旅人と少年の事情(2)
呆然としていた少年が我に返るのは早かった。
男が人と理解って安堵したのだろう、泣きそうな声を出していたのが一転文句をぶつぶつ言い始めたことに彼は苦笑する。
少年はその後慌てて棒を揺らした。
彼の手の動きが止まったのを見計らって男が声を掛ける。
「驚かせて悪かったな」
男が謝ると、少年は頬を膨らませ軽く睨み付けた。
「――あんた誰だよ、こんな時間に。盗賊か? この村に盗むようなものはないぞ。女か? この村の女も強いから返り討ちにされるぞ」
「盗賊が『俺は盗賊だ』なんて言うか。その気ならお前がビビってる間に命を獲るがな……ああ、ビビるなビビるな。俺はご覧の通り旅をしてる者だ。うっかり山に入って結構経つが、その不思議な音に惹かれて来たんだ(あんなに情けない驚き方をしていた奴に凄まれても)」
と内心呆れながらもそう言えば、少年は目を丸くした。警戒が一気に解かれた様子に男は俺が危険人物ならどうするんだとまた呆れる。
「へえ! うっかりで来たんだ? しかもこの魔よけの音に惹かれて、か。それはあんたの運が良いんだな」
少年の素直な感嘆に、彼は面食らったように笑い頭を掻いた。
「運が良かった? ――ずいぶん長いことそんな気にはならなかったが……ふむ。まあとにかく人のいる場所に出られて良かったよ――それでその棒があの音の出どころか? それは何か聞いても?」
「これは魔よけだね。今日は俺の兄貴の結婚式で、これを夜通し鳴らすことになってる」
「おお、それはおめでたいな。しかし夜通しか、重そうな物を……大変だな」
「まあね。でもこうやって新しい夫婦を守るのは村の男の仕事だからね。それに俺は山神さまが村に見物に来る場所だけだよ。他の人――花嫁さんちの男は村の出入り口、村長さんとこは村の中を回る」
「へえ」
労われた少年が得意そうに言うのを聞きながら彼は棒の先を見上げる。
月明かりに光る金属の板がいくつも揺れ、か細く高い音がしゃららんと響いた。
「そんな風に交代で鳴らすから辛さはさほどでもないんだ。本当は立ったまま鳴らすんだけど、座ったままでもいいんだ。魔よけはどっか立て掛けといて揺らしてもいいし」
少年は話をしながら揺れる棒を両手で止める。
長さがあるのでしっかりとは止まらない。
上の方はまだ揺れて音が鳴る。
「こうやって音を小さくしていくんだ。小さくなったら別のとこからのが聞こえるだろ? あれが小さくなってまた別のとこ、そうやって順繰りに回していくと、こっちの音が消えた頃に鳴らすようになってんだ。もし自分の番が分からなくなっても、音が違うから分かる。金属の板の長さや大きさ、棒の長さも三ヶ所とも違うから鳴る音も変わるんだ」
少年の説明に彼は感心したように頷いた。
「……音の違いとかにも色々きっと意味があるんだろうな」
「そんなにコレに興味あるの? ……じゃあ、村長さん紹介しようか? 朝まで鳴らすから待っててもらわなくちゃいけないけど……」
少し考えるようにして少年が提案してくる。男はそれに破顔して大きくぶんぶんと音がしそうなくらいに頷いた。
「それは嬉しい! 俺は若い頃からそういう歴史的な価値のあるものを知ることが好きなんだ! 今もあちこち巡っちゃいるが、こんな姿だろ? なかなか良い顔されないし、そもそも相手にされないしでなあ」
彼のその様子に少年は完全に警戒を解いたのか、肩の力を抜いて笑った。
「俺はナイナ。あんたの名は?」
「ナイナか、宜しくな! 俺の名はゲイルだ。しっかし、いやあ~ずいぶんぶりに名乗ったな」
男はそう言ってはははと頭をがしがし掻いた。
* * * * *
そんな風に昨夜知り合った二人だった。
ナイナが魔よけを鳴らしながら聞いたゲイルのこれまでの話は、到底彼には想像もつかない出来事ばかりだった。
元々この国で――と言ってもナイナにとっては直接関わりがないので『村の外』という感覚でしかない――生きていたゲイルは、歴史好きが高じて他の国へと渡ったものの、ある時物盗りに遭って身ぐるみ剥がされ、流浪することになったのだと言う。
数年かけて何とか戻って来て、生家に帰ろうとしたものの。
行く先々の検問所では何度も引っ掛かり、ゲイルという人間はとっくに死んでいると知らされたのだと言う。さらに彼の名を騙る不届き者よと捕縛され尋問されることもあった。
それでゲイルは本来の素性を他人に言うことをやめ、自力で生家に戻ろうとしているのだと言って笑った。
ナイナはその笑顔を好ましく思った。
決して楽な道のりではない。愉快な旅でもない。
だがゲイルはそれでも腐らず、真っ直ぐ生きてきたようにナイナには見えた。
自分が同じ目に遭ったら、とナイナは考えた。
家族や友人、村人たち、それにずっと一緒にいられたらとほんのり想っている幼馴染み。
告白らしきものはしたけれど、彼女から色好い返事が貰えるかどうかはナイナのこれからの行動次第だろう。
そんな大事な人たちから離れ、ひとりっきりで彼らの元へと帰るための旅。
寂しくてたまらない、と彼は思う。
だが不思議と『可哀想に』とか、『じゃあ外に出なければ良かったのに』という気持ちにはならなかった。
むしろ、ナイナには『自分ならもっと上手くやれるのでは?』という挑戦的な気持ちが湧いていた。
村しか知らないナイナには果てしなく広がる外の世界がどのようなものかは知らない。
だから別れや恋しい気持ちは予想できても外への想像は瞬く間に萎んでいった。
どんな様子なのか分からないからだ。
大抵のことは村の中だけで帰結してしまう。
服は村で飼う長毛羊や蚕がある。女たちはその毛や植物を使って染めたりで織ったり縫ったりする。
食べ物は村の畑に家畜もいれば、山の獣たちや果実の恵み、川魚や湧水清水。
木や竹なんかを伐採して家や小屋や塀や家具、細々した細工を作る。
お金を使って売買することは村の中ではやらない。物々交換なり、肉体労働での手伝いで済むからだ。
お金はたまに商人が来て、村で漉いて作る紙や細々した品を買い取っていく。
それを村長が作った家々に配り、外の品が欲しい時にはそのお金を使う。
それがナイナだけでなくこの村では当たり前の毎日。
それがゲイルの話で彼の好奇心に少しばかりの火がついた。
目の前にいるゲイルは何年も何年も辛い道を歩いている。
もしかしたら彼の話の全て……もしくは一部嘘かもしれないが、ナイナは疑わない。
これが別の日、別の場所で出会っていたならばナイナはゲイルを信用することはしなかった。
だからゲイルを運が良いと言ったのだ。
それに、ゲイルが満足に食べたり飲んだり出来ていないことは彼から見ても分かる。
山に入ってどのくらいか分からないが、水を浴びたり服を洗ったりはできていたようで臭いはそこまで酷くない。頭を掻いているので多分虫がいるのだろう。
身体だって、いくら大人の仲間入りを果たすことになったとは言えまだ少年のナイナより細い。
その生活はナイナから見ても非常にろくでもない。ろくでもないのだけれど……と彼は考えて、ん? と首を傾げた。
(あれ? 俺、ゲイルさんを羨ましいって思った?)
茶のおかわりも飲み干して、簡単にあちこち巡った話をしているゲイルに相槌を打ちながら、ナイナは見たことのない外へと思いを馳せる。
(ゲイルさんはここでの興味が尽きれば、家へと帰るためにまた旅に出るんだ)
稀に外からやって来る人がいて、居着く。居着いても村に馴染めず去っていく者もいれば、村人となってこの山に骨を埋める者もいる。
ナイナは何となく、ゲイルにはこの村に居て欲しい気がした。もっと話を聞きたいという欲求からだが。
そうでなければ、彼に付いていきたい。自分も外を見てみたい、という思いが過る。
(屋敷に住んでいるリョウシュの人たちも、すぐいなくなると思っていたけど……そうだ)
「村長さんに会うついでに面白い場所に案内してあげるよ」
(もしかしたら同じ外の人同士、気が合うかもしれない)
楽しみだ、と返すゲイルの顔を見て、ナイナは満面の笑みを浮かべた。




