46話 裏庭の暴君
「――いや、なんでもない。人違いだな」
ゼクスはそう言うと、私の肩にポンッと手を置いた。
叩かれた私は、はははっと乾いた笑みを浮かべた。怪しいことこの上ない反応だが、とりあえず、この場は誤魔化すことが出来た。
と、ホッとしたのは、つかの間だった。グイッと耳元近くに口を押し付けられ
「あとで、裏庭に来い」
と、囁かれる。
そして、何事もなかったかのようにゼクスは香奈子に笑いかけた。
「それにしても、さすが俺の妃だ。茶を飲む様になってるではないか」
「だから、妃ではありません!」
ムッと頬を膨らませた香奈子が、腰に手を当てて注意する。
私は気が気ではなかった。
これは―――完全に気がつかれた。すすめられた紅茶も、マフィンに似た菓子も、香奈子が進めてくれるのだから、きっと頬が落ちるくらい美味しいモノなのだろうが―――味を感じることが出来なかった。
その動揺を、香奈子は『ゼクスが意地悪したせい』だと勘違いしてくれたが―――これ以上、不信感を抱かれたら不味い。なんで動揺しないで、背筋を伸ばしていられなかったのだろうか。
今さらながら、未熟な自分が嫌になる。
「よし、行こう」
パンパンっと頬を叩き、裏庭へと歩き出す。
堂々と行こう、舐められないように。
大丈夫、私はやればできる。なんとかなる。もう―――数か月前とは違うのだ。
そう言い聞かせながら、ゆっくりと裏庭の木戸を開けた。木戸をあけると、夜の風が髪を撫でる。
私はカツラを抑えながら、人の気配を探った。
(見張りは――いない。下がらせたのかな?)
と、思いながら松明の明かりを頼りにゼクスを探す。
これ自体が、何かの罠ということも考えられるのだ。慎重に行かなければならない。
目を細めて、暗闇をじっと見つめる。神経を尖らせて、耳を澄ませる。師匠との修行で散々学んだことを思い返しながら、視野を広げていく。すると、大木の影に、動く影を見つけた。他の木の影よりも、若干色の濃い影は、僅かながらに動いている。よく視ると、白い髪の毛が一際光って見えた。
「見つけましたよ」
ゆっくりと、距離を測りながらゼクスに近づいていく。
すると、ゼクスはニンマリと笑いながら
「ほぅ、少しは成長したようだな」
と言って、木の影から姿を現した。
昼間見た時のようなラフな格好で、ゼクスは私を見下ろしている。
「久し振りだな、黒魔術師」
「黒魔術師?さぁ、なんのことでしょう?」
私は、なんでもないように惚けてみる。
内心は、やはりバレていたか……と苦い思いを噛みしめている。だけど、その一方で、やっぱりそうだなと思う私もいた。バレてしまったなら、仕方がない。腹をくくって、次に打つべく最善の一手を考えるのだ。
そう、今はそれこそが大切。
「大方、カツラをかぶっているのだろう。俺の目はごまかせん」
その問いには、何も言わない。
私は頭を振るって、まっすぐゼクスを見上げた。
開き直って、次の手を考えることにした瞬間、その冷淡な眼が、不思議なくらい怖くなくなった。
「万が一、かりに私が黒魔術師だとしましょう。
……どうするおつもりです?」
あの場で暴露しても良かったのに、それをしなかった。
ゼクスなら、あの場で私の正体を露見させなかった理由が―――きっとあるはず。
そう思って、冷淡なまなざしを見つめ返した。
「別に。ただ、あの男が『処分した』と伝えた女が、まさかヴェーダの人間としてくるとは予想外だっただけだ」
「あの男?」
今、妙な感じがした。
私は眉間に皺を寄せる。
ゼクスが言う『あの男』とは―――誰だろうか?
「お前は、俺に生涯をささげると言ったはずだ。
生かすも殺すも、俺次第。つまり、俺の所有物だ。なのに、ヴェーダに尻尾を振るとは、いい度胸だな」
すらりっと、ゼクスは腰の刀を引き抜く。
松明の炎を浴びて、切っ先が怪しく燃えるように輝いていた。
普段の私なら、臆してしまうだろう。でも、今―ー聞こえた言葉を確かめる方が、貫かれる恐怖心を麻痺させていた。
「おい、何か反応したらどうだ?」
あの男。
私の知らない誰かだろうか?
あの時私を殺そうとしてきた、槍兵か?それなら可能性がある。
『私を逃がした』と報告するより、『処分した』と偽った報告をすれば、褒美を貰えるかもしれない。
どうせ、私はあの屋敷にいなかったのだから―――口裏さえ合わせれば、何も問題がない。
だけど、果たしてそうなのか?
「聞け」
「!」
気が付くと、刀の切っ先が喉に軽く押し付けられていた。
うっすらと斬られた場所からは、ジワリと血が滲み出ている。
だけど、『あ、血が出ている』としか感じなかった。それどころではないのだ。
「俺との契約を忘れたわけでは――」
「すみません。『あの男』とは、誰ですか?」
ピキッとゼクスの額に筋が立った。
ココで初めて、しまったと思う。
考え事に夢中になるあまり、心を遠ざけ過ぎてしまったようだ。
だけど、今更、遠くに追いやった心を戻すことが出来そうにない。私は黙って、ゼクスの返答を待つしかなかった。
「あの男とは、あの男だ」
「誰ですか?」
「だから、深編笠を被ったナナシさ」
ゼクスがその後に、『俺の所有物の分際で、先に意見するとは、いい度胸だ』と低い声で言い寄ってきたが、まったく気にならなかった。
ナナシが、『処分した』と報告した。
黒魔術師を庇うために、わざと虚偽報告を送ったのだろう。
そこは分かる。だけど、それは『どの』タイミングで?
思い返してみよう。
ナナシは、槍兵たちに伝言が伝わる前に、私の部屋に来ていた。
つまり、本来であれば槍兵たちにゼクスが下した命令。だけど、実行したのは、ナナシになっている。
ナナシがグランエンド出国前に、虚偽報告をしたのだろうか?いや、それはありえない。
「アノ様子だと、やっと間に合ったという感じだった」
慌てて入ってきたような雰囲気だった。
つまり、情報を手に入れてから、すぐに行動に出たとしても―――黒魔術師暗殺に一歩早く到着しただけ。とてもではないが……出国前に虚偽報告することは不可能だと思う。
なら、暗殺未遂事件後か?
いや、それもない。なにせ、槍兵辺りが『ナナシが裏切って出奔しました』という連絡がいっているはず。
私が『処分』されたという事実が、そこでおじゃんに……
まて。
何かがおかしい。
なぜ、裏切り者の『報告』を信じるんだ?
自分の所有物だから?たった、それだけの理由で?
「……聞いてないな、人の話を」
視界が黒く染まっていく。
嫌な予感が、頭の中をグルグルと駆け巡り始めた。
オカシイと思っていた。
いくら『もう1人の天女』を探すためとはいえ、3か月もかかるか?
ナナシ程の実力のある傭兵なら、見つけ出すことが出来なくても――すぐに結果を出せると思う。
それに、ルーシェの情報網に引っかかってないか調べるためなら、さっさと来ればよかったのだ。なにも、3か月も経ってから来なくても、よかったのに。
空白の3か月――もし、アーニャからの命とは別に、ゼクスか『あいつ』の意志で動いた命令だとしたら?
最悪な予感が、芽を出し始める。そうなったら、もう止まらない。
私は、その言葉を口から零れ落してしまった。
「もしかして―――ナナシは裏切っている?」




