死に至った。その身体に魂を呼び戻しても、生命を維持できずに死ぬだけだ。
『誰がその身体に呼び戻すと言った?』
リズレインはそっと己の左胸に触れた。聡い悪魔はリズレインの意図を過たず読み取る。
『……そなたの身体に呼び戻すと?』
『不可能か?』
『可か不可かと問われれば、可である』
女の魔女は子を産むための魔力を常に残しておかなければならないが、男の魔女にはその必要がない。祖母の里長をしのぐほどの魔力を全身に張り巡らせれば、二つの魂を抱えることもできる。
悪魔の説明はリズレインに歓喜をもたらした。
(この時のためだったのだ)
忌まわしい男の魔女として生まれたのは。
全て、……全て、我が身を檻としてグレンを捕らえるためだった。




