66話 3つ目のルール
暖かい感覚に包まれる。
それと共に、感じるのは浮遊感。爆ぜる火花の音に、燃え盛る轟音が耳につく。
きっと、私は死んだ。痛みはなかったから、充満する一酸化炭素を吸い込んで死んだのだろう。ぼんやりした思考に違和感を覚えながら、そっと目を開けた。
「これは――そうか」
視界一面に広がっていたのは、炎の赤い色。
黙々と上がる黒い煙を避けるように、炎を飛び越える。遠ざかる世界。そう、浮遊霊とは、こういう状態なのか――なんとなく、漂っているのとは、少し違う。自分の意志とは関係なく、炎から逃れるように世界が遠ざかっていく。
まるで、誰かに抱えられているような――
「――って、生きてる!?」
この時、ようやく気がついた。
私は、誰かに抱えられて移動していることに。景色が、どんどんと遠ざかっていく。揺れるたびに腰回りが痛いことから察するに、誰かの肩に担ぎあげられているのかもしれない。私が視えるのは、誰かの広い背中と遠ざかっていく赤い風景だけだった。
でも、私は――捕えられていたはずだ。
咄嗟に、腕を見渡してみる。肌を焼かれた形跡は、どこにもなかった。
けれども、その腕には私を縛っていた蔓が残っている。しかし、その地面に繋がっていたはずの先端は切り取られたのか、どこにも見当たらない。まるで、植物の腕輪のようだった。
「ここ、は?」
「しゃべるな、舌を噛むぞ」
突然聞こえてきた声に、飛び上がりそうになった。
仰け反る様に顔を上げると、ようやく私を担いでいる人物の顔が見えた。
大きく奔った生々しい額の傷――そして、私と同じ黒色の髪――そう、その人物は
「ナ、ナナシ!?」
裏切ったとばかり思い込んでいたナナシだった。
業火に追われるように、私を担いでどこかを駆けている。
どうして、何故、香奈子側についたナナシが、私を助けてくれたのだろうか。少し顔を横に動かせば、力尽きた様なハヤブサが視えた。私を助けたのは、香奈子の命令でハヤブサを助けるついでにか、それとも別の思惑があるからなのか。
まったく、理解できない。
ナナシ自身の意志で助けてくれたなら、それは嬉しい。だけれども、香奈子の命令で、そのついでに助けてくれたのであれば、悲しい以外の何物でもない。
いや――違う。嬉しいとか、悲しいような、そういう次元の問題ではない。
なによりも、心臓を握られたかのように、ナナシの思惑を理解しきれないことが苦しかった。どうして、思惑を理解しきれないことが苦しいのか、分からない自分が嫌で仕方ない。
エリザベートやルーシェの思惑を理解できないときは、こんな気持ちにならないのに――。
「飛ぶぞ」
「えっ――ひゃあ!」
突然の浮遊感。
落ちる、と思ったが、ナナシは浮遊系の黒魔術を使えるのだと思いだす。
なんとなくだけど、懐かしい感覚に包まれた。あのエドネスの屋敷から脱した時も、こうして空を飛ばされていた。あの時は1人で飛ばされたけど、今はナナシとハヤブサがいる。
黒魔術だと分かれば、下に目をやる余裕も出来た。眼下に視えるのは、王宮の庭だ。ただ、いつもの優雅な雰囲気とは程遠い戦場と化していた。
「ヴェーダ帝国軍だ」
私の上げた合図を見たのだろう。
作戦通りに、武器を手に行軍している。完璧に整えられた木々を掻き分け、花々を踏みつけて行軍する。ナナシに抱えられた私とハヤブサは、風に乗ったように空から様子を眺めていた。
私は――黙ってその様子を眺めていた。
「……」
ふわり、と着地する。
戦場から少し離れた丘の上。ちょうどヴェーダ帝国軍が野営地にしていた辺りだ。
グランエンドの王城を振り返ると、黙々と黒い煙が上がっていた。城の上に翻っていた旗が、火の粉を浴びて燃え始めている。
「ナナシさんは――どうして」
ハヤブサを撫でながら、勇気を振り絞ろうとする。
いつも通り私を見下ろすナナシに、聞きたいことを尋ねるために。
今、ここで聞いておかないと、後で絶対に後悔する。今までために溜めていた質問が、泉のように身体の奥から湧き上がってきた。
「ナナシさんは――」
裏切り者ですか?
香奈子の手に落ちたんじゃないんですか?
どうして――いつも私を助けてくれるんですか?
……聞きたいことが、喉の奥まで出かかる。だけれども、その後の反応が怖くて、言いだすことが出来ない。
結局、私は臆病者だ。
唇を噛みしめて、ナナシから目を逸らしそうになる。だけど、このままじゃいけない。腕の中で眠るハヤブサに目を落とす。こんなにも臆病だったハヤブサが、心の支えになるくらい強い存在に変わったのだ。私だって、少しは成長しているはずだ。右拳をギュッと握りしめ、そして――
「貴方は、どうして私を助けてくれたんですか?」
それは聞きたくて、ずっと聞けなかった質問。
エドネスを脱した時も、今回も。いや、それだけではない。あの怪談話をする羽目になった村でも、一度は私を疑っても殺さないでくれた。それに――何よりも、香奈子の魅了を受けても、ゼクスの配下であったとしても、敵であるはずの私に味方してくれる。
それは、ただたんに黒髪と言う同族だからだろうか。
それは、ヴェータ帝国のためなのだろうか。
「……自分で考えてみろ。
それよりも、何故――今回は独断で行動した?」
ナナシは質問に答えなかった。
代わりに、淡々と問いを投げかけてくる。
「だって……ナナシさんは香奈子の――天女に編笠を外されたんですよね?
平和になったら傭兵業なんていらなくなるから、別の仕事を探した方が良いと天女が囁いたと聞きましたが」
思い出したくもない記憶を、掘り起こす。
すると、ナナシは虚を突かれた表情を浮かべた後、心底呆れたように息を吐いた。
「貴方は――ミオは、俺が何と答えたか聞かなかったのか?」
「えっ?」
……記憶を遡る。
そういえば、聞きたくなくて、耳を塞いでしまったのだ。その先に続く言葉が、あまりにも容易に想像できたものだから。
「傭兵以外の仕事を探す、とか、平和になるまで剣を振るう、とか言ったのだとばかり考えていました」
「……」
どうやら、予想が外れていたらしい。
香奈子の魅了がかけられていなかったのか?
編笠は、既に外されてしまっていたのに?
混乱する私を見て、ナナシは脱力したような様子だった。普段は見せない表情が逆に新鮮で、ナナシもこのような表情をするのだと思うと、くすりっと笑ってしまった。
「……」
「あっ、すみません。その――てっきり、魅了にかけられていたのだと思い込んでいたので、作戦の実行時期について必死に考えを巡らせてて、聞いていませんでした」
「……俺は、天女の魅了にかかっていない」
その後は、何も言わなかった。
でも、その一言で十分だ。
どうして、魅了にかからなかったのかは分からない。
だけれども、私が起こした騒ぎを聞きつけたナナシが、間一髪で助けてくれた。
その事実が、よく考えてみなくても――ナナシが魅了にかかっていないということを現わしている。私を殺そうとするアルフレッド達の表情は、演技に視えなかった。彼らは本気で、あの場で私を殺そうとしていた。もし、香奈子が私を救おうとするのであれば、自ら現場に赴き、アルフレッド達に一言いえばいいだけの話。それをせずに、ナナシに助け出させたなんて、非効率すぎる。
「……」
陣に急ぐぞ、と言わんばかりに、ナナシは歩き出した。
ハヤブサを抱えた私も、慌ててその背中を追いかける。大股のナナシの歩幅についていくのは大変だけれども、それでも全力で追いかけ隣を歩いた。
追いついた私を、ちらっと彼は横目で見る。だけれどもそれだけ、何も言わない。
そんなナナシに、もう1つ――ずっと言いたくて、言う機会が無かった言葉を告げることにした。
先程の質問よりもハードルは、ずっと高い。
でも――今なら不思議と言葉にできそうだ。
むしろ、今を逃したら、その言葉を口にできない。
口にできる時に、しっかりと言葉にしよう。
「ありがとう」
8月7日:一部改訂
あまりにも、「3つ目のルールの章」が長くなってしまうので、分割します。
次回から最終章に突入です。




