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第22話 恐怖と利権の簒奪王、あるいは大帝国の落日――老獪なる諸侯の沈黙と、「勢力均衡」の致命的代償

 アルベルトが執務室で冷徹な推測を語っていたのと、全く同時期。

 ロアーヌ帝国の帝都シュバインフルトに威容を誇る、ハーベンブルク選帝公の豪奢な屋敷の奥深くでは、極めて重苦しい空気が漂っていた。


 重厚な彫刻が施された円卓を囲み、顔を揃えているのは、帝国の実質的な国策を決定づける最高権力者たち――『三公五侯』と呼ばれる大貴族たち、そして親族衆筆頭であるコンラディン侯である。

 普段であれば、帝国北部の覇権を巡って犬猿の仲であるシュタデーン公オットーとピルイン公サイラスが火花を散らし、中央貴族の筆頭たるハーベンブルク公が両者を牽制し、リトルフィング辺境伯やプシェミスル辺境伯が各々の利権のために舌戦を繰り広げる場だった。


 だが、今日は違う。

 西から迫る新たな脅威――超大国フラリンを瞬く間に飲み込んだ簒奪王フェリオルという未曾有の暴風雨を前に、彼らは一時的に牙を収めざるを得なかったのだ。


「……やはり、我ら帝国単独で立ち向かうのは危険だ」

 最初に口火を切ったのは、シュタデーン公オットーだった。いつもは傲岸不遜なその顔にも、珍しく濃い焦燥の色が浮かんでいる。

「フラリン侵攻の機会を逸した今となっては、奴の軍勢はもはや西の平原を完全に席巻している。黒旗軍の武威もさることながら……問題は、奴の『政治手腕』と、その圧倒的なスピードにある。降伏した諸侯を次々と取り込む手法は、悪魔的としか言いようがない」


「左様だ」

 ピルイン公サイラスが、忌々しげに同意する。

「奴はただの暴君ではない。『恐怖と利権』を使い分ける狡猾な怪物だ」

 サイラスの瞳に、深い警戒の色が宿る。

「奴は圧倒的な武力で諸侯を強圧的に従わせつつも、ただ踏みにじることはしない。降伏すれば領土の削減と引き換えに所領を安堵し、さらには……逃亡したフラリン王太子の首を差し出したカイエン侯のように、裏切って特大の武功を立てた者には、一切の領土削減を行わず完全な保障を与えておる。これはアストゥリウ内戦でヘルメス派についた諸侯に対しても同じだったと聞く」


 円卓の重鎮たちが、苦々しく息を呑む。

「恐怖で縛り、功績には確実な褒賞あめを与える。そうして諸侯の猜疑心を煽り、雪崩を打つような裏切りと、自発的な服従を生み出しておるのだ。……あれは単なる軍事侵略ではない。奴はすでに、我がロアーヌを喰らい尽くすための『新たな大帝国建設』の初動段階に入っておるのだ」


 サイラスは憎々しげに吐き捨てた。

 かつて自身の娘であるアリシアが、フェリオルの狂気的な進軍速度と危険性を何度も訴えていた。だがサイラスはそれを「女の浅知恵」と一笑に付し、大国のセオリー(常識)に胡坐をかいていた。

 結果として娘の予言通りになったわけだが、サイラスは己の愚かさを認めるつもりなど毛頭なかった。「まさかあの簒奪者が、軍事のセオリーすら無視して進軍する狂人だったとはな」と、すべてを敵の異常性のせいにして責任転嫁することで、自尊心を保っていたのである。


「となれば……」

 ハーベンブルク公が眉間に深い皺を寄せながら、静かに呟く。

「こちらも時間をかけて全軍を動員し、正面から迎え撃つ以外に道はない……と言いたいところだが」


「それは愚策中の愚策だ!」

 即座にシュタデーン公が激しく否定した。

「我が帝国軍は、動員に時間がかかりすぎる! 仮に大軍を集めてフェリオルを打ち破ったとしても、その隙に別の勢力が虎視眈々と帝国の衰退を待っているのだ。それでは勝っても疲弊するだけであり、最悪の場合……」


「……東西から挟撃される形になる、ということだな」

 リトルフィング辺境伯が、苦渋に満ちた表情で続きを補足した。

 一同の視線が、円卓上の巨大な地図へと集まる。海を隔てた島国には異端の『アルピオン王国』が、そして東には広大な草原を支配する『クマン族』の遊牧国家が位置している。帝国軍を西のフェリオルに全振りすれば、彼ら非テンプレ教圏の勢力が必ず手薄になった国境を脅かしてくる。


 重苦しい沈黙が支配する中、最も口数少ないプシェミスル辺境伯がぽつりと漏らした。

「……ならば、それらの国々を味方につけるという考え方もあるのではないか?」


 その提言に、サイラスが顎を撫でる。

「ふむ……。アルピオンは異端とはいえ、簒奪王の野望は彼らにとっても他人事ではない。クマン族も、条件次第では引き込めるかもしれんな」


「そうだ!」

 シュタデーン公が勢いよく立ち上がった。

「異端だろうと異教徒だろうと関係ない! 我々はまず、我が帝国の国土を守ることが最優先だ! 彼らを外交的に懐柔し『対等な同盟』を結び、フェリオルの背後を突かせるのだ! 外側からのアストゥリウ包囲網を完成させるのだ!」


 彼の熱弁は、この難局における唯一の軍事的な光明セオリーに思えた。

 しかし――。


「――待たれよ、諸卿」

 それまで黙って推移を見守っていた親族衆筆頭、コンラディン侯が、底冷えのするような冷徹な声で水を差した。

「それを行うには……どうしても避けられない、致命的な問題が一つある。……教皇庁との全面対立は、絶対に避けられんぞ」


 その一言で、昂奮状態にあった会議室の温度が一瞬で氷点下まで下がった。

 中央貴族の代表格であるハーベンブルク公も、重々しく頷く。

「コンラディン侯の仰る通りだ。異教徒や異端との『対等な軍事同盟』など、テンプレ教正統主義の枢要をなす教皇庁が絶対に認めるはずがない。強行すれば教皇は間違いなく激怒し、我が帝国は『破門』される」


 破門。

 その単語が響いた瞬間、五侯の顔色から一斉に血の気が引いた。

 破門された国家がどうなるかは、血塗られた歴史が証明している。周辺のテンプレ教国からの交易封鎖や聖戦の対象となるばかりか、帝国領内の教会からの信仰的支持も失う。敬虔な民衆は動揺し、各地で反乱の業火が上がるだろう。帝国の存立基盤そのものが内側から崩壊するのだ。


「だ、だが……! 破門というリスクを冒してでも勢力均衡策をとらねば、いずれフェリオルに力負けして国が滅ぶのだぞ……!」

 シュタデーン公が呻くように言った。

 リトルフィング辺境伯が脂汗を滲ませながら俯く。

 ピルイン公サイラスも珍しく難しい顔で腕を組む。

 プシェミスル辺境伯は祈るように両手を組み合わせた。


 そして……重苦しい沈黙が、彼ら大貴族の間にどんよりと垂れ込めた。

 勢力均衡策(破門)を選んでも、単独迎撃(消耗戦)を選んでも、どちらの道の先にも滅びの足音が聞こえる。

 フェリオルという常識外れの嵐の前には、彼らの政治生命のみならず、千年の歴史を持つロアーヌ帝国そのものの寿命さえが、風前の灯火のように儚く見えたのだった。

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