旅人と少年の事情(1)
山々に囲まれたこの村での結婚式での盛り上がりは翌日もまだ熱が冷めない。
結婚式というものは村中が祝うもの。だが本来は一晩で落ち着く。
こうして数日浮き足だった空気になるのはまるでこの時期にある祭りの時のようだが、これは今回が特別なことの現れでもある。
山神信仰の篤い村では幾つも季節の行事がある。
今は実り季という山の実りを頂いて寒さを凌ぐ準備期だ。さらに畑には主食となる小麦の種を蒔き、辛い寒雪季を耐え葉季に芽を出し実らせるための大事な季節。
そうして一年を無事乗り越えた感謝を山神に捧げるための祭りがあるのもこの実り季だ。
昨夜、山神から恩恵を受けた二人が夫婦となった。
そのため近頃ずっと山の恵みが多かったのだが、この日季節を無視した花々の狂ったような乱れ咲きと果実の実りがあった。村人は山神からの贈り物だと喜んだ。
山の生き物もまた実りを喜ぶ。越冬する数が段違いに増え仔も多く生まれるので、村人たちには翌年には熊や鹿や猪に兎や鳥といった肉を食す機会が格段に増える。
贈り物は本来山神の寵愛を受けた夫婦のためのものだと村人たちは知っている。
そのおこぼれに与りたい、与ったならば今後その夫婦を蔑ろにすることのないようにしなければならない。
そんな村の外れ、山神の寵愛を受けた夫婦の夫の生家では眠そうな目を擦る少年が一人の男を招き入れていた。
「すまないな」
「みんな気にしてないよ。今の時期ならきっと山神さまの客人だとか言うかもね」
男は旅人らしく、その格好は酷く薄汚れている。
羽織っている外套や靴だけでなく、背負った荷袋もあちこち擦り切れボロボロだ。
伸ばし放題の赤茶けた髭に日焼けした顔もやはり垢や砂で薄汚れていた。
少年は続き間を指し示し、敷物の上に座るよう勧めた。
「へえ、床の上に座るのか」
男の言葉に蔑むような響きはなく、純粋に面白がるようなものだったので少年は頷いた。
かまどに火は入ってないが、お茶を沸かした鍋がある。器に入れて、家の中を珍しそうに頭を巡らせている男に渡す。
「飲みなよ」
「おお、ありがとう」
男は器を受け取り、一気にぐびっと呷って腹に流し込む。飲みきると長く息を吐いた。
「……美味い。しばらく川の水や夜露ばかりだったせいだけじゃないな、果物を食べてるみたいだ」
「村の茶には干した果実の皮も入れるからそのせいかな」
少年は空いた器にまた茶を汲んでやった。
彼が男と出会したのは昨日の夜中。
夜中には大事な仕事があった。
結婚式が終わり夫婦が新居に入ってから、彼らの親族と村長は交代で一晩中魔よけを鳴らし続けねばならない。
彼――ナイナも鳴らしていた一人だった。
父と交代する彼の持ち場は山神さまが座るための場所。
慣れ親しんだ村の場所と言っても、夜はまた景色が違う。
まして村中が起きている暑気払いの祭とは違って、人の気配はないし、灯りが置いてあるわけでもない。
子供扱いには不服を感じる年頃だが、やはり怖さは拭えない。ランプを持って持ち場に座る。
父親は家へと戻って行った。
子供だからと一緒に付いていてくれるわけではない。この役目は交代するとはいえ夜通しのもの。ある種大人の仲間入りをした証拠でもあるからだった。
山の木を伐り、削り出された長い棒の先には金属の板がいくつも付けられていて、動かすたびにかろんかろろんと高い音を出す。
うるさく鳴らし続けるのではなく、細く長く鳴らすのだ。途切れそうになったらまた揺らす。
耳を澄ませば他の場所の魔よけも聞こえる。
この音は悪魔の嫌う音で、花嫁を拐いに来ないようにしているのだ。
棒の先に連なった金属にも悪魔が嫌がる言葉や図案などが彫られている。
ナイナは正直言えば、信仰の息づく村で育っているが、悪魔などそこまで信じているわけではなかった。
けれども、実際こうして深夜にいくら月明かりがあってもすぐ目の前は木々が繁る暗闇。頼りない灯りと共に魔よけを鳴らしていれば、悪魔が出てもおかしくないようで、ナイナの虚勢も張るどころか萎み始めたところだった。
――がさり。
背後で葉擦れの音がした。
怖さとは面白いもので、感覚を鋭敏にするらしい。ナイナの耳はちょっとした音も大きく拾って、彼は身を竦ませた。
無意識に魔よけを持つ手に力が入る。
さっきまで出ていた習っていた通りの音より強い音が出た。
背後が気になるが振り向けない。
寒くないのにナイナは身体の震えが止められない。
信じていないはずの悪魔がすぐそこにいるような気がした。
不思議と山の生き物だとは思わない。
彼らは滅多にこの村の周囲には降りてこないことを知っている。人の住む場と山では圧倒的に山のほうが広い。
こちらが彼らの領分を侵さない限りは……と言いたいところだが、実際人を食う獣がいないわけではない。だから絶対とは言えないのだが、彼はそういった獣の気配ではないと感じた。
「オイ」
声と同時にがさりという葉擦れが一際大きく動いて、ナイナはその意味通り飛び上がって驚いた。
情けないことに声も出ず、その場に縫い止められたように固まっているともう一度「オイ」と声を掛けられた。
ナイナがなんとか震える身体ごと後ろをぐるりと向いてみれば、髭もじゃの男がぬぼっと立って頭をガシガシ掻いている。
「こんな夜分に悪いんだが、ここはどこだ」
そうしてやっとナイナはうひゃあああと情けない声をやっとのことで上げた。
* * * * *
叫び声と言うにはあまりにも消え入りそうな細く小さなものに彼は逆に大丈夫か、と焦って声を掛けた。
夜中に少年がひとり。
妙な長い棒を持って突っ立っていた。
彼は長く旅を続けていて当所もない。
街町ならば己の様相が嫌がれるため人気のない場を選ぶが、山の中だと下手すれば獣の餌だ。
若い頃にどうしようもなくなって命を断つか迷ったことがあったが、それでもそんな死に方は望んでいない。まして現在は命を惜しんでいるところだった。
だがうっかり山に分け入ってしまったのが運の尽き。
それでも人がいた形跡を辿って辿ってここまでやって来た。
人の手の入った山道、人が住んでいたもしくは伐採や獣狩りや山菜などを採るのに遇に休むための小屋を使わせてもらって着いた場所がこの村だった。
最初は村と分からなかった。
ただ、自然のものではない高い金属の音に呼ばれるように足が向いた。
運良く獣にも遭遇せず、この村の近くになると木の実や果実が唸るように生っていてそこそこ腹も膨らますことができた。
開けた場では焚き火をし、川や湧水など飲み水にも困ることはなく、腹も下さず男はある意味でこれまでにない快適な旅路であったと言える。
深夜に何の音だろうか、と好奇心を刺激された彼が探し当てた音は少年の持つ棒が鳴らす音。
煌々と白く明るい月光で表情までは見えなかったが、その少年に思わず声を掛けた。
掛けたは良いものの、恐怖で動けなくなるほど驚かせてしまった。
そんなつもりじゃなかった。
うっかり深夜だと忘れていただけ。
※この村での季節は三つ。
『葉季』(春夏の間くらい。雨季を含む)
『実り季』(秋)
『寒雪季』(冬)
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