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掃除

「綾香! 待ってくれ! 行かないでくれ!」

翌朝。雨が激しく叩きつけるタワーマンションの車寄せ。

ずぶ濡れになりながら、誠二は綾香が乗り込もうとする高級セダンの前に身を投げ出した。

一晩中、エントランスの外で立ち尽くしていたのだろう。高級だったはずのスーツは泥を吸って重く垂れ下がり、かつて自慢げに整えていた髪は無惨に顔に張り付いている。

「誠二。まだそこにいたの? 通報される前に消えなさいと言ったはずだけど」

綾香は傘も差さず、冷徹な視線を夫——だった男へと向けた。

「悪かった! 全部俺がバカだったんだ! 礼子に唆されて、都会の生活に目が眩んで……。でも、俺を愛してくれていただろ? 地権者とか資産とかどうでもいい、君と一緒にいたいんだ!」

誠二はアスファルトに額を擦り付け、泥水の中に跪いた。

かつてラウンジで礼子に膝を折った時よりも、さらに深く、惨めに。

「……愛? 貴方が愛していたのは、私じゃなくて『私のステータス』でしょ。私の地権者枠で得られる優越感、私の資産で買える高級品。貴方はそれを自分の実力だと勘違いして、私を『替えの利く駒』扱いした」

綾香は一歩、誠二に歩み寄る。その靴は、一点の泥も寄せ付けないほど磨き抜かれている。

「いい? 誠二。貴方の市場価値は、私という背景があって初めて成立していたの。それを自ら捨てて、職場の女の子にまで嘘をついて……。今の貴方は、このマンションのゴミ置き場にある粗大ゴミ以下よ。引き取り手なんて、世界中のどこにもいない」

「そんな……そんな言い方……っ!」

「事実でしょ。会社はクビ、不倫相手からは訴えられ、家もない。……あ、そうだ。実家のご両親には私から連絡しておいたわ。『誠二さんが私の資産を使い込んで不倫し、多額の賠償金を背負ったので、住む場所を確保してあげてほしい』って。今頃、お義父様が激怒して迎えに来ているんじゃないかしら?」

「親父に……!? やめてくれ、殺される……!」

絶望に顔を歪める誠二を、綾香は心底どうでもよさそうに見下ろした。

「さようなら。二度と私の視界に入らないで。乙。」

その時、セダンの後部座席のドアが開き、一人の男性が降りてきた。

50階の住人、一之瀬だ。

彼は恭しく綾香の手を取り、自分の傘の中へと招き入れた。

「終わったのかい? 綾香さん」

「ええ。掃除クリーニング完了です。……一之瀬さん、お待たせしました」

一之瀬は、泥にまみれて這いつくばる誠二を一瞥もしない。彼にとって、誠二は風景の一部、あるいは道端の石ころと同義だった。

「行こう。君の新しいオフィスが、最上階に用意してある」

一之瀬が綾香の腰に手を添え、車内へと促す。

走り去る車のバックミラー越しに、誠二が雨の中で泣き叫びながら、追いかけようとして転倒する姿が見えた。


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