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第23話 青狐の冷徹なる軍略と、簒奪王の神殺し――教皇庁との決別と、新たなる帝国の産声

 旧フラリン王国、ヴェルサルユス宮殿。その一角にある国王執務室の前で、アストゥリウ王国の老将カリウスは、己の息子であるギニアスへと視線を向けた。

 老いた掌をそっと息子の肩へと置き、穏やかな微笑を浮かべる。

「陛下には、よくお仕えできておるか?」


 ギニアスは緊張の面持ちで背筋を伸ばし、実父へ深く頭を下げた。

「はっ。非才の身ゆえ至らない所ばかりですが、出来る限りの事はしているつもりでございます」

「そうか」

 カリウスが満足げに手を離した、その時だった。


「そなたで非才と言うなら、大抵の将兵は無能という言葉すら生ぬるいぞ」

 苦笑を浮かべながら通路の奥から歩いてきたのは、将軍リカルドであった。その背後からは、青い瞳に怜悧な光を湛えたロンメル軍団長が静かに続いている。

 四人の最高幹部が顔を揃えると、ギニアスは手際よく執務室の重厚な扉を開け、彼らを中へと招き入れた後に静かに閂を閉じた。


「お召しにより参上いたしました、陛下」

 代表したカリウスが、デスクの奥に座る若き主君へと一礼する。

 上座のフェリオル王の唇には、柔らかな微笑が浮かんでいた。だが、カリウスはその笑みがどこか義務的で、凍りついた「作り笑い」であることに気づいた。実父を討ち、愛する王女ジルを幽閉し、血の覇道を突き進む若き王の底知れぬ孤独と疲弊。カリウスは胸に痛ましさを覚えたが、それを口にするほど無粋な男ではなかった。


「……急に呼び出してすまない。他でもない、恐らく遠からず、我が国は教皇庁、およびそれに同調する小国らと戦を構えることになる。そのため、そなたらの知恵を借りたい」


 フェリオルの口から淡々と放たれた言葉に、ギニアスを除く武官たちの背筋が凍りついた。とんでもない暴論を言い出した、と誰もが戦慄した。


 他国の大貴族どもは気づいていないが、現状のアストゥリウ王国軍――否、フェリオルの絶対的な武威を支える常備軍『黒旗軍』は、既に肉体的な限界を迎えていた。

 軍資金や軍馬、兵糧といった物資の話ではない。それらはフラリンの国庫や、恐怖して降伏した地方諸侯からの献上品によって、山のように手に入っていた。問題は「人」である。

 イスラン半島の異教徒制圧戦、アストゥリウ内戦、ラーンベルク戦、そして息つく間もなく敢行されたフラリン本土への狂奔的な電撃戦。すべての戦に勝利し大戦果を上げた代償として、高度に訓練された将兵の消耗は深刻を極めていた。

 現在、黒旗軍は予備兵力を加えても一万八千前後しか残っていない。一連の戦役で、実に四千名近い熟練兵を失っていたのだ。練度を維持したまま将兵を補充するには、膨大な時間とコストがかかる。これ以上の大規模な戦争など、軍事ロジックとしては「不可能」の領域に達していた。これはフェリオルと黒旗軍幹部らの、冷徹な共通認識であったはずなのだ。


「お、恐れながら申し上げます、陛下!」

 沈黙を破り、リカルドが悲痛な声を上げた。

「これ以上の大規模な戦争は不可能にございます! 教皇庁の息がかかった周辺の小国数カ国程度ならともかく、教会全体、何よりあの超大国ロアーヌ帝国までを敵に回す全面戦争となれば、現状の我々に勝ち目はございません!」


 リカルドの諫言は、軍事の常識としては百点満点だった。だが、その常識を青狐が即座に否定する。

「いや、アノー軍団長。ロアーヌ帝国は恐らく動きませぬ」

 ロンメルは静かに青い瞳を輝かせた。

「我が軍がフラリン本土へ侵攻した際、本気で介入する気があるならば、国境警備戦力を引き抜いて五千の兵でも早急に出してくるはずです。時間さえ稼げば帝国の本軍が来ると示し、フラリンの諸侯を徹底抗戦させれば、我が軍は足止めを食らっていたはず。……それをしなかったのは、帝国が『一切の準備なしには大軍を動かせぬ』鈍重な封建国家だからです」

 ロンメルは一度言葉を区切り、上座の王へと視線を戻した。

「我が国の侵攻速度に置いてきぼりにされた帝国は、今や直接介入の機を逸しました。となれば、帝国は我々に対抗するため、周辺の異端や異教徒の国家をも巻き込んだ『勢力均衡政策』へと舵を切るはず。それを行う以上、異教徒の存在を許さない教皇庁の干渉は、皇帝や帝国諸侯にとっても極めて邪魔な存在となります。帝国と教皇庁の間には、確実に致命的な亀裂が走る。ましてや帝国諸侯のかなりの部分が教会の力が増す事は快く思っていない」


「なるほど……。帝国が動かぬというのであれば、やりようはあるか……」

 リカルドが納得の表情で頷くのを見届け、ロンメルはさらに踏み込んだ策をフェリオルに具申した。

「しかし陛下。それならば尚更、我々が教皇庁と正面から戦を構える必要はございませぬ。教皇が我が国に使節団を派遣する真の狙いは、我らが異教徒の六カ国を『改宗させぬまま属国にした件』への抗議でしょう。なれば、『現在、改宗のための準備中である』と言い張り、裏で教皇庁の懐へ寄付という名の莫大な金を握らせておけば問題は起きませぬ。問題を先送りすれば、いずれ帝国と教皇庁が自滅し合う。我々が今、教皇と戦う実利は薄いかと愚考いたしますが」


 フェリオルは苦笑を浮かべながら、有能な将軍の意見に頷いた。

「確かに、そなたの言う通り、問題を先送りすれば帝国と教皇庁がいずれやり合う可能性は高い」

 だが、と簒奪王は瞳の奥に狂気を宿して笑った。

「ここで教皇の要求を真っ向から撥ね退け、一戦交えて勝利することには、それ以上の莫大な益があるのだ」


「どういう意味で……あ」

 言いかけたロンメルが、ハッと何かに気づいたように息を呑んだ。その表情を見て、フェリオルは満足げに頷いた。

「気づいたようだな。そうだ――武力制圧され、現在は面従腹背でしかない『異教徒の属国ども』の、心からの信用と忠誠を勝ち取れるということだ。我が国が彼らに改宗を迫る教皇と戦ってまで、彼らの信教の自由を守ってみせたとなれば、彼らは我がアストゥリウに絶大な恩義と忠誠を抱く。そうなれば、我らがこれから東進を開始し、本国が手薄になっても、背後から彼らに首を絞められるリスクはゼロになる。それどころか、国内の不満分子が挙兵した際、その異教徒の属国軍を『鎮圧の尖兵』として使い潰す選択肢すら生まれるのだ。……長期的な視野で見れば、これほど安い投資はない」


 違うか? と視線で問われ、リカルドもカリウスも、言葉を失って頷くしかなかった。帝国が動かないという前提があるならば、この宗教的な大博打は、国家の安全保障において極めて冷徹かつ合理的な一手であった。

 ただし――乗り越えねばならない、最悪の壁が一つだけ存在する。


「しかし、陛下……!」

 カリウスが深く眉間を険しくし、決死の覚悟で進み出た。

「教皇と正面から事を構えれば、陛下や我ら臣下はもとより、アストゥリウ王国全体が教会から『破門』されることになりますぞ! テンプレ教徒が国民の大半を占める我が国において、破門の宣告は……国家の破滅を意味いたします!」


「カリウス、案ずるな。破門を宣告するのは教会というシステムでも神姫でもない。ただの椅子の上に座っている老いぼれ個人の意思だ。それに対する手は、すでに打ってある。国内のテンプレ教教会の重鎮である、ベル大司教との話はすでについている」


 フェリオルの不敵な回答に、ロンメルが眉をひそめて問いを重ねた。

「……ベル大司教を『対立教皇』として擁立なさるおつもりですか? しかし、それをすれば、流石に帝国も黙ってはおりますまい」


 かつて聖歴八九七年。当時の教皇が帝国を支持した際、対抗したフラリン王国がライン大司教を「対立教皇」として擁立し、テンプレ教世界は異端の乱立を招く大混乱に陥った。その苦い教訓から締結された『ランドベル条約』において、ロアーヌ帝国とフラリン王国は「今後、対立教皇を擁立した国があれば、両国が共同でその国を武力討伐する」という絶対の誓約を交わしていた。

 たとえフラリンの領土を併呑しようとも、対立教皇の擁立という禁手を打てば、帝国は条約を大義名分として、アストゥリウを叩き潰すために大軍を動かさざるを得なくなる。


「対立教皇などという生ぬるいものは立てぬ」

 フェリオルは冷たい微笑を浮かべ、ロンメルの言葉を遮った。

「そのような中途半端なものを立ててしまえば、教皇庁という腐敗した権威の影響力が、どうしても国内に残ってしまうからな」


「……では、陛下は何をお考えなのですか?」

 リカルドが首を傾げて尋ねると、若き簒奪王は、神をも恐れぬ冷酷な笑みをその顔に浮かべて言い放った。


「まずは、アストゥリウ王国領内にあるすべてのテンプレ教教会を、教皇庁から政治的、かつ経済的に完全に切り離す。教義の話ではない。これより、我が国の教会が仕えるべき主は、教皇ではなく――我がアストゥリウ国王であると、その首根っこをへし折って分からせてやるのだ」


 宗教の権威すらも国家のシステムの一部へと従属させる、完全なる絶対王政の胎動。

 魔王の恐るべき宣戦布告の言葉が、ヴェルサルユス宮殿の冷たい空気を激しく震わせた。

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