65話 窮鼠、猫を噛む
久し振りの投稿です。
足音だけが、静かな廊下に響き渡る。
藍色に染まった廊下を、私とハヤブサは駆け抜けた。
城の地図は、頭の中に入っている。あとは、ハヤブサの鼻と自分の感知能力にかけるしかない。足音を忍ばせる術を知らぬ人が隠密行動だなんて、ありえないにも程がある。だが、ナンシーもナナシも役に立たない以上、動ける人材は私だけだ。
問題は早急に解決し、さっさと全てを終わらせなければ時間ばかりが無意味に過ぎていく。それは、敵に考える時間を与えていることにも繋がってしまう。
「ハヤブサ、大丈夫?」
先を奔るハヤブサに、声をかける。
ハヤブサは何も答えない。ただ、その小さな背中は自信で満ち溢れていた。語るまでもない、ということらしい。その背中からは、いつも怖がって私の後ろに隠れていた小さな犬の面影は全く感じられなかった。
短い間に、犬でもここまで変わるモノなのか――と感心してしまう。なんだか、こんな危機的状況なのに、表情が緩んでしまった。
犬でも、ここまで変わることが出来る。
私だって―――元の世界にいた時と比べたら、少しは成長した、はずだ。
「出来る、私だって――いや、私だからやってみせる」
言い聞かせるように、呟いた。
声が夜の闇に吸い込まれていく。声も、足音も、何もかも。
このまま自分も吸い込まれていくようで、少し前の私だったら、心細くなっていただろう。でも、不思議と怖くない。このまま、目的地まで駆け抜けられる気がする。この大仕事を絶対にやり遂げる自信があった。
「ここだ」
はた、と足を止める。
廊下の影に身を隠し、そっと目的地を伺った。鉄格子の扉の前には、強そうな兵士が佇んでいる。人数は――予想していたより少なく、たった2人。されど、相手は強靭な兵士だ。
「さすが、食糧庫。護りも硬い硬い」
だけど、私はコレを突破する。
そこでようやく、任務完了。私はハヤブサに下がるよう、手で合図する。ハヤブサは、そっと――私の脚の後ろに隠れた。視線の端で確認。催涙弾の栓を口でに引き抜くと、屈強な兵士の前に、勢いよく転がした。
からん、という乾いた音と共に、白い煙が平凡な廊下に満ち溢れる。すっと冷たい床に膝をつき、右手を自分の口に、左手をハヤブサの口元に充てる。そして、そっと呪文を唱えた。
「遮断――コード:煙」
パッと両手を振れば、霞かけていた視界がクリアになる。
あまりに急にクリアになったものだから、ちょっと眼が痛くなった。だけど、これで私もハヤブサも催眠煙が充満している中でも―――短時間なら活動することが出来る。私は、駆けだした。ハヤブサも、後に続く。白い世界に、私達の足音だけが響き渡る。軽く足音を響かせ、重い扉を力の限り突き破る。鍵がかかっていなかったらしく部屋は、案外簡単に開いた。重い音の向こうを覗けば、食べ物独特の臭いが鼻を擦る。幽霊の眼を通して視た薄暗い世界が、そこには広がっていた。
パッと手を振り、体力節約のため術を解除する。
「よし、やるか」
「なにをやるのですか?」
火打石を取り出した私の背中に声が響く。
白い煙の向こうに、誰かが立っている。暗い人影に、私は震えそうになる。ハヤブサが威嚇する様に大きく吠えた。だが、そんな威嚇など聞こえていないように――人影は、ゆっくりと近づいてくる。
「大方――幽体を口の周りに張ることで、自分達は一時的に催眠煙を突破できたのでしょうね」
「だが、そんなこと計算済みだ。仕掛けて来るであろう場所が分かっているのであれば、そこで待ち伏せをしていればいいということ」
アルフレッドとブルースだった。
無駄に輝く主人公たちは、私達に無慈悲な視線を送る。私は一歩、後ろに下がった。
「私は――」
言い訳をしようと、口を開きかける。
だが、既に見張りを倒してしまった。私は客人ではなく、脱走者でもない。敵と判断されてしまっている。泳いだ魚が罠に嵌って、さぞ満足なことだろう。私は――なんとか笑った。
「どうして、分かったんですか?」
「決まっていますよ。ヴェーダがやりそうな下賤の策くらいは。食料を燃やし、一気に攻め入ろうと考えたのでしょう」
周りは強靭な兵に囲まれている。
城下町には民もいなくなり、城の兵士達だけで、ヴェーダの正規軍に立ち向かわなければならない。それだけで、絶望的な状況だ。追い打ちをかけるように、食べ物を全て焼き払われたら――グランエンドに残るのは、何の価値にもならぬプライドしかない。
「食糧庫から昇る狼煙を、攻め入る合図にしようとしたのでしょう」
浅はかだと嘲笑う。
ここまで、あっさりと見抜かれては――悔しいという気持ちも浮かんでこない。私は、ゆっくりと2人に降参するように、両手を挙げた。火打石が、床に転がり虚しい音を立てた。
「降参ですか?捕えなさい」
後ろに控える兵士に、命令する。
すっかり白い煙は晴れていた。鍛えたとはいえ、一介の少女が振り払えるわけもない体格の兵士が、のっそりと近寄ってくる。為す術もないような私は――
「降参なんかするか、馬鹿」
ぱちんっと挙げた手を合わせた。
不敵な笑みに、突然の行動に、何かしでかすか分かったのだろう。兵士の動きが急に機敏になる。私の腕を捕えようと、地面を蹴る。そんな兵士目がけて、ハヤブサが噛みついた。腕に喰いこむ鋭い牙に、兵士は悲鳴を上げる。しかし、育ったとはいえ、まだ子どもの体格のハヤブサは、振り払われ壁に打ち付けられてしまった。
小さな悲鳴が、兵士の足音に飲みこまれる。
それは、ほんの数秒の出来事。
でも、それは確かに――
「ありがとう、ハヤブサ」
絶望からの突破口だった。
充分に高められた魔力が、強靭な風のように四散する。私の腕に手を伸ばしかけていた兵士は、魔力に当てられ弾かれたようにたじろいた。
「っく、黒魔術か!」
対抗すべく、アルフレッドが白魔術を唱え始める。
だが、既に遅い。ぼぅっと青白い人魂が、私の周囲に幾つか浮かび上がる。私は、不敵な笑みをこぼした。
「浮世彷徨う迷い人よ――斉藤澪が命ずる。 依り代を求め 駆け廻れ!!」
腕に電流が奔る。
それと同時に、身体を支えている何かが抜き取られていくような感覚。
そういえば、国境を超える時も似たような魔術を使ったな――と懐かしみながら、私はそ闇より黒い糸を、紡ぎだした。左手から伸びた糸は、ボゥッと浮かぶ燐光を捕えたかと思うと、瞬く間に飛び散った。数多の燐光は、依り代となるべく生き物を求めて、食糧庫を駆け回る。しかし――
「い、いかん!」
ブルースの声が、響き渡る。
もう遅い。放った人魂は、私が集めた中でも、最弱の分類だ。壁際で痛みに喘いでいるハヤブサに憑りつくことも出来ないくらい弱いが、1つだけ――出来ることがある。行き場を無くして、右往左往する人魂たちは、命令に忠実だ。迷子の子を探す親のように、蒼い火花を散らしながら必死になって憑りつく先を探す。
そう、全てを燃やす火花を散らしながら――
「憐れな魂よ!」
アルフレッドの両手に、煌々とした輝きが集まる。
どうやら、消す算段らしい。しかし、全てが遅かった。今さら人魂を消したところで、燃え移った火は消えない。小麦の先に青白い火が灯り、煙が立ち上る。そう、まるで食べ物の命を吸い取ったかのように、火は勢い良く燃え上がった。
「ハヤブサ、大丈夫!?」
壁に打ち付けられたハヤブサに、駆け寄った。
人魂は、既に光に包まれ成仏していったが――目的は達成した。あとは、ここからハヤブサを連れて逃げればいいだけだ。微かに痙攣するハヤブサを抱きしめ、退路を探す。
扉の入り口には、アルフレッド達がいる。あそこを強行突破するのは―――分が悪すぎる。1年にも満たぬ付け焼刃な黒魔術では、王家の白魔術に返り討ちされるだけだ。
ここは――
「逃がしません!」
黙々と黒い煙を上げる窓に視線を向けた時だった。
足に何かが絡みつき、派手に転倒してしまう。何かに躓いてしまったのだろうか。慌てて立ち上がろうとしたが、足が強い力で固定されてしまっているのか、動くことが出来ない。私は首を後ろに回して、愕然とした。足首に、太い蔦が巻き付いていたのだ。硬い床を突き破り伸びた蔦は、ピンポイントで私の足首だけに巻き付いている。これは――
「いや――危ないところだった。文字通り、間一髪、間一髪」
チェインの軽い声が聞こえる。
チェインの髪の色は、深い山奥を思わす緑色。つまり、彼が操るのは――
「植物系の魔術」
「そっ、逃がしはしないよ」
そう言いながら、蔦がみるみる間に私の手首を、胴を、脚を締め付けていく。まるで、床に縫い付けるかのように。必死に解こうと身体を動かしてみたが、ビクともしない。ナイフで斬ることは出来るだろうが、生憎とナイフを取り出すことが出来ない。頼みの綱のハヤブサは、既に縛られてしまっていた。弱っている上に口元まで縛られてしまったのだから、吠えることすらできそうになかった。
「まぁ、火には弱いからさ。なんとか解くことは出来ると思うよ」
チェインの軽い声が、恐怖を逆なでる。
確かに、植物は火に弱い。私の周りには、唸るほど火で溢れている。むしろ、火に囲まれている。だけれども―――その火が私達の蔦を焼き切るころには――私まで、焦がされてしまっている。
「っく、そ――!!」
力を込めて、引き千切ろうとする。
だけれども、いくら力を込めても蔦は動かない。いや、益々力強く締め付けてきた。息が苦しくなる。汗が全身から湧き出てくる。轟々と迫りくる火が、暑くて堪らない。
「そのまま、焼き死ぬこと。それが、貴方の罰です」
罰――。
香奈子を欺き、グランエンドを破滅させようとした罰?
つまるところ、私ごときでは、香奈子に敵わないのだ。いや、私では何も出来ずに無残な結果を残すだけ――いや、死と引き換えに、グランエンドの食料を奪うことは出来た。それだけが、成功だったのかもしれない。
「ごめんね、ハヤブサ」
巻き込んで、ごめん。
何でついて来たのか最後まで分からなかったけど、ハヤブサが傍にいてくれたから――ここまで、諦めずに来れた気がする。
手を伸ばせば、火に手が届きそうだ。黒い煙が、徐々に視界を奪っていく。
怖くて堪らない。私は、死にたくない。心ではそう思っていても、身体はどこか諦めていた。締め付けられた身体は、指一本すら動かない。悲鳴を上げる気力も、何か言い残すことすらできなかった。
あぁ、私は――異世界で死ぬのだ。
香奈子に、一矢報いて。
そう思い込めば―――心は穏やかだった。
そう、例えるのであれば、冬の湖面のように。




