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女神の桁ミスで500kgの聖剣を渡されスライムに殺された元勇者、魔王に転生して奪われた人生を取り戻す  作者: 羊皮紙のヤギ
第1章

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第4話 ドミネイト

 ガルドスは、俺の異様な権能を目の当たりにしても、一歩も退かなかった。


 ゴブリンの集落の外れ、燻る煙が低く這う場所で、俺が《ドミネイト》を発動させたとき、その白骨の騎士は兜の隙間から漏れる青い光を細めただけだった。


「それは、魔王の根源たる権能です」


「知っているのか、これの本当の意味を」


「私が仕えたかつての王は、この力を呪詛のように呪っていました。恐れる者ほど、その恐れの対象を精緻に書き残すものです」


 ガルドスの声音は、ひどく平坦で、それゆえに不気味だった。


 その乾いた音の底には、三百年という途方もない歳月を経てなお燃え尽きない、静かな憤怒が沈殿していた。


 俺たちはゴブリンたちの粗末な食糧倉庫を、仮の戦略室とした。床に泥のついた魔界の地図を広げ、壁際に錆びた槍を立てかける。


 天井の梁から吊るされた獣脂のランプが揺れるたび、光と影の不均等な輪郭が、床の羊皮紙の上を這いずり回った。


 ガルドスは、兜の中から一枚の焦げ茶色に変色した金属板を取り出し、地図の傍らに置いた。


 金属の触れ合うカチンという硬い音が、狭い木造の室内に小さく反響する。


「これは私が三百年、肌身離さず甲冑の内側に留めておいたものです。魔王の権能に関する断片記録」


 そこには、古い石板と同様の冷たい三つの言葉が刻まれていた。


 第一段階《奪取》第二段階《改変》


 第三段階《創造》


「今の俺に使えるのは、この《奪取》だけだ」


「はい。しかし、その力は『何でも奪える』という意味の便利さではありません」


 ガルドスが白骨の指先で、錆びた金属板の文字をなぞった。骨が擦れる乾いた音が耳腔にかすかな不快感をもたらす。


「奪うということは、相手の肉体からスキルという術理の核を無理やり引き剥がすこと。その際、剥がした接合部から相手の精神的残留物――恐怖、願い、強要された役割が、あなたの心へ直接浸入してきます」


「……すでに体験した。あのゴブリンたちの群れを背負う感覚が、今も両肩に重い鉛のように残っている」


「それが権能の代償です。記憶としてではなく、身体感覚として、相手の『生』の痛みを一時的に背負うことになる」


「奪い続ければ、どうなる」


 ガルドスは沈黙した。


 兜の奥の青い火球が、小さく明滅する。


「あなたが、あなたでなくなります。最後には、奪った魔物たちの欲望と恐怖の濁流にあなたの心がすり潰され、ただの運命ストーリー・エンジンの傀儡に戻るでしょう」


「……では、どうすれば自制できる」


 ガルドスは答えないまま、ゆっくりと立ち上がった。


 錆びた大剣を、床から引き抜く。


 乾いた金属音が、狭い倉庫の中で鋭く響く。


「主よ。今、私はあなたに刃を向けます」


「何を――」


 次の瞬間、ガルドスの剣先が俺の喉元三寸前に止まっていた。


 白骨の騎士が、わざと敵対行為を取る。


「《ドミネイト》は、接触した相手の核を奪えます。今なら、私の三つのスキルをすべて引き抜けます」


 視界の端に、赤い文字が明滅する。


 《冥界戦略》《不死者の剣》


 《司令官の眼光》


 強力だ。


 今のレベル五の肉体が、生存本能の叫びとなって「奪え」と囁いてくる。


 喉が渇き、胃が締め付けられる。


「奪えば、主は強くなります。私は従者です。主に献上することを拒む理由はありません」


「……お前は、死なないのか」


「不死です。スキルを失っても、骸は動き続けましょう。しかし、あなたの中に私の三百年が流れ込みます。裏切り、悔恨、永遠の呪い。それらを、主は本当に引き受けられますか」


 俺は、自分の右手を見た。


 指が、わずかに震えていた。


「違うな」


 俺はゆっくりと右手を握り、視界の赤い文字を意識的にかき消した。


「お前の剣を奪うんじゃない。お前の忠誠を、奪うんじゃない。それを借りるだけだ」


 レインは手を下ろした。


「それに、奪えばお前の三百年が流れ込んでくるんだろう。裏切りだの呪いだの。……俺は、お前に忠誠を求めるために魔王になったわけじゃない。お前の傷まで奪って、お前を抜け殻にするつもりもない」


 ガルドスの剣が、小さく鳴って床に戻された。


 兜の隙間から漏れる青い火の粉が、初めて人間の瞬きのように揺れた。


「……骸になり、信じるものを失い、三百年が経ちました」


 ガルドスは再び左胸に手を当て、深く頭を下げた。


 それは、仕組みによって強制された跪きでも、強者への恐怖による服従でもない。


 彼の意志そのものが選択した一礼だった。


「かつての魔王は、力を奪い、魂をすり潰して支配しました。しかし、あなたは私の傷を拒み、私を私として残すことを選ばれた。レイン様。私に名前はありません。かつて戦友に裏切られ、砂埃の中で死んだ、ただの骸です。ですが、今、私の意志で、あなたにこの力を捧げましょう」


「勝手にしろ」


 レインは視線を逸らした。


 スキルスロットの限界値は八。


 現在の所持スキルは《火球術》《風刃》《号令》《群れ統率》の四つ。


 空きは残り四つ。


「あまりに余裕がないな」


「魔王としての許容量は極めて狭い。しかし主よ、あなたは前世の勇者スキルをすべて失っています」


「普通なら、転生後も引き継ぐものなのか?」


「そのはずです。魂の記憶は肉体よりも強固ですから」


 俺は自分の右手を凝視した。


 青白い皮膚は、かつての聖剣の柄の感触を何一つ覚えていない。


 剣を振るう際の腰の回転も、聖光魔法を通すときの血管が沸騰するような熱さも、すべてが奇麗に消去されている。


「女神エリュシアの、入力ミスという名の意図的な剥奪か」


「真偽は定かではありません。ですが、勇者のスキルはあなたの『自己同一性』の核そのものだったはず。それを失ったあなたは、他者から奪った力でしか自分の存在を埋められない。非常に危険な状態です」


 奪わなければ生き残れないが、奪うほどに自分が他人の泥水で薄まり、消え去る。


「完全に、詰んでいるじゃないか」


「いいえ」


 ガルドスは平然と言い放ち、再び深く頭を下げた。


「解決策は三つ。第一に、奪う前に相手の構造を『理解』する。第二に、流入した感覚を拒絶せず『受け入れる』。第三に、奪取ではなく、相手から自発的に『託される』力――スロットを消費しない忠誠や信頼の重みを増やすことです」


「託される力……」


 俺は跪くガルドスを見つめた。


「先ほど、お前の剣を向けられたとき、奪う衝動があった。だが、今はない」


「それは、私を『理解』したからです」


「そうかもしなれない」


 口にしてから、自分が「仲間」という言葉を使ったことに気づいた。


 出会ってわずか数時間の、顔もない不死者の騎士を。


「俺がドミネイトするのは敵の意志だ。仲間の骨の髄じゃない」


 ガルドスは床に額を擦りつけるように深く平伏した。


「その言葉だけで、私の三百年の空白は意味を持ちました。我が剣は、最期まであなたの盾となりましょう」


 言葉の重みが、狭い倉庫の中に沈殿していく。


 俺は何も言わず、ただ地図を強く握りしめた。


 次に必要なのは、この身を隠し、力を蓄えるための拠点だった。


 ゴブリンの低い柵では、人間界の討伐隊や、他の強力な魔族の侵攻を一時も防げない。


「東に、かつての魔王の廃城があります」


 ガルドスが白骨の指先で、地図の東端の染みを指した。


「古い封印が施されているはずですが、主の《ドミネイト》の力なら、封印式を直接解除できるはずです」


「城か……魔王には相応しい」


 だが、そこへ向かう前に、この頼りない肉体に立体的な機動力が欲しい。


「北の断崖に、はぐれのワイバーンが一体生息しています。飛行能力《飛翔》を獲得できれば、魔界の地形的抵抗を一気に無視できます」


「レベル差は?」


「危険な領域です。ですので、私が囮となり――」


「またお前が身代わりに立つのか。却下だ」


「しかし、私は不死の騎士――」


「不死だからといって、削れていい理由にはならない」


 俺は地図の起伏を睨みつけた。


「囮はゴブリンたちに《号令》をかけて動かす。お前は彼らが崩れたときの最終防衛線だ。そして――俺は奪う前に、あのワイバーンの『生』を観察する」


 北の断崖は、呼吸を奪うほどの強風が吹き荒れていた。


 黒い剥き出しの岩肌を、風の爪が絶え間なく削り取り、微細な砂塵が網膜をチクチクと刺激する。


 崖の下からは、はるか遠くの地鳴りのような風切り音が響いていた。


 断崖の張り出しに、その巨体はいた。


 体長五メートル。


 煤けた黒い鱗。


 折り畳まれた四肢と、頑強な翼。


 巣の奥には、濁った白い卵が一つ、冷たい風から守られるように横たわっている。


「そういうことか」


 俺は低く息を吐いた。


 奴は縄張りを守っているのではない。


 自分の卵を、この極寒の風から守っているのだ。


 守るために、この暴風の空を飛ぶ。


 守るために、強靭な爪で岩にしがみつく。


(俺と、同じだ)


 俺は右手を突き出し、魔力を収束させた。


「《ドミネイト》」


 赤い光の格子がワイバーンの身体を包み込み、四つの術理が宙に浮かび上がる。


 《火炎吐息》《爪撃》


 《鱗装甲》《飛翔》


 俺は《飛翔》の核に手を伸ばした。


 ワイバーンがこちらの存在を察知し、鼓膜を裂くような金切り声を上げる。


 口腔の奥で火炎が爆ぜる熱が、風に乗って俺の顔面を直撃した。


 睫毛が焦げる匂いが鼻を突く。


「卵には触れない!」


 俺は叫んだ。


「お前の翼を借りる。だが、お前の生をすべては奪わない!」


 魔力の源泉を握り、力任せに引き抜く。


 その瞬間、背中に耐えがたい熱痛が走った。


 皮膚の裏側で、肉の繊維が無理やり引き裂かれ、新たな骨が節々を軋ませながら増殖していく感覚。


 背骨の両脇が内側から突き破られ、濡れた皮膜が風の中に引きずり出される。


 痛みに耐えかねて、膝が岩盤に激突した。


 ゴツリと冷たい痛みが脳を走る。


 同時に、強烈な感覚が流入した。


 ――地面から足が離れ、重力から解き放たれる瞬間の心臓の浮遊感。


 ――だが、その翼が折れれば、崖の下の卵を守りきれないという、狂おしいほどの焦燥と緊迫。


「が……あああッ!」


【スキル獲得:《飛翔》】【スロット使用:5/8】


 俺は泥の上に倒れ込み、激しく喘いだ。


 背中に生えた新たな一対の翼が、風を孕んで重くたわむ。


 軽いのではない。


 空を飛ぶということは、それだけの命の重さを背負って宙に浮くことなのだと、背骨の軋みが教えていた。


 ワイバーンは翼を失い、断崖の巣の奥で卵を抱え込むようにして、俺を激しく睨みつけていた。


 だが、もう追ってはこない。


「行くぞ、ガルドス」


「……御意に、我が主」


 俺は不格好に背中の翼を羽ばたかせた。


 風が下から俺の身体を乱暴に押し上げ、浮遊感と落下への恐怖が同時に脳を支配する。


 それでも、足の裏からあの冷たい黒石の感触が消えた。


 空中から見下ろす魔界の荒野。


 その東の果てに、夕闇に沈む巨大な黒い廃城が、牙のようにそびえ立っていた。


 あの城こそが、魔王の牙城。


 拠点になりうる城壁。


 眠る力。


 そして、人間界への情報が集まるであろう古の中枢。


「まずは、城を取り戻す」


 風切り音の中で、俺は呟いた。


 あの城が、本当の始まりの場所だ。

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