〜4〜
もう二度と、その場のテンションに任せて飲み比べなんてしない。
酒も煙草もやらない。明らかに体に悪そうなことに、遊びで手を出したりしない。
業務時間中に女の子と遊びたいとか言わないし、昼寝なんて絶対にしない。報告書も毎日ちゃんと書く。市民の声を自動音声案内に回したりしない。先輩勇者の言うことも、老害乙とか言わないで、ちゃんと聞き入れる。
毎朝早く起きるし、夜更かしも、深夜の創作料理もやめる。料理も掃除も、庭の草むしりだって、ニーアがしびれを切らしてやってくれる前に、自分からちゃんとやる。
だから、助けてくれ。
+++++
あまりの気持ち悪さに、今までの短い人生を心から反省しつつ、俺は薄暗い裏道にうずくまって神に祈っていた。
しかし、全部吐き出してしまえば体調は元通りで、気分も前よりスッキリしている。
今まで通りの俺でいいのだと、自信を取り戻すことができた。
それに、終わってみれば、美人と飲み比べなんて、一生の宝になる出来事だ。
今まで生きてきて、前世も含めて、あんな美人に相手をしてもらったことはない。こんないい思いができたのも、俺が勇者になったからだ。
先に席を立ったのはリコリスのほうだから、勝負は俺の勝ちで終わったと言っていいだろう。せっかくだから、何か約束でも取り付けておけばよかった。しかし、それは次に会った時の楽しみに取っておこう。
「アルヴァ、勇者様を見ませんでしたか?アルヴァ?」
表通りのほうから、ニーアの声が聞こえてきた。俺が部屋にいないから、ニーアが探しに来てくれたのだろう。
サービス残業中とはいえ、仕事中に美人と遊んでいたことがバレたら、ニーアにまたチクチク何か言われそうだ。俺は言い訳を考えながら、薄暗い裏道から明るい表通りに出ようと立ち上がった。
ペルラの返事はしばらく聞こえなかったが、本名で呼んでくるから無視していただけらしい。ニーアが何度も呼んでいると、ペルラの不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「知らない。地味オタクが話しかけてこないで」
「アルヴァ……変わってしまいましたね……昔は私が、お漏らしパンツを換えてあげてたのに……」
「あんた、ここで広めてないでしょうね!営業妨害よ!」
ペルラが怒鳴って、ゴミ箱が倒れる大きな音が聞こえてくる。派手なケンカが始まったようだ。この街では、街中で取っ組み合いのケンカなど、おそらく日常茶飯事だろう。
しかし、いくら市域外とはいえ、部下のニーアが暴行事件の加害者になったら、俺の責任問題になる。仕方ないからニーアを止めに行こうとした時、路地の影から飛び出してきた灰色の塊が、俺にぶつかった。
俺はまったく衝撃を感じなかったが、灰色の塊は弾き飛ばされて、叫び声を上げながら地面に転がる。
「……大丈夫か?」
俺が声をかけると、灰色の塊がもごもごと動いて起き上がった。野良犬か巨大な猫かと思ったら、ぶかぶかの灰色のフードを着た女の子だ。
女の子は、俺が差し出した手を無視して、大きすぎて指先が隠れてしまっている袖で、顔を押さえる。ビー玉のような大きな銀色の目に、みるみる涙があふれた。
「殴られたのだー!!」
「……?」
頬に大粒の涙をこぼしながら女の子が叫び出し、俺は意味がわからず、手を引っ込めるのも忘れて固まってしまった。
「コルダ、この人に殴られたのだー!」
「そっちがぶつかってきたんだろ」
とんでもなく失礼な勘違いだ。しかし、街中に響き渡りそうなほど絶叫しているし、転んだ時に足に怪我でもしたのかもしれない。魔法で治してやろうと思って、俺はコルダの腕をつかんだ。
「あー!!人さらいなのだー!!」
「違う。怪我したなら、治すから見せてみろ」
この街で、その絶叫は冗談にならない。早く治して立ち去ろうと、コルダのフードを引っ張っていると、後ろから震える声が聞こえてきた。
「ゆ、勇者様……」
俺が振り返ると、ニーアが目を見開いて固まっていた。
ペルラをからかうだけからかって、ケンカになると逃げてきたらしい。
ニーアは、魔法や剣術以上に体の身軽さが特徴だから、ドレスを着たペルラをまくなど簡単なことだ。ニーアの身体能力の高さに、俺はいつも助けられている。
が、今はそれに感謝している場合ではない。
人がいない裏路地、泣き叫ぶ女の子、その子のフードをつかんで離さない俺。
「違う」と俺が叫んだ声は、暗い路地に吸い込まれて消えた。状況証拠がそろいすぎている。
「俺は、無実だ」
この台詞を、ここまで切羽詰まって叫ぶのは、2回生きて初めてだ。
+++++
ニーアは、表通りから裏道に差し込むわずかな光に、緑の瞳を冷たく光らせながら、何も言わずに俺とコルダを見下ろしていた。
ゼロ番街はホーリア市外だが、ここの人間は、ほとんどがホーリア市内に住む市民だ。市の職員のニーアは、コルダに下手なことを言えないと、慎重になっている。
言いつけを守らずにふらふら街に出て、予言通り痛い目に遭った俺には、呆れて何も言えないらしい。
俺は、全力で反省している姿勢を見せようと、地面に正座をしてうなだれていた。石畳の地面で脛が痛いから、自然と険しい顔になって、ニーアも騙されてくれると思う。
しかし、俺の横で同じように地面にぺたんと座っているコルダは、袖で涙を拭って、まだしゃくりあげていて、俺の努力を無にする。
「コルダ、この人に殴られたのだ」
「殴ってない。ぶつかっただけだ」
「でも、痛かったのだ」
「それは、お前が大げさに転んだからだろ」
「ぶつからなかったら、転ぶことも怪我することもなかったのだ。明らかな因果関係が認められるから、責任の追及を免れないのだ」
コルダから、ちょいちょい口調に合わない発言が飛び出してくるから、おそらく彼女もゼロ番街のプロだ。当たり屋のプロ。厄介な相手に引っかかってしまった。
「ニーアは……信じてくれるよな?」
今までの自分の行いを鑑みて、半ば諦めつつ、俺はニーアを見上げた。
本物の勇者が配属されるのを希望しているニーアは、ニーアの中で偽物の勇者に区分されている俺が問題を起こして、ホーリアをクビになるのを今か今かと待っているはずだ。こんなチャンスを見逃すわけがない。
「私は、勇者様を信じています」
しかし、ニーアは俺の目を見つめて、力強く頷いた。
人に信じてもらうのは、今の人生でも前世でも初めての経験だった。ニーアの言葉に、胸が詰まって泣きそうになった。
ニーアと俺が一緒に仕事をした時間は、まだ長いとは言えないが、すでに勇者と魔法剣士の信頼関係が築かれていたようだ。
「女の子をさらうなら、もっと効率のいい手段を選ぶはずです」
俺が想像していた「信じている」と、少しニュアンスが違う。
しかしまあ、信頼関係には違いないと、俺がなんとか折り合いを付けていると、ニーアは鞄から革の名刺入れを出して、自分の名刺をコルダに渡した。
「街付きの勇者への苦情は、市で受け付けています。こちらの通信機の番号に連絡してください。市が仲介人となって、解決を図ります。当事者同士の話し合いが主になりますが、代理人を立てることも可能です。担当の職員が丁寧に対応しますので、安心してご相談ください」
「この人、勇者なのだ?」
「…………っ」
ニーアの話を遮って、コルダは俺を指さして尋ねた。
この世界の裁判外紛争解決手続きの説明をすらすらしていたニーアは、その簡単な質問の何が答えにくいのか、突然口ごもる。
勇者と認めるには、今日の俺の行いに問題が多すぎたのかもしれない。
だから、俺はニーアに代わって、コルダの横で正座をしたまま、胸を張って答えた。
「そうだ。俺はホーリアの勇者だ」
「勇者……」
コルダの大きな丸い目が、一瞬鋭くなった。
この目は、遠い記憶で見たことがある。スーパーで買い物をしているおばちゃんが、時々何もない場所で立ち止まって、そんな目をしている。「あれ?あっちの店のほうが卵安かったっけ?」とか考えている時の目だ。
得をするために、頭をフル回転させて計算している時の鋭さ。
「勇者様!助けてほしいのだ!コルダ、ここでひどい目に遭ってるのだ!」
さっきまで俺に怯えて縮こまっていたコルダが、今度は俺に助けを求めて、すがりついてきた。
抱きついてきた勢いで、コルダがかぶっていたフードが落ちて、隠れていた頭が露わになる。銀色の髪の間に、狼のような大きな尖った耳が飛び出していて、俺の目の前でぴょこんと揺れた。
ヴィルドルクでは珍しい、獣人の証だ。
しかし、コルダの変わり身の早さに驚愕していた俺は、それどころではなかった。
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