22話 ルーシェ
ごろんと横たわる。
目の前には、灰色の世界には勿体無いくらいの青空が広がっていた。
透き通ったくらいの青空には、雲一つない。まさに、教科書に掲載される『晴天』という奴だ。
なんで、今まで気が付かなかったのか。それは簡単だ。
上を見てこなかったから。いや、一回上を見たが空まで注意が向かなかった。そう、ここにきてようやく、空に注意が向く余裕が生まれたのだ。
そう思うと、すがすがしい気持ちが溢れだしてきた。その気持ちは、『達成感』とでも名ヅラれるもの名かもしれない。
引き締まっていた顔の筋肉が、嬉しさのあまり緩みはじめる。
心地よい感覚に酔いしれそうになった時のことだ。突然、何を思ったのだろうか。私は思わず、
「馬鹿野郎!!」
と叫んでしまっていた。
ふいに、言葉が飛び出てきたのだ。
本当に急に飛び出た大声で、逆に私自身が驚いてしまう。
後にして思えば、この『馬鹿野郎』は私を送り出したナナシへの罵倒だったのかもしれないし、私を裏切った香奈子に対する言葉かもしれない。簡単に逆ハーに捕らわれてしまったゼクスに対するものかもしれないし、私を轢いたトレーラー運転手に対するものだったりする。
とにかく、ありとあらゆるものに対する『馬鹿野郎』だった。
でも、この時の私は何もわからない。
空間を貫いた大声に、ただただ茫然と驚いていた。
「馬鹿野郎ね、誰に対するモノなのか」
見知らぬ声が降ってきた。
それと同時に、ハヤブサの吠え声も聞こえてくる。
顔を起きあがらせると、そこには1人の女性が立っていた。褐色の肌に出るとこが出て、引っ込むところは引っ込む。羨ましくなるような体型の女性だ。
だが、その素晴らしい体型をひがむ前に、重大なことに気が付いた。
彼女は、この世界では忌避される『黒髪』だった。
ばさりと絹のような黒髪を払うと、更に近づいてきた。岩肌にへばりつく私を、面倒そうに見降ろしている。
「……本当に、ここまでくるガキがいたとはねぇ」
それだけ言うと、マッチをこする。
マッチの先端に宿る火を、上手に煙草に移動させる。煙草の先端からは、紫煙の煙が伸び始めた。
「こっちにくるって報告が入ってから、ここまで辿り着けたのは珍しいよ。うん、10人に1人くらいだ」
10人に1人って、それが多いのか少ないのか分からない。
大声に対する驚きから覚め始めた私は、ゆっくりと問う。
「貴方は誰ですか?」
「なんだ、知らないで来たわけないだろ」
辛辣ともいえる声色の女性は、すっとマッチにともった火を消した。
「私がルーシェ。ルーシェ・アナスタシア・ヴェーダさ」
「貴女が?」
軋むように痛む身体を、何とか起き上がらせる。
ナナシから『ルーシェと名乗る人物を頼りなさい』と言われた。頼れ、というのだし、こんな辺境の山奥に暮らしているのだ。てっきり、老婆だとばかり思っていた。まさか、20代そこそこの女性だったとは……
「何だ、その眼は。疑っているのか?」
「……いえ」
「いや、疑っているだろ。ルーシェが若いわけがないって。おあいにく様、私は老けるのが嫌いなんだ。皺だらけの手を見ると、ゾッとする。だから、老化を沈滞させてるのさ」
「沈滞?そんなことが――」
「『人が想像できることは、すべて実現可能である』」
私の問いを妨げ、ルーシェと名乗る女性は言い切った。
「無理だから諦めるのではない。むしろ、想像できるということは人間の思考範囲に収まることだ。
もちろん、現代の魔術では難しいこともあるだろう。
現に、この私が黒魔術を駆使してでも、老化を止めることは出来ない。こうして、沈滞させるのがやっとだ。
だからといって、努力を辞めたら沈滞させることも出来なかっただろう。今頃、私は老いて、そこの屍の仲間入りさ」
自嘲気味にルーシェは笑い、ほれほれと左方向を指さした。
見ると、そこには無数の屍が転がっていた。
腐敗が進むと嫌な臭いが発するというが、臭いが発しないくらい骨と皮だけになった屍の数々。
もはや、あれは『モノ』だ。
人間の骨格こそ辛うじて残ってはいるが、人間ではない。
そんな気がする。
「アンタも黒魔術師だね。鞄の中から魂を感じるよ。数は、16個といったところか」
鞄を一瞥しただけで、ルーシェは論破する。
数えては無いが、確かそのくらい入っていた気がした。
鞄から瓶を取り出し、慎重に数えはじめる。なるほど、確かにルーシェの言った通り16個の魂が蠢いていた。
「なぜ?」
「私を馬鹿にするな。この程度、少し訓練を積めば分かるさ。
……さてと、それでアンタは誰の紹介で来たんだ?」
にっこりと微笑むルーシェ。
何故だろうか。その笑顔の裏に『返答次第では、お帰りいただこうか』という文字が浮かんだ気がする。
ナナシの名前を出していいのか。
瞬間的に不安が横切るが、ここは割り切ろう。
ナナシが言った通り、ここにはたしかに『ルーシェ』という人物がいた。
ルーシェとナナシが共犯関係にあって、私を裏切って殺そうとしていたなら……何も、あそこで助けなかったはずだ。そう思うことにしよう。
今の私には、頼れる人がナナシに推薦された『ルーシェ』しかいないのだから。
「ナナシさんからの紹介できました。ソウレ山のルーシェを頼れと言われまして」
「ナナシ?」
ルーシェから笑顔が消え、怪訝そうに眉をひそめる。
ナナシの名前を出したことは、いけなかったのだろうか?
「誰それ?」
「誰と言われましても……」
ナナシはナナシだ。
それ以外に言いようがない。外見的特徴を言いたくても、深編笠で顔をすっぽりと覆っていたのだ。
説明のしようがなかった。
でも、ルーシェしか頼れる人がいないのだ。
ここは、知る限りのナナシ情報を全て話すことにしよう。
「深編笠で顔を隠している人でした。剣士っていわれてるのに、剣を持っているようには見えない僧侶っぽい人でして」
「……」
「とにかく無口でした。何を考えているのか分からない人です」
私を救おうとしてくれたから、心根は優しい人なのかもしれない。
考えてみれば、拾われてからゼクス以外で一番関わっていた人なのだ。魂集めや戦場では、一緒に行動することも多かった。しかし、思い出という程の思い出は0に等しい。
「何処で出会った人間だ?」
「エドネスです。そこでに命を救ってもらい、ルーシェさんを頼るように言われたんです」
そう答えると、ルーシェは少し考え込んだ。
しばらく顎に手を当てていたルーシェだったが、ふと何か思い当ったように顔を上げる。
「それで、本人が『ナナシ』だと言ったのか?」
「いえ。周りの兵士たちが『ナナシ殿』と」
「は、あはははは!!そうか、アイツだ!あのムッツリ男の紹介か!」
ルーシェは大声で笑い始めた。
余程、おかしいことだったのだろう。ひぃひぃと呼吸困難になるくらい、ルーシェは笑った。
私とハヤブサは、きょとんと2人で顔を見合わせた。
……何かおかしなことを言ったのだろうか?それに答えてくれそうな人は、この場に誰もいなかった。
「アイツの紹介なら、構わん。立ち話もなんだ、家の中に入りな。お茶でも入れるさ」
あまりにも雰囲気が変わったルーシェに、私はもちろん、ハヤブサでさえ戸惑いを覚えたようだ。
不安そうに私を見上げ、着いて言っていいのかを問いかけてくる。
「馬鹿妹の紹介なら断ろうと思ったんだけどね、アイツなら構わんよ。
むしろ、歓迎するさ」
それは、どうやら本心から言っている言葉らしい。
何故、ナナシの紹介なら歓迎なのか?むしろ、血のつながった妹からの紹介の方が、受け入れやすいのではないのか?
妙な引っ掛かりを感じながらも、私はルーシェの背中を追うことにした。




