#22 真なる名
「……あーあ。また派手にやっちまって」
ようやく土埃が晴れたのを見届け、縹が口を開いた。颯太は目の前に広がる光景に愕然とする。確か、ここは、草木が綺麗な庭園だったはず――。
結月と莉華子がいた場所は、今や灰燼に帰したといってもよかった。地面がごっそりと抉られている。いわゆるクレーターというやつだ。小さな隕石でも落ちてきたのか、と思えるほどの。
「傷一つつかないんじゃないんでしたっけ……?」
「まあ、こういうこともたまにあるな。結月が力の制御を怠ると」
悪びれもせず、縹は自分の前言を訂正した。
そして、立ち上がると縁側へ向かう。二人のところへ行くのかと思いきや、縹は縁側に出ると横を向き、一礼した。気づけば、障子に人影がいくつか映っている。誰かが部屋の外に来たらしい。
窪んだ地面の中央で向き合ったまま立ち尽くしていた結月もそれに気づいたらしく、パッと顔を上げた。
「静流兄様!」
「し……静流様っ!」
結月の声につられ、莉華子も振り仰いだ。その表情は複雑そうだ。嬉しさ反面、ばつが悪そうに鞭を持つ手を身体の後ろに隠す。縁側に来た一行の先頭にいた静流は、微笑を浮かべながら二人を見下ろした。
「やあ、結月、莉華子。今日も手合わせかい?」
「は、はい……」
「そ、そうですわ……」
「そうか。鍛錬に熱心なのは良いことだね」
「あの、お手を煩わせてしまい申し訳ありません。結月の力の暴走はわたくしでは抑え切れず……」
「兄様、ごめんなさい。庭をまた壊して……」
「二人とも、気にすることはないよ」
ひたすら低姿勢の結月と莉華子を責めるような言葉は、静流からは出てこない。二人は安堵した様子で顔を見合わせた。が、それで終わりではなかったようだ。
静流は顎に手を当てると、ふっと息を吐いた。
「ただ、少し見ていたけれど、結月は結界の張り方が大雑把過ぎるね。昨日言いつけたとおり、陣の構成の基礎からやり直す必要がある。感覚に頼っているだけでは今のように簡単に壊されてしまうし、そうして生まれた焦りが力の制御に影響するんだよ」
「うっ……精進します……」
「莉華子は攻撃が単調過ぎるね。鞭という武器が持つ長所が活かされていない。相手に攻撃の筋を読ませないようにしなければ、簡単に防御されてしまうだろう。今の手合わせの相手が波流だったなら、反撃を受けて終わっているところだね」
「お……仰るとおりですわ……」
「ああ、二人ともまだ鍛錬の途中だろう。折角の機会だ、縹に指南してもらいなさい」
「えっ!?」
結月と莉華子の驚きの声に、縹の声も混じった。縹にとって予想だにしなかった展開と見える。静流の後ろに控えていた柑子が、鈴を転がすようにして笑った。
「……縹、口元に煎餅の欠片がついているわ。もう充分休憩したのでしょ、少しは身体を動かしていらっしゃいな」
縹は慌てて口元に手をやった。柑子の言う通り、小さな欠片の感触がある。目の前の静流もどうやら柑子と同意見らしく、穏やかな顔で頷いた。こうなると、縹は主には逆らえない。項垂れつつ「承知……」と呟く。
「あ、鍛錬なら私もしたい!」
静流の後ろから、勢いよく杏寿が飛び出してきた。
「ねっ、遊璃も一緒にしようよ!」
「僕はいい。ここにいる」
遊璃は何の迷いもなく、杏寿の誘いを無碍にする。なにがなんでも自分のペースは崩したくないらしい。断固とした意思を感じさせる態度だ。
杏寿は大きく口を尖らせたが、しつこく食いさがることはなかった。代わりに、静流が微笑んだ。
「遊璃も久しぶりに皆と鍛錬してきなさい。コミュニケーションを図ることも大事なことだよ」
「…………」
遊璃の眉間に深く皺が寄った。杏寿の時のように即答で拒否はしないが、顔に嫌だと書いてあるのが颯太にはわかる。
しかし、意外にも、数秒の間のあと遊璃は小さく頷いた。諦めにも似た空気を漂わせ、本を閉じて立ち上がる。
「わぁ、遊璃、早く早くっ!」
「そんなに急かさないでよ……はあぁ……」
漏れ出た溜息にも一向に構わずに、杏寿は上機嫌で遊璃の腕を引いていった。
「大丈夫だったかい?」
くしくも人払いされた部屋の中に、静流と柑子、芙蓉が入ってきた。
大丈夫だったか、という問いは、あの大広間から颯太の魂が消えたことに対するものか。それとも今まさに起きていた、結月と莉華子の“勝負”に対するものか。
「……はい、なんとか」
どちらとも取れるよう、颯太は答えた。とりわけ、今しがたの結月と莉華子の能力の激突に関していえば、やっと心が落ち着いたところだ。結月と妖魔の戦いは目にしていたが、まさか倉間の屋敷で祓師同士が衝突するなどとは微塵も思っていなかった。
「あの不思議な力は、祓師の力なんですよね?いったいどうしてこんなことが出来るんですか?」
颯太は、結月と莉華子の激戦が残した爪跡をまじまじと眺めた。初めの問いが肯定されることは確実だったが、祓師の力とは何なのか、それが知りたかった。
「本来、祓師は札や術式を用いて妖魔を退治する。これも充分不思議な力だが、君が目にした力は少し特殊だ。これは、九曜の血を継いだ者だからこそ持てる力」
静流の視線も、颯太同様に庭へ向いた。ぽっかりと大きな口をあけた地面のそばでは、縹の指導の下、結月と莉華子が鍛錬に勤しんでいる。杏寿は見様見真似でそれに続き、遊璃は屋敷の者がどこかから運んできた土の山を、抉れた地面の上に被せていた。ひどく渋々とした表情だ。
「九曜は、祓師としての名を持つ権利を得て自らに名をつけたと、さっき説明したね。『鞍馬』『蘇芳』『鵜帥』『鵬将』『泰羅』『白嶽』『匡』『那由多』『計都』――この九つの真名が、あの不思議な力の原始」
「マナ?」
「真なる、名」
静流はすっと指を持ち上げると、空中にそれぞれの真名を漢字で書き示した。
「真名とは本来、祓師が式神を得る儀式の際、式神となる生き物に与える名のことを指す」
「ペットに名前を付けるみたいな感じじゃないんですよね……?」
「もちろん、単なる名付けではないよ。生き物の魂に、名を刻印する。それは、自らの力を分け与える代わりにその生き物の魂――即ち生命と存在の根幹に干渉し、その全てを祓師の支配下に置くことと同義。九曜は、それと同じようにして自らの魂に名を刻んだ」
そんなことができるのか――颯太は呆気に取られた。
確かに、直弥からも式神のことは『自分の僕に下す生き物』だと聞いていた。それが、生き物の魂を支配下に置くなどという神業のようなことを言っていただなんて。
名を刻印するというのも、実際のところどうやるのか颯太にはまったくわからない。祓師とは、とにかく人間離れした存在だと、つくづく思う。
「自分に名を刻むと、どうなるんですか?自分の魂を僕に下す……?」
「認識は概ね合っている。九曜は自らの魂を完全に支配することで、潜在する意識や能力にまで干渉し、自由に引き出すことができるようになった。魂とは生命力そのものであり、祓師の強靭な精神力も有する、いわば途方もなく大きなエネルギーの融合体。それを有形無形、自由自在に、九曜は操るようになったんだよ。それが、君が目にした力」
「なるほど……。九曜もあの力を使っていたんですね」
「そう。まさに、人知を超越した存在だったろうね。そうした九曜の能力は、それまでの祓師の常識と戦い方を一変させるに余りあったから。それに、他の誰も九曜の高みへは到達できなかった」
言葉にならず話を聞いている颯太の顔に、「なぜ?」という単語が浮かんでいたのだろう。静流は颯太が口を開くのを待たずして、言葉を続けた。
「人の魂への刻印術は、祓師がその生涯をかけても習得できないほど難度が高く、死のリスクも伴うもの。事実、術の失敗による死者は後を絶たず、ほどなくしてこの術は禁忌とされた。いわゆる、現代の祓師における三大禁忌の一つ。ゆえに、古い文献を紐解いても、人の魂への刻印はこの世に九つしか存在しないと記されている」
九曜という、想像にするだに別格の存在。
そんな、真名の刻印を持つ先祖の血統を絶やすことなく受け継いできた結果が、あの不思議な力に繋がる。それは充分に理解できることだった。
「倉間家の先祖は、『鞍馬』さんですか?響きが同じですけど……」
「その通り。大禍を封印した後、残った五家にはその封印を守り続けなければならない使命ができた。その結束のため、五家は各家の九曜の名――『鞍馬』『蘇芳』『鵜帥』『鵬将』『泰羅』の五つの真名を氏に戴き、体制を改めて五曜となったという経緯がある」
要するに、九曜の真名をそれぞれの家が苗字にした、ということなのだろう。
「どうしてわざわざ漢字を変えたんですか?」
「九曜の真名は、とかく強力なものだ。同じ血族だからといって、そのまま戴くというのは非常に恐れ多い。だから、音だけを貰う形になったんだよ。鞍馬は倉間、蘇芳は周防、鵜帥は碓氷、鵬将は宝生、泰羅は平、というようにね」
静流の昔話は、そこで途切れた。
穏やかな時間が流れる。庭に響く賑やかな声が、今は平和なのだと感じさせる。静流の話は、遠い昔の話なのだと。
「ところで、先ほど僕は『真名は九つしか存在しない』と言ったけれど」
不意に、静流が口を開いた。他愛無い話の続きのようにして、再び昔話の幕が上がる。
「真実は異なる。それはあくまでも文献上の話だ」
「えっ……!?」
「この世には、文献にない失われし真名が存在する。そして、それがおそらく、君に関係しているのだと思う」
「どういうことですか?」
颯太は思わず畳に手をつき、勢いよく立ち上がりそうになった。静流に微笑まれ、はっと我に返る。
「す、すみません。急に」
「いや、こちらもだいぶ寄り道をしたからね。とはいえ、それは今から僕が話すことを、君に正しく理解してもらうために必要だったことだ」
静流は扇子を広げ、口元に当てた。視線がそばに控える芙蓉へ飛ぶ。芙蓉は静かに頷いた。
――何か重要なことなのだ。
颯太は漠然と認識する。そしてそれは正しかった。
静流が颯太に視線を戻した。
颯太から何かを読み取ろうとでもするように、その瞳の奥を見据え、静流は告げた。
「どうやら、君の魂には――その失われし真名が、刻まれているらしい」




