47話 キャッチボール
枕に頬をつけて、私は横になっていた。
護身用の短剣を腰に刺したまま、倒れ込むように寝台に転がる。普段は制服を脱いで寝るのだけれども、それすらも億劫だった。
だからといって、寝る気にもなれない。もちろん、起きる気にもなれない。ただ、このまま動きたくなかった。身体中が怠くて、吸い寄せられるように横になってしまっている。
「くぅん……」
ぺろりと、ハヤブサが頬を舐めてきた。
私の気持ちを汲んだハヤブサが、まるで慰めるかのように。
「ありがとう」
私は重たい腕を持ち上げると、ハヤブサの頭を撫でた。
ゆっくり、ゆっくり。いつもより、時間をかけて。
ふっさりとした毛並みを撫でると、ハヤブサの不安そうな表情も消えていき――心地よさ気に瞼を閉じた。
「また―――裏切られた」
それは、断定ではない。
だけど、断定に限りなく近い推論だろう。
「考えてみたら―――香奈子とナナシは1度、会っていたんだ」
あの善意の塊である香奈子が、ナナシの深編笠に興味を抱かないわけがない。無理やり外した経験があるのだとすれば、ナナシが『逆ハー』にかかり、すでに敵の手の中に落ちていたということだって、考えられるのだ。
「こちらの策戦は、筒抜けか」
作戦会議は、ナナシも当然のように参加していた。
全てがゼクス、及び他の香奈子ハーレム陣に伝わっているとみてよい。
「……やっぱり、人は信じちゃいけないんだ」
ぽっかりと穴の開いた感覚に身をゆだねながら、ポツリとつぶやく。
信じないと生きていけない。だからこそ、信じあえる人間関係の形成が重要になってくる。
そのきっかけを、やっとつかめたと思ったのに―――
「どうしたら、いいんだろう?」
利益を考えて、付き合うのが1番なのか?
でも、それは……なんだか寂しいと感じてしまう。
寂しいと思う私が子供なのか?そうだ、ガキなんだ。
大人になりきれていない、出来損ない。斉藤澪は、精一杯背伸びをしたがっている馬鹿者よ。もっとドライになれ。裏切るなら、こちらも相手を利用するだけ利用して、捨てればいいのだ。簡単なことではないか、『楽』な関係をつくっていればいい。相手を道具のように、思えばいい。割り切ってしまえば、悩むこともないだろう?
……そう言ってしまえば、簡単だ。
だけど―――
「馬鹿馬鹿しい」
思考停止。
今は眠ろう。何も考えずに眠っていればいい。それが1番―――疲れない。
私は、そっと眼を閉じた。ハヤブサの頭に、手を乗せたまま、夢のない世界へと沈んでいく。
「くぅん?」
だけど、ハヤブサが頬を舐める感覚で、沈みかけた意識が浮上する。
まるで、寝るな!寝るな!思考を続けろと追い立てる様に。
「やめて、獣臭い」
私が重い瞼を開けると、ぴたりっと舐めるのを辞めた。
そして、嬉しそうに一吠えする。
何故、ハヤブサは嬉しいのだろうか?
私が起きたから?まさか、今から遊んでほしいのか?そう思ったが、どうやら、違うらしい。
ただ、起きている私を観たかったようだ。その証拠に、再び寝入ろうとすると、頬を舐めはじめる。
瞼を嫌々開けると、嬉しそうに舐めるのをやめる。
「何を考えているの、アンタ」
だけど、ハヤブサは何も答えない。
意図を持って行動しているように見えても、所詮はただの犬。
私は、小さくため息をついた。
「分かった、もう少し起きてる」
言葉の意図が分かったのだろうか?
ハヤブサは、舌を出して尻尾が千切れんばかりの勢いで振るった。
「まったく、犬の気持ちが分かる機械があればいいのに」
支給された白いタオルで、頬にこびり付いた獣臭い唾液を吹きながら呟く。
昔、テレビで視た『犬の気持ちが分かる機械』を思い返す。あの時は、『ふーん、凄いじゃん。でも、別に犬の気持ちなんてどうでもいい』程度にしか思わなかったのだけれども、今はいかに画期的な発明だったか理解できた気がした。
犬は言葉を話せない。だから、考えていることを読み取れない。
そこで、ふっと当たり前のことを思い出した。
「そっか、人には言葉があるんだ」
その言葉の真偽は分からない。
でも、少なくても―――人の表情、仕草、それまでの行動で、なんとなくつかめる。
「考えてみれば―――私が一方的に話しているだけだった」
ナナシのことを聞いてみたことが、なかった。
彼が何を考えているのか、気になっていたけど―――聞いたことがなかった。
言葉を交わした記憶が、本当に少ない。もともとナナシが寡黙だということもあるけど、そのせいにしてはいけない。私が、真剣に気持ちを確かめなかったのがいけなかったんだ。
もちろん、踏み込み過ぎは嫌われる。
だけど、『言葉のキャッチボール』をする努力は忘れてはいけない。
小学校の時に習ったコミュニケーションの基礎中の基礎なのに、なんで忘れていたんだろう?
「馬鹿だな、私」
自嘲気味に笑う。
全ては私のせいだ。
浅い人間関係しか作ってこなかったから――こんな目に合う。
元々の世界に戻ってから、直せばいい?どうせ、こんな世界とは袂を分かつと決めているのだから?
だけど、袂を分かつときまでは、ここにいなければいけない。
その居場所を護るためにも、コミュニケーションは大事なのだ。
「今からでも――きっと間に合う」
私は、立ち上がる。
今日は―――さすがに夜も更けこんでいる。いくら『善は急げ』ということわざがあるとしても、時間帯を考えないといけない。今から突然訪ねても、迷惑なだけだ。だから、今日話すことは、不可能。
明日以降、少しずつでいい。
ナナシのことを知る努力をしよう。
「知らないと―――何もできないから」
寝台から降り、備え付きのベランダへ向かう。
煮え切りそうな頭を冷ますため、夜風に当たりたい気分だった。
きっと、夜風に当たれば―――今後、どうやってナナシと話せばいいのか思いつく。そんな予感がした。
いままで、ずっと『~をしよう』と思い続けてきた。
でも、結局、それを実行に移せたのは極僅か。
思うだけなら、誰でも簡単に思える。
そこから先、行動することが大事なのだ。労力も時間も必要だけど、それをしなければ、目的を果たせない。
『努力しよう』と思うだけではなく、どう努力するのか―――それを、今のうちに考えよう。
即日実行できる手段を考えてから―――再び寝台に戻ろう。
「きゃんっ!」
ハヤブサも一吠えし、ぴょこんっと寝台から飛び降りる。
そして、とてとてと私の後ろを歩いてきた。
「アンタの考えも、分かればいいんだけどね」
ハヤブサに微笑みかけながら、私は月に照らされたベランダに出た。
扉を開ければ、暑いようで涼しい風が髪を撫でる。肌から新鮮な空気を取り込むようで、不思議と心地よかった。桟に両腕を預け、しばらく夜風に吹かれる。
ゆっくりと視線を上にあげてみる。
すると、ぞっと背筋が凍るくらいの星々が広がっていた。
「相変わらず―――星は怖い」
好きだった星も、こうしてみると怖い。
だけど、怖さを押し返し、既知の星を探そうとする。だけど、見知った星は――たとえば、夏の大三角形を形成するデネブやベガ、アルタイルは、何処にも見当たらなかった。
夜空に浮かぶ星の中に、牛乳を溢したような帯が広がっている。おそらく、あれが天の川なのだろう。だけど、それは果たして、天の川なのだろうか?
もしかしたら、デネブやベガは星の大軍に埋もれているだけで―――存在するのかもしれない。
世界が違うのだから、あるわけがない。そう考えるのは簡単だけど、知ろうとする努力はやめてはいけない。さっき、気が付いたばかりだ。言葉を机上の空論に終わらせたくない。
「まずは、星を探そうか」
怖さを堪えて、星を探す。
ナナシと話す内容を思考しながら、しばらく満天の星空を見上げていた。




