#21 勝負の行方
視界が、少しずつ開けていく。
庭のほうから零れてくる明るい光が颯太の五感を刺激した。どうやら、戻って来れたらしい。
心の片隅でホッとしたのも束の間、颯太は自分の両脇に屈み込む結月と莉華子の存在に気づいた。あろうことか、二人の顔は颯太の間近にあり、なおかつ颯太を凝視している。一拍の間を置き、颯太はぎょっとして飛び上がった。
「うわあっ!なに!?」
状況の把握が出来ていないせいで、赤面するより先に挙動不審になる。思い切り後ずさりして二人から離れようとするものの、颯太は部屋の壁に背を預け、前方に足を投げ出している姿勢だった。はっきり言って逃げ場がない。
そういえば、縹がそういう風に下ろしてくれたんだった――今はそれがありがたいやら恨めしいやら、本当に何が起きているのかわからないせいで、颯太には判断のしようがなかった。
「あっ、起きましたわ!ふふっ、今回の勝負は簡単に決着がつきましたわね」
「ちょっと、まるで莉華子が勝ったみたいな言い方だけど?」
颯太の問いには答えず、莉華子と結月が互いを見合った。残念ながら、今しがたまで二人揃って颯太を心配し眺めていたというような状況ではないらしい。
「そうですわ。颯太はわたくしの呼びかけに応じて起きましたの」
「違うわよ。私のくすぐり攻撃が効いたのよ。だいたい莉華子は呼びかけって言うけど、肩を揺すり過ぎて颯太が壁に頭をぶつけてたじゃない」
「その衝撃で意識を取り戻したのかもしれませんわね。となると、やはり、わたくしの勝ちですわ」
「違うったら!」
言い合う美少女二人をよそに、颯太はそっと後頭部を触って確認した。ぽこりとした出っ張りは感じられるが、先日の事故によるものもあってイマイチ判別はつかない。痛みも感じられないし、おそらくは軽く擦った程度だったのだろう。
ところで結月のくすぐり攻撃というのはなんだろうか。気にはなるが、目の前で舌戦を繰り広げている二人に対して口を挟めるような隙はなかった。
「お前、早く気がついてよかったな。もう少し遅かったら大変なことになってたかもしれないぞ」
結月と莉華子の陰になっていてすっかり気づかなかったが、縹がひょいと顔を出した。昏々と眠り続けている波流のそばで、暢気にお茶など飲んでいる。
「縹さん!これはいったい……」
「お前、身体と魂が分離した状態で困っていただろう。さっきまで、どうすればいいかって話をしていたんだよ。で、とりあえず身体に刺激を与えてみたら起きるかもって杏寿が言い出したんだが……。あれ、そういえば杏寿はどこに行ったんだ?」
「杏寿さんとはたった今向こうで会いました。それで、起こしてくれたのは嬉しいんですが、この二人はなにしてるんですか?」
颯太の返答で杏寿の居場所を把握したらしい。縹はきょろきょろとあたりを見渡していたのを止め、代わりに肩を竦めた。
「お前が起きるかどうか色々試しているうちに、結月と莉華子の“勝負”が始まったのさ。ちなみに、俺はこうして大人しく観戦している。ま、いつものことだ」
「勝負って、それはつまり……」
「お前の予想通りだと思うが、どっちが先にお前を起こせるかっていう勝負だ。心配するな、武力行使前にこうしてお前は起きた。怪我はない」
「ちょっ……怖い!見てないで止めてくださいよ!」
「そう言われても、この二人が顔を合わせたら大体こうなるからな。巻き込まれるのは嫌だし、基本放置している」
縹は湯飲みを手にすると、ごくりとお茶を喉の奥へと流し込んだ。完全に他人事だ。
ふと、視線を感じて横を見ると、本を読んでいたはずの遊璃と目が合った。遊璃は本を広げたままだが、哀れむような視線だけこちらに向けている。
「あの、」
「……別に」
遊璃は颯太の言葉を最後まで聞かずに、再び本へと視線を落とした。颯太の状況に同情はするが関わりたくない、というところだろうか。遊璃は言葉数こそ少ないものの、その目は口ほどにものを言っている。割と感情が表情に表れやすいらしい。
「……こ……これじゃ埒が明きませんわ……!いっそ本人に聞いてみるのはどう?」
「そ、そうね……!颯太からはっきりと言ってもらいましょう」
颯太が縹と話している間にも激しい口論をしていた結月と莉華子が、肩を上下させながら一旦戦いを中断した。
しかし、息つく暇なく今度は颯太に向き直る。二人とも気合の入り方が半端ない。
「颯太、どちらがあなたを起こしましたの?」
「もちろん私よね?」
「え……いや、えっと……」
(ど、どっちが……!?ってそんなのわかるわけないし!)
「いいえ、わたくしですわ。そうですわよね、颯太?」
「私でしょ!?颯太っ!」
結月と莉華子は互いの勝利しか考えていないのか、距離感を大きく間違えて颯太ににじり寄ってくる。
美少女二人に取り合われ詰め寄られるなんて、なんて素晴らしいシチュエーションなんだ――正直言ってそんな風に妄想したことも過去にはあった。が、これはちょっと違う。
だいたい、この件について颯太が言いたいことはひとつだ。それについて、空気を読んで言わずにいたのだが、二人に詰問されたことによりパニックに陥った颯太はつい口にしてしまった。
「そんなのどっちでもいいし……!!」
途端に、結月と莉華子の顔が般若に変化した。
「どっちでも……いい?」
「あっ!いや」
「……颯太、どっちでもよくなんかないのですわ……。これは勝負なのですから……」
(ま――まずい……)
颯太は瞬時に己の愚かさを悟る。これは思っていても言ってはならないことだった。二人にとっては真剣勝負なのだ。周りにとってはどんなに馬鹿馬鹿しくて、はた迷惑で、低レベルだと思うような争いでも。
「こうなったら、やるしかないようですわね。結月」
「そうね。初めっからそうしていればよかったわね」
結月と莉華子がすっと立ち上がった。これだけの会話で、二人には通じるものがあるらしい。
戸惑う颯太を置き去りにして、二人は揃って縁側へと歩み出た。
「お、そろそろ始まるか。お前、こっちに避難したほうがいいぞ」
「えっ?」
振り返ると、縹が颯太を手招きしている。既に遊璃は座布団ごと部屋の一番奥へ移動し、本の続きを読み始めたところだった。避難完了ということらしい。
「なにが始まるんですか?」
「ん?ああ……女の戦いだな」
縹が最後まで言うか言わないかのタイミングだった。
バリバリッと放電するような音が背後で響き、颯太は慌てて庭のほうへと向き直った。
そこでは、二つの眩い光の渦が立ち上り、徐々に膨らみ始めていた。それぞれの中央には結月と莉華子がいて、互いを見合っている。光の渦は触れ合うたびに小さな火花のようなものを散らした。危ういながらも、まだ均衡が保たれているようだ。
「えっ、まさかここで力を使うつもりじゃ……!?」
「安心しろ。この屋敷は静流様の結界により守られている。あの二人がちょっとくらいやりあったところで傷一つつかないぜ」
「だけど、怪我しないんですか!?」
「まあ、本人たちは多少傷つくと思うが、所詮は子どものケンカだ。いくらなんでも死にはしない」
子どものケンカの域を既に越えてると思うけど――呆気に取られながらも、颯太は縹のそばに腰を下ろすと改めて庭に立つ結月と莉華子に目をやった。
颯太が見渡せる一帯に、二人を中心にした力が押し広げられていく。力に呼応するようにして、庭の木や花が揺れ、池の水面に小波が立った。だが、二人から発せられる熱量からするとそれはあまりにも小規模な変化だ。それだけ、堅牢な結界の中にいるということなのだろう。
「……結月、降参してもいいんですのよ?病み上がりなのですし、今回は大目に見てあげてもかまいませんわ」
「結構よ。莉華子こそ、全力で来ないと大変なことになるわよ。私、もう祓師になったんだから。今までと違って使える術も増えたし」
「あら、それは楽しみ。でも、わたくしにも祓師としてのキャリアがありますの。その一年の差を、結月に見せて差し上げます!」
睨み合っていた二人のうち、先に動いたのは莉華子だった。
右手を前に差し出すと同時に、その掌の中に新たな光が生まれ、やがて別の形をもって収束する。莉華子が腕を振るうと、それはしなやかに地面を打ち、ピシャリと音を立てた。――鞭だ。
「行きますわよ!」
言うが早いか、莉華子は地を蹴って軽々と跳躍した。結月と同じ祓師というだけあって、莉華子も例によって重力をさほど感じさせない動きだ。結月の頭上に到達すると、まっすぐに鞭を振り下ろす。狙った先にいたはずの結月も、ひらりと舞うようにしてこれをかわすと、そのまま勢いよく後ろへ飛び退いた。
「まだまだ!」
追撃は止まない。風を切り裂く音とともに、次の一手がまだ空中にいる結月に向かって放たれる。
ようやく結月の右手が前に差し出された。迫る鞭の軌道上に、人差し指と中指だけを突き立てる。結月の頭上に人一人分の幅の光の陣が浮き上がるのと、それを鞭が容赦なく打つのはほぼ同時だった。
「――ッ」
一際大きな破壊音とともに、閃光があたり一面を覆う。
颯太は、眩しさのあまり目を開けていられない。手をかざしてなんとか視界を確保し、結月と莉華子の影を追った。だが、二人の姿は光の洪水に飲まれたままだ。
(ど、どうなってるんだ……!)
颯太が眩しさに耐え切れなくなった時、不意に、発光が弱まった。何かに抑圧されるようにその勢いは削がれ、徐々に収まっていく。
煌めく光の粒子が悉く霧散した後も、まだあたりの見通しは悪かった。土煙に紛れて、結月と莉華子の姿がうっすらと見え始めたのは、その少し後だった。




