36話 納涼物語《前編》
「納涼物語夜会?」
聞き覚えのない言葉に、首を傾ける。
風に舞うチラシを捕まえてみたのはいいが、書いてある内容が全く分からない。
どうやら、今日の夕方に辿り着く町で行われるらしいのだが―――
先日の縁日みたいな雰囲気なのだろうか?それにしては、チラシに記載された絵は、どこかおどろおどろしい。
「どういう意味ですか?」
隣を歩くナナシを見上げながら、尋ねてみる。
「……怪談噺家が、巡業しに来るってことだ」
「怪談噺家?そんな職業があるんですか!?」
その胡散臭い職業は、いったいなんだ!?
噺家という職業なら、まだわかる。だけど、なんで『怪談』をピックアップするのだろうか。
……いや、確かに怪談話を得意とする俳優がいることは知っている。だけど、夏場だけ忙しいのではなく、冬は別の仕事をしているらしい。だから、怪談のみで食べていくのは、ほとんど無理に近いのではないだろうか?というか、不可能だと思う。
「怪談噺家は、夏だけの職業だ。それ以外は、普通に噺家として生活している」
「……ですよね」
やっぱり、その通りだった。
それにしても、異世界には不思議な職業があるものだ。改めて感心しながら歩みを進めると、視界の端に着物が丸めて転がっているのが映った。
こんな道に着物を捨てるなんて、もったいない。金持ちの貴族が、ポイ捨てでもしたのだろうか。そんなことを考えていると、その着物が動いたように見える。
ナナシもハヤブサも、それに気がついたのだろう。私が足を止めるのと同時に足を止めた。ハヤブサは、流れるように私の後ろに隠れながら、低く唸り声を上げ始めた。
私は目を細めて、なんで着物が動いたのか見定めようとする。だけど――
「………」
それが何かわかる前に、ナナシが動く。
まるで、静止を促すようにハヤブサが吠えたてていた。だが、無視して私もナナシの後を追いかける様に、着物へ近づく。
「あっ!?」
少し近づいて、その正体に気がつく。
そう、それはなんと、腹を丸めた老婆だった。老婆と言っても、60歳程の女性だ。足腰はしっかりしているようだが、藍色の髪の所々に白髪が目立っている。
良く耳を澄ませれば、動物の呻き声のような悲痛に満ちた声を絞り出していた。
「しっかりしてください」
老婆の背中をさすりながら、私は叫ぶ。
「―――ぅ、う」
と、呻きながらも、老婆は僅かに頷いた。
どうやら、こちらの言葉は聞こえているらしい。意識があるなら、まだなんとかなる――かもしれない。急いで、次の町まで運ばなければ。
黒魔術師の私には、医療の術を知らないのだから。厄介ごとを背負いこんでしまうような気がしたが、こうして声をかけてしまった以上、見捨てるわけにはいかない。
どうせ、町まですぐなのだから。私は老婆を背負おうと、老婆に手を伸ばす。しかし、その手はナナシによって払われてしまった。
「な、何するんですか?」
「……」
ナナシはため息を吐くと、素早く老婆を背負う。
てっきり、この老婆を視なかったことにして先に進むのかと思ったが―――どうやら、ナナシが代わりに運ぶということらしい。少し、意外だ。
以外と、優しいのかもしれない。考えてみれば、『黒魔術師』というだけで私の命を救ってくれたし。
「……町に着いたら、医療院へ行くぞ」
ナナシの囁きに、私は大きく頷いた。
私達は少し歩く速度を殺めて、次の町へと急ぐことにする。
幸いなことに、空が薄茜色に染まるころには医療院に駆け込むことが出来た。医療院も比較的手が空いており、医術師も老婆を寝台に運ぶとすぐに診察を始める。
「これは――盲腸炎ですね」
渋い顔をした医術師は、私達に向けて呟いた。
「盲腸って―――手術をするのですか?」
「えぇ。ですが、問題はそれだけではないのです」
医術師は、寝台で横たわる老婆に困ったような視線を向けた。
「実は―――この方、毎年『納涼物語夜会』で招待している噺家さんなんですよ。
今日もいらっしゃる予定なのに、到着が遅いと思ったら―――」
私は息をのんだ。
なんと、この老婆が怪談噺家だったのだ。しかも、今回町の夜会で呼ばれた、いわば主演的な存在。そんな人が、いきなり倒れてしまったなんて―――
「代理はいらっしゃらないのですか?」
しかし、医術師は残念そうに首を横に振るう。
「いません。この人だけの、独演会になる予定だったんです。
困りましたね……毎年、町中で楽しみにしていたのに……」
「……」
私は、ナナシと顔を見合わせた。
1つ、思いついた打開策はあるが……そこまで首を突っ込みたくない。
医術師はこの女性を知っているらしいので、あとは任せて宿へ行くことにしよう。それがいい。
「では、そろそろ―――」
「そういえば、貴女方は旅人であらせられますね?」
私が去ろうとする前に、医術師が口を開いた。
まるで、『せっかく釣った魚を逃がすまい!』と釣竿を力いっぱい引き上げるような必死さが感じられる。嫌な予感が、ますます膨れ上がってきた。
「旅人ということは、各地の怪談をご存じのはずですよね?」
「え?えっと……まぁ……ですが」
「でしたら、ぜひ!ぜひともお願いいたします!謝礼はするので。さっそく、町長に連絡を入れますね!」
それだけ言うと、医術師は部屋から出て行ってしまった。御丁寧に、逃げないように鍵まで占める音が聞こえてくる。
ガシャンっと重重しい鍵の音が、静かな空間に木霊する。だけど、そんな音も次第に薄れ、消えて行く。
薬品の香りが漂う部屋の中には、私とナナシ、それから怪談噺家の老婆だけが残された。
「ナナシさん……どうしたら……」
「……」
ナナシは何も言わずに、私の肩をポンポンと叩いた。まるで、『頑張れ』というかのように。
さぁっと身体から血の気が引いていく。
どうやら、私が怪談噺をすることが決定してしまったらしい。
脚から力が抜け、へなへなと座りこんでしまった。
こうして座りこむなんて、師匠に無理難題を投げられた時以来だ。
……なんで、世の中ってこうも無理難題が多いのだろうか。
本当に途方に暮れてしまう。
だいたい、私は『怪談』を『怖い』と感じたことがほとんどないのだ。
幽霊を見かけることに麻痺してしまっているので、余程のことがないと怖いと感じない。
テレビで『本当にあった』と称されていたとしても、『シュチュエーション的に、ありえない』と一蹴してしまう展開が非常に多いのだ。
というか、幽霊よりも現実の問題の方が怖い。
異世界トリップしたと思えば、いきなり親友に裏切られて崖から突き落とされる。
魔術がある世界なのにもかかわらず、習得できる魔術は死霊関係のみ。
せっかく居場所を手に入れたと思った矢先に、処分されそうになる。
東洋系の特徴的な黒髪は、この世界では忌避の対象だった。……などなど。
怖い思いをした経験を数え出したら、キリがない。
そんなやつに、怪談を語らせるなんて―――どうかしている。
これはアレか?
黒魔術で演出をしながら、話すとか?
いやいや、そんなことをしたら、出演料を貰う前に、『黒髪め!』と石を投げられてしまう。
それだけは、してはいけない。
いっそのこと、窓を突き破って―――
「いやいや、お待たせして申し訳ありません」
逃げる前に、町長らしき男が医術師とともに入ってきた。
ずかずかと入ってきた町長は、私に手を差し伸ばしてきた。
「旅人さん、貴方が代わりに怪談話をしてくださると聞いています。
どうか、よろしくお願いします」
どうやら、私が怪談噺をするのは、すでに決定事項みたいだ。
……仕方ない。ここは、腹をくくることにしよう。謝礼も貰えるのだ、それで我慢しようではないか。
万が一、なにか起こったら、ナナシと一緒逃げればいい。
帝国の首都は、もう目と鼻の先なのだから。
「私は本職ではありません。それでも、いいのであれば――」
「構いません!よろしくお願いいたしますね!出来れば、他国の怪談をお聞きしたいと思います」
差し伸ばされた手を握り、私たちは握手を交わす。
さてと、どんな怪談を噺しましょうか。
次回で番外のルールが終わる予定です。
※9月20日:誤字訂正




