第17話 落日の要塞に咲く希望の光――「あなたが立つ時、私が精一杯支えます」。無慈悲な運命に翻弄される少年と少女
ほどなくして、先ほどの騎士に伴われて、長い空色の髪を後ろで束ねた少女が執務室に姿を現した。その身に纏う豪奢な神官服から、彼女がテンプレ教の司祭であることが分かる。
アランの姿を認めると、少女――ルイ・ディクレーは澄んだ声で一礼した。
「お久しぶりですね、アラン様」
アランは緊張を解き、ルイにソファーに座るよう勧めると、自身も対面のソファーに腰を下ろした。
「久しぶりだね、ルイ。そうそう、この前司祭になったんだってね……おめでとう。その若さで大したものだよ」
「父と姉の力ですわ。私は何も行っておりません。ただ、大人の決めたことに大人しく従っているだけです」
ルイが少し寂しげな声を漏らすと、アランは彼女の空色の瞳を覗き込んだ。異性に対するものとしては、あまりにも気安い距離感だ。人払いが済んでいるとはいえ、近侍の騎士が僅かに眉をひそめたのも無理はなかった。
「今はそうだろう。でも、いずれ君は君の考えで動けるようになる。いつかは教皇になり、教会権力を握るのだろう?」
ルイは端正な顔に柔らかな微笑を浮かべ、深く頷いた。
「そのつもりで、日々、身を律しております」
アランもまた、我がことのように頷き返した。
それは、ルイが胸の奥底に秘めた激しい野心であった。
圧政を敷き、領民から税を搾取して自らの懐を温めることしか興味のない王族や大貴族が、このナーロッパにはあまりにも多すぎる。そして、貧しい民を助けるべき教会さえも、上層部は貴族勢力と迎合し、既得権益を守るためだけに動いていた。
既得権益にあぐらをかく腐敗した教会勢力も、傲慢な貴族勢力も、本来ならば一掃し改革を進めたいところだが、現実的にそれは不可能だ。ならば、まずは教会勢力を完全に掌握し、その権力で貴族勢力を牽制しながら、内側から少しずつ改革を進めていく。それこそがルイの抱く、青くも気高い野心の正体であった。
「アラン様は、何をなすのか……お決めになられましたか?」
ルイの問いに、アランは苦笑を浮かべた。
ルイや、あるいはかつての友人である簒奪王フェリオルと同様に、アランもまた既得権益にあぐらをかく大貴族への嫌悪を確かに抱いていた。だが、自分は王位継承権の遠い、兄ローズベルトの命を受けるだけの第2王子に過ぎない。
「何も決めていないさ。僕は、君のように成長していないな」
「いいえ、私にはそうは見えませんわ」
空色の髪の少女は、優しい声で続けた。
「アラン様のお心とお立場はよくわかります。私は、今のままで良いと思いますわ」
ルイの空色の瞳に、一段と強い光が宿る。
「万が一、あなたが立たなければならない時が来た時には、このルイ・ディクレーが精一杯支えて差し上げます。友人としてだけでなく、お互いの目的の理解者として」
「ありがとう、ルイ。……でも、そのような大事が来ないように願っているよ」
自分が立たねばならぬ時とは、すなわちこの国が完全に破滅の危機に瀕した時だと、アランは考えていたからだ。
しかし、ルイは表情を暗く曇らせ、痛ましげにアランを見つめた。
「……やはり、まだ何も知らされていなかったのですね」
その一言に、アランの背筋に先ほどから抱いていた不吉な予感が、冷たい悪寒となって走った。
「王都バリは、陥落いたしました。ローズベルト王太子殿下が防衛を放棄して逃亡したことにより、王都守備軍は戦わずしてアストゥリウ軍に降伏したようです。私は包囲が完成する前に王都を脱出しましたので、あくまで道中で聞いた噂の限りでは、ありますが……」
「バリが落ちた……? しかも、兄上は逃亡したというのか!?」
最悪の事態を予想していたとはいえ、事実を突きつけられたアランは呆然と自失した。
噂とはいえ、要塞から出した使者が誰一人として戻っていない以上、ほぼ事実と見て間違いない。
国王と共にフラリンの最精鋭兵力と有能な指揮官たちが国外の決戦で全滅し、敵の大軍に侵攻されている現状だ。王都に王太子が健在だったとしても建て直しは容易ではない。それなのに、戦わずして次期国王たる兄が逃げ、あっさりと首都が敵の手に落ちたとなれば、もはやこの国に望みなど残されていなかった。
この凶報が広まれば、保身を第一とする国内諸侯は雪崩を打って簒奪王側へ寝返るだろう。このローベラ要塞をはじめとする各地の国軍残存部隊とて、勝ち目なしと見た傭兵の大量離脱や、徴兵された民兵の集団脱走が起きるのは時間の問題だ。軍の崩壊は目に見えていた。
「これから、どうなさいますか?」
ルイの静かで、しかし凛とした声が、アランの意識を現実へと引き戻した。
「……このままここで戦っても勝ち目はない。ならば、他国へ亡命しようと思う」
「国を捨て、民を見捨てて、お逃げになるのですか?」
ルイはわざと瞳に冷ややかな軽蔑を込め、挑発の匂いを染み込ませて問いかけた。
「違うっ!!」
挑発に弾かれたように、アランの声が鋭く響いた。
「ここで俺が無意味に死んでも何にもならない! ここは何としても生き延び、フラリンの民の生活を見届ける。もしフェリオルの治世のもとで、民が幸せに暮らしていけるのならそれでいい」
アランの赤い瞳に、宿命を受け入れた男の強い光がこもる。
「だが、もしフラリンの民がアストゥリウの軍靴の下で苦しむようなら……俺は必ずフェリオルを討ち、フラリンを再興させる!」
元々、フラリン王国の崩壊は、父王がアストゥリウ王国へ無謀な侵攻を仕掛けたことが原因だ。幼少期に人質として本国にいたフェリオルと仲が良かったこともあり、アランは彼をそこまで憎みきれてはいなかった。フラリンを滅ぼそうとしている張本人ではあるが、我が国にも少なからず責任はあると、理性的、かつ客観的に大局を見ていたからだ。
だが、民が苦しむというのなら話は別だ。その時は、かつての友であろうとも、何が何でも討ち果たして祖国を解放する。それこそが、民に養われてきた王族としての、最後の義務だとこの時のアランは確信していた。
アランの言葉と、その毅然とした態度から真意を汲み取ったルイは、満足そうな笑みをその美しい顔に浮かべた。
「それで良いのですわ、アラン様。……亡命先は、ロアーヌ帝国ですわね?」
アランは苦笑混じりに頷いた。先ほどの言葉は、自分の本心を引き出すための彼女なりの挑発だったのだと気づいたが、怒る気にはなれなかった。
「今のアストゥリウ王国に対抗できる近隣諸国は、ロアーヌ帝国か、あるいは島国のアルピオン王国くらいだからな。となれば、テンプレ教から見れば異端とされるアルピオンよりは、帝国へ向かうのがまだマシだろう」
「それが最も無難だと思いますわ。ただ、帝国のハインリヒ3世皇帝は、決して油断ならぬ狡猾な人物だと聞いております。十分にお気をつけください」
ルイは誠実な声音で忠告を続けると、ソファーから立ち上がった。
「それと……これだけは忘れないでください。私は、いつでもあなたの味方であるということを」
アランは少し気恥ずかしそうに頭を掻きながら、同じく立ち上がった。
「あぁ、ありがとう、ルイ。君も何かあったらすぐに言ってくれ。俺も、できる限りの力になるから」
アランが右手を差し出すと、空色の髪をした少女もまた、その柔らかな右手を伸ばした。
「ふふ、まずは力が必要なのはアラン様の方でしょう?」
ルイは茶目っ気のある苦笑を浮かべながら、その手をしっかりと握りしめた。
滅びゆく国の片隅で、若き二人の「覇道と改革」への盟約が、ここに結ばれた。
――結ばれた、はずだった。
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