第17話 忠誠の誓い
城の最上階、重厚な石造りの謁見の間。
高いステンドグラスから斜めに差し込む朝の光は灰色で、宙に浮遊する塵の粒子を冷たく照らし出していた。
室内を支配していたのは、薄氷を踏むような張り詰めた沈黙だった。
誰も言葉を発せず、ただ互いの呼吸のかすかな音だけが、高いドーム状の天井へと吸い込まれて消えていく。
俺は黒檀の王座の硬い背もたれに身体を預け、目の前に集った四つの巨大な影を見つめた。
彼らがここに揃ったという事実。
それがもたらすのは高揚感ではなく、俺の肩に深く食い込む、目に見えない鉄の枷のような重みだった。
「……問おう」
俺の低い声が、静寂の壁を打つ。
「俺は魔王レインだが、その魂は人間に裏切られ、女神のミスによって五百キログラムの聖剣に潰されて死んだ元勇者レインだ。お前たちが頭を垂れるべきなのは、誰かに押し付けられた魔王という『役割』か。それとも、この歪な魂か」
カツン、と冷たく乾いた音が石畳に響いた。
ガルドスが、最初に動いた。
白骨化した膝の甲冑が、剥き出しの石畳に直接激突する音。
彼の全身を覆う漆黒のプレートが、重力に従って「ギギッ」と悲鳴を上げる。
ガルドスは眼窩の奥の青い燐光をかすかに揺らめかせ、微動だにせず頭を垂れた。
「ガルドスの剣は、レインの魂に」
短い。
だが、その一言には、彼が不死者として彷徨った三百年の風雪と、主を失っていた時間の重みが凝縮されていた。
余計な修飾語を排除したその誓いは、ただ重く、床の亀裂へと沈殿していった。
パチッ、と青い火花が爆ぜる音と同時に、硬い衝撃が床を叩いた。
ティアラが、その青い鱗に覆われた膝を深く折る。
彼女の角から漏れた鋭い電流が石畳の隙間を走り、かすかな焦げ跡を残していた。
金色の瞳はまっすぐに俺の足元を見つめ、握りしめた拳が、鎖骨のあたりで強く押し当てられている。
「この角も、雷も、すべて。レインが呼ぶ時に」
誰かの武器として消費されるのではなく、己の意志で選び取った主への、削ぎ落とされた宣誓。
彼女の肩が激しく上下し、内に秘めた熱量が言葉の端から伝わってきた。
静かな衣擦れの音が、空気の分子をわずかに揺らした。
メイヴィスが、まるで現実の存在感をその肉体に再構成するように、ゆっくりと膝をつく。
銀色の長い髪が床に広がり、紫色の瞳が伏せられる。
数千年の間、世界のあらゆる興亡を「物語」として傍観し続けてきた夢魔が、初めて現実の泥にその膝を汚す。
「あなたの空白を、私が綴る」
それは観察者の返納であり、同じ運命の泥濘へ足を踏み入れる覚悟の証明だった。
ズゥン、と城の基礎そのものが大きく鳴動した。
最後に跪いたボルグの巨体が、謁見の間の大気を激しく押し出す。
五メートルの肉体が床に落とす影は、まるで巨大な防波堤のように俺たち全員を包み込んでいた。
彼の巨大な掌が石畳に置かれ、床の石が「ぎりり」と摩擦音を立てて悲鳴を上げる。
「魔王レインの家族を、この壁が守る」
その短い言葉に伴う、大地のような確かさ。
彼がかつて人間に裏切られた傷跡は、その岩のような皮膚の随所に白く残っている。
だが、今はその傷ごと、俺という新しい存在の盾になることを選んでいた。
四つの誓いが、謁見の間の冷たい床に並んでいる。
沈黙が再び戻ってきたが、その濃度は先ほどとは明らかに異なっていた。
空気は密になり、息を吸うだけで彼らの覚悟が肺の奥へ流れ込んでくるような感覚。
俺は王座からゆっくりと立ち上がった。
一歩。
俺の足音が、静寂の中に硬く響く。
「受け取ろう。お前たちの命の重さ、俺の命で繋ぎ止める」
そこで俺は、王座の肘掛けに置かれた黒い短剣を手に取った。
古い魔王の儀式なら、この刃で配下の血を石床に落とし、主従の契約を刻む。
血を落とした者は、魔王の命令に逆らえない。
城の記録にも、そう書かれていた。
ガルドスの眼窩がわずかに細まる。
ティアラの雷が指先で弾け、メイヴィスの紫の瞳が興味深そうに揺れた。
ボルグだけが、床に置いた巨大な掌をさらに深く沈め、儀式の重さを受け止めようとしている。
俺は短剣を抜いた。
刃はよく研がれている。
俺の黒い指先を軽く触れただけで、薄い血が浮いた。
だが、俺はその刃を床に突き立てた。
硬い石に金属が噛み、甲高い音が謁見の間に響く。
「血の服従は求めない。俺が欲しいのは、お前たちが自分の足でここに立ち続けることだ。俺が間違えた時、膝をついたまま頷くな。立て。止めろ。罵れ。それでもなお隣にいると決めた時だけ、俺の名を呼べ」
四天王の気配が、わずかに揺れた。
忠誠を軽くしたのではない。
むしろ重くした。
命令に従うだけなら、考えなくて済む。
だが、選び続ける忠誠には、毎回痛みが伴う。
俺の言葉もまた、短かった。
だが、その契約の重さは、かつて女神エリュシアから一方的に与えられた「勇者」という役割の何倍も、俺の背骨を軋ませる。
しかし、この重さこそが、俺が自分の手で掴み取った人生の確かな手触りだった。
扉の影から、リリィが目を潤ませながらこちらを見つめている。
白い猫耳が小さく伏せられ、尻尾がそっと揺れていた。
俺は彼女に視線を送り、ただ一度だけ、静かに頷いた。
四天王の誓いが、城の石に刻まれた。
次は、血でその約束を証明する番だ。
人間界の目を開き、新勇者の動向を掴み、いずれ訪れる衝突の準備を整える。
そのために、まずは「ゼロ」へ向かう。




