37話 納涼物語《後編》
遊園地を歩いていると、貫くような悲鳴を聞くことがある。
それは、ジェットコースターから聞こえる黄色い悲鳴。
それは、お化け屋敷を震わす叫び声。
しかし、それらには若干、楽しんでいるような色が含まれている。
それは、何故だろう?
答えは簡単だ。恐怖を感じながらも、『これは作り物』という感情が働いているからだ。自分は必ず『安全』だという気持ちが、深層心理に根付いているのだ。
だから、『声』を上げることが出来る。
しかし、真の『恐怖』というものは『悲鳴』を出さない。
――『悲鳴』を出すという心のゆとりすらなくなり、感情が麻痺している。だから、悲鳴が出せない。出すことも思いつかない。
そう、つまり―――
「……私、麻痺してたんだ」
宿の一室に戻ってきた私は、ため息をつきながら膝に顔をつける。
蝋燭が1本だけ灯った部屋で、日本の妖怪…たとえば『のっぺらぼう』、『カシマさん』、『口裂け女』の噺を語り、最後の締めとして、幽霊遭遇経験を語ったところ、誰もが悲鳴を上げて怖がってくれた。
『ただ幽霊がそこに立っていただけの噺でしょ』と思っていたが、前言撤回。
私は『麻痺』していたことを再確認。
客観的に判断する力を、しっかりと身につけなくてはならない。
広い視点で物事を視る『達観』は、一時的に使えるようになったけど―――まだまだ未熟。
数秒しか状態を保てないので、これを永続できるよう……旅の途中にも、出来る限り修行を積み重ねなければ。
『感情の麻痺』ほど、おそろしいものはない。
極端な例を挙げてみると、香奈子の無自覚な逆ハーレム形成。あれも、男に好かれているという感覚が完全に麻痺してしまっている。
……麻痺というか、ただ単に『知らないだけ』というのも考えられるけど……
「……はぁ」
私はため息をつき、部屋を出た。
手洗いに行ったら、今日はもう寝よう。
明日も朝が、早いのだから。
さっさと用を終え、眠い瞼をこすりながら宿の薄暗い通路を歩く。ひた……ひた……と音を立てながら歩く。さっさと自室へと急いでいたが、その時だ。妙な音を感じた。
シャコ……シャコ……シャコっという何かを研ぐような音。
そして、それに混じって聞こえるのは液体を啜る音。
明日の料理の仕込でもしているのか?と思ったが、まだ深夜。朝までかなり時間がある。
では、この音は―――なんなのだろうか?
気にせず自室に戻ろうか、と思ったが―――音の正体が気になって堪らなかった。
私は滑る様に廊下を渡り、音の方へと歩みを進める。
シャコ……シャコ…という音が、徐々に近づいてくる。
角を曲がれば、ちょうど厨房の位置だけが明るい。闇に沈みそうなくらい空間の中に、ぼぅっと厨房だけが明りを灯っていた。
(なんだ、やっぱり仕込だ)
そう思い、足を引き返そうとする。
だけど、やはり妙な感覚が拭い取れない。ゆっくりと厨房に足を近づけいく。厨房は明かりこそついているようだが、障子で区切られていて覗き込むことが出来ない。
ただ、白い障子の中で人影が影絵のように動いているのが見て取れた。
髪を振り乱しながら、誰かが一心不乱に庖丁を研ぐ影が。
障子越しから、静かな覇気のようなモノまで伝わってくる。
(よっぽど、熱心に研いでいるんだな)
シャコ……シャコ…という音が大きくなる。
時たま、ずずっと何かを舐める音が重なり、なんというか……これは、本当に仕込現場なのか?と疑問に思ってしまう。
(いったい、中で何をしているんだろう?)
私は悩んだ。
障子を開けて、こっそり中を覗いてみようか?
しかし、その考えはすぐに打ち消す。研ぐ音が響いているくらい、静かな空間なのだ。
障子を開ける音というのは、以外にも響くこと。開けた瞬間、誰かがいるということに気がついて、研ぐのを辞めてしまうかもしれない。
(なら、こうすればいい)
私はニヤリっと笑い、人差し指を軽く舐めた。
しっとりと湿った指で、そのまま障子の端を貫く。小学生の頃、こうして障子に穴をあけて覗いてみたモノだ。覗かれた側はたまったものではないが、小さな穴から向こうを見てみると、まるで別世界を鑑賞しているような不思議な気分になってくる。
何度も怒られたけど、結構懲りずにのぞいたものだ。
そんなことを思い出しながら、私は昔のように穴を覗き込み―――
「んな!?」
驚きのあまり、声を漏らしてしまった。
その声を聴きつけたのだろう。
研ぐ音も舐める音もピタリ、と止む。そして、障子が勢いよく開かれた。
「………視たな」
そこに立っていたのは、立派な角の生えた老婆。
白い髪を振り乱し、赤く輝く包丁片手に、口の端から血を滴らせている。
その奥に見えたのは、研ぎ石と―――赤く染まった誰かの頭―――
まずい!と直感で感じる。
慌てて懐に手を伸ばして、人魂を使おうとした。しかし、魂を収めた瓶がどこにも見当たらない。懐から帯まで全て探したが、どこにもないのだ。
「やばっ」
考えてみれば、私はトイレに立っただけ。
このまますぐに、自室で寝てしまおうと思っていたのだ。
なんで、懐刀を忍ばせておかなかったのだろうか。悔しくて、悔しくて、思いっきり唇をかむ。
対抗手段がない。
とっさに、ハヤブサとナナシの名前を呼ぼうとした。だけど、そうはさせまいと言わんばかりに、老婆が私の口を圧迫してきた。
暑苦しい分厚い掌で、まるで呼吸する権利を奪うような勢いで―――
「お前は明日の朝、喰おうと思っていたが―――ちょうどいい。夜食と行こう」
老婆は赤い歯を剥きだしにし、包丁がきらりと輝き、私の首元目がけて一直線に―――――
「はっ!?」
飛び起きる。
その途端、ぱったり研ぐ音も、老婆も、何もかもが消えた。
代わりに、目の前には宿の一室。ナナシとハヤブサが、いきなり大声を出した私を不思議そうに見つめてくる。
「あ……」
視ると、ナナシの手には砥石が握られていた。
その横には、今研いでいたと思われる刀が転がっている。
ハヤブサはオヤツ代わりに渡した鳥の骨を、しゃぶっているところだったようだ。歯型がついた骨が転がっている。
「……夢でよかった……」
私はホッと一息を着いて、再び布団にもぐった。
布団にもぐった記憶もなければ、ナナシの部屋にいる理由も分からない。
だけど、きっと私が忘れているだけなのだろう。
眠りに落ちていく時、ふと―――ナナシの傍らに落ちた包丁に見覚えがある気がしたけど―――
それはたぶん、気のせいだろう。
あれは、夢の出来事だったのだから。
番外のルール、終了です。
次回から、第三章に突入します!
これからも、よろしくお願いします。




