〜3〜
女の子たちも仕事に戻ったことだし、俺はゼロ番街の視察を終えて、事務所に帰ろうとした。
しかし、ニーアは身も心も疲れ切った俺を、ゼロ番街の店に引きずっていく。市の課長がゼロ番街を把握しておけと言ったのだから、店も見ておく必要がある、という理屈らしい。
ウラガノとニーアの会話を思い出すと、ゼロ番街で何か問題があった時、市は知らんぷりをするけど、国の勇者は対処しろ、というような内容だった気がする。問題しかない街を、俺に押し付けるな。
そもそも、今この時間だって、市の職員のニーアには残業代が出ているが、俺には出ない。無給のサービス残業中だ。
「大丈夫です。知り合いがいる店なので」
何が大丈夫なのか知らないが、ニーアは、表面だけ城を貼り付けたような派手な店の前で足を止めた。
目が痛いほど暴力的に光る装飾が施された扉を開けると、中も白銀の光に満ちていた。広い店内を区切るように仕切りが並んでいて、テーブルとソファが並んでいるのがかろうじて見えるが、まともに目が開けられない。その眩しさに目が慣れる前に、赤いスーツを着た細身の男が、ニーアと俺の前に躍り出てきた。
「はい!ご新規様!エデンへご招待しまー……うわッ」
男は勇者の俺ではなく、ニーアを見て叫び声を上げた。体を反らして、ニーアに顔が見えないように両手で隠す。
「何だよ……何しに来たんだよ。お前、こんなとこ来るキャラじゃねーだろ」
「ニーアの知り合いか?」
「はい。リトルスクールの時の」
俺が尋ねると、ニーアが乾いた声で教えてくれる。
リトルスクールは、ヴィルドルク国の義務教育施設で、俺の前世でいうと小学校のようなものだ。
俺はリトルスクールで友達ができなかったが、たとえば前世で、小学校の同級生がホストになっていて、エデンにご招待されたらどんな気分になるか、少し考えた。
ニーアがゼロ番街に来るのを嫌がったのは、潔癖で水商売を嫌悪しているからではなく、同級生と会って、お互い気まずくなるからだと思う。
「お店の様子が見たいので、席を用意してくれませんか?エデンじゃなくていいので」
「お前、馬鹿にしてんのか!うちのババァに余計なこと言うんじゃねーぞ!」
ババァというのは、たぶん、こいつの母親のことだろう。リトルスクールの同級生なら、親同士も顔見知りのはずだ。
ホストに怒鳴られながら、ニーアと俺は店の奥の隠れた階段を3階分くらい上って、小部屋に案内された。
1階の内装と比べると、落ち着いた調度品でまとめられた室内で、チープながら高級ホテルのような雰囲気の部屋だ。ソファとテーブルとベッドがあって、大金を持っている客が、ホストと一対一で楽しむのだろう。
部屋の一面は劇場のバルコニー席のようになっていて、吹き抜けになった1階の店を、上から見下ろせるようになっている。階下の店内には、ぽつぽつと客が入り始めて、徐々に賑わっていた。
テンションの高いホストと、女性客の歓声がここまで聞こえてくる。前世でも現世でも、大人の店に入るのは初めてだから、遊園地みたいで面白い。
1つ文句を言わせてもらえるなら、ホストクラブではなくて、女の子がいる店に行きたい。
この店のことはもうわかったから、次は女の子がいる店の営業を確認したい。そして、いい機会だから、覆面調査員として市民の目線に立って体験したい。
俺が勤勉な提案をしたというのに、ニーアは鋭い緑の目で俺を見ていた。
「不名誉なことに、ここ数年で『ホーリアのゼロ番街』は、国内でも指折りの歓楽街になっています。だから、働いている人間はプロです。ペルラはリトルスクールではお漏らしばかりしていましたが、ここでは引っかかった男を皆、一文無しにしていますし」
ニーアは、オタクっぽいと言われたことを根に持っているのか、言わなくていいペルラの恥を打ち明けつつ、俺が着ているマントを引き剥がした。
「ミミーは手癖が悪い子なので、街の外では近付かないようにしてください」
ニーアがマントを振ると、ミミーの名刺がバラバラと床に落ちる。
べたべた抱きついてくる子だと思っていたが、気配もなく、こんなに名刺を入れてくるとは。
勇者の俺でも気付かなかった。名刺を入れられるなら、財布を抜くのも簡単だ。盗みなら敵意を察して止められると思うが、どうも自信がなくなってくる。
「痛い目に遭いたくなかったら、大人しく見学をしていてください」
「……」
大人のテーマパークで、大人しく見学していろとは、ニーアも酷なことを言う。
仕事で来ているから、ニーアの言うことを聞くべきだと頭では理解しているが、俺の10代の好奇心が、頷くことを拒否していた。
「ニーア!勝手に見学してねーでツラ見せろって。店長が呼んでる」
俺が理性と好奇心に挟まれて唸っていると、部屋の扉が開けられて、さっきのホストが入ってきた。服も髪型も派手だが、よく見れば、ニーアと同じ年くらいのようだ。
「仕事で来てるって、言っておいてください」
「だから、公僕が何の用だってうるせぇんだよ」
「……わかりました。勇者様、ここにいてくださいね」
ニーアは俺にそう言って、ホストの後について部屋を出ていく。
せっかくの歓楽街だというのに、俺は1人、酒もホストもいない部屋に残された。
こんな所に置いてあるベッドで1人で寝る気にはなれなくて、バルコニーに出て欄干に寄りかかり、店の営業を眺めた。
ホストが席に座って距離が近い接客をする以外は、料理と酒を出す普通の飲食店だ。
その後、どこまで接客を深めるかは、客と店員が交渉して決めている。階下のざわめきから魔法で声を抜き出すと、金と相性次第で、どんなサービスでもしてくれるようだ。
女の子の店でも同じシステムなのかどうか、後で確認して、財布と相談しておこう。
しばらく賑やかな階下の声に耳を澄ましていたが、それにも飽きて部屋に戻ろうとした時、壁で仕切られた隣の部屋のバルコニーから、手が伸びてきた。
俺のいるバルコニーの欄干に、ショットグラスがこつん、と置かれる。
闇色の細い爪をした指がすっとそれを押すと、グラスは俺の肘まで滑ってきた。
グラスの中には、透明な紫色の液体が入っていた。持ち上げて店の明かりに透かすと、キラキラと紫のかけらが光って、グラスの中で蝶のように舞っている。
「飲まないの?」
「仕事で来てるんだ」
聞こえた女性の声に俺が返事をすると、隣のバルコニーから身を乗り出して、壁の向こうから声の主が顔を出した。
腰までありそうな長い黒髪が、絹のカーテンのように広がって、白い顔を隠す。青い目は氷のように冷たく光っていたが、子供のようにバルコニーの隙間から足を出して揺らしていて、黒いドレスが白い太腿にまとわりついていた。
ニーアよりも5歳か10歳は年上に見える。でも、前世の俺よりも多分ずっと若い。
藍色の口紅を塗った顔は、精神年齢が今の姿よりもずっと上の俺でもひるむほど、大人の色気がある。
ゼロ番街のどこかの店で働いているのなら、後で行くから教えてほしいところだ。しかし、ミミーやペルラのような子とはレベルが違って見えたし、だからといって、このホストクラブの上客にも見えなかった。
「勇者って、案外、慎重派なのね」
そう言った彼女は、同じ液体に満ちたショットグラスを目の高さで揺らして、そのまま一気に飲み干した。馬鹿にされているような気がして、俺もグラスをつかんで口を付ける。
しかし、唇に液体が付いて、すぐに後悔した。
これは、酒ではない。ホーリア名物の、魔術で使うハーブを極限まで煮詰めた液体だ。
スプーン1杯くらいを、根性試しで舌の上に乗せて遊んでいるのを、養成校で見たことがある。そうやってはしゃいでいた馬鹿2人が、再起不能になって退学していった。
しかし、俺は首席卒業だ。この程度の量なら、魔術で無害化できる。平気なふりをして喉に押し込み、空になったグラスを、欄干の上を滑らせて相手に返した。
「勇者様、名前は?」
空になったグラスをキャッチして、女性は自分が持っていたグラスと並べた。足元にあった瓶をつかんで、2つ並んだグラスに、また紫の液体をなみなみと満たす。
「ホーリア。街付きは、街の名前を名乗る決まりだ」
「そう。つまんないの」
「尋ねておいて、名乗らないのか?」
俺が尋ねると、液体で満たされたグラスが戻ってきた。
「リコリス」
冷たい声でそう名乗ると、リコリスは自分のグラスを持ち上げて、喉を晒して一息で空にした。
これは、俺も負けられない。だから、グラスをつかんで息を止めて、中身を飲み干す。普通の人間の致死量はとっくに超えていて、2杯も飲めば声も出さずに死ぬだろう。グラスを返すと、またすぐに紫で満たされて戻ってきた。
「勇者様、仕事はどう?」
今度は、リコリスは自分のグラスを飲み干してから、俺に聞いてきた。張り合うところではないが、こんなところで負けたら勇者の名が廃る。手が震えてくるのを隠してグラスを返すと、間髪入れずに戻ってくる。
どちらかが倒れるまで終わらないパターンだ。リコリスのほうは、シロップでも味わうように、グラスの縁を赤い舌でペロリと舐めて、余裕そうに見えた。
「順調だ」
「魔獣と共生するんだって?」
「そう」
「それは、勇者がいる意味ないわね」
リコリスが、皆が気付いていたけれども、誰も言わないでいてくれたことを、はっきり言ってしまった。
内々の理由として、俺を解雇すると、たぶん副市長がオグオンに消されるとか、首席で卒業してクビになった勇者を養成校が生かしておくはずがないとか、深刻な理由がいろいろあるが、一般人に教えることではない。
俺は、6杯目になるグラスを空にした。
「勇者は、魔獣を倒すだけが仕事じゃない」
無害化が間に合わなくなってきたから、口内から胃まで、防御魔法の膜を張ることで防いだ。まったく問題ない。
リコリスは、さっきから同じ量を飲んでいるのに、顔色1つ変えていない。俺と同じ方法で防いでいるのか。もしかしたら、俺がからかわれているだけで、リコリスが飲んでいるのは、ただのシロップなのかもしれない。だとしたら、俺はとんだ道化だ。
「市民の平和を守るのが、仕事だ」
「そう。期待してるわ」
リコリスは、俺が返したグラスと自分のグラスを、片手でまとめて握った。がしゃん、とガラスが割れる音がした。
リコリスは、欄干にもたれていた体を揺らして、瓶を片手にバルコニーから部屋に入っていく。
隣の部屋のドアが開く音がして、俺もバルコニーから部屋に戻った。ニーアに床に捨てられたマントを着直して廊下に出ると、青いドレスのペルラが、廊下に出たリコリスに駆け寄るところだった。
「お姉様。言われた通り、勇者のお迎えをしました」
「ありがとう。もういいわ」
さっきの女の子たちの熱烈な歓迎は、リコリスの指示だったのか。
リコリスの後について行こうとしたペルラは、俺に気付いたが、さっきとは打って変わって、金を払っていない奴に一切興味がない様子だった。
しかし、俺が口を押さえているのと、リコリスがぶら下げた瓶とを見比べて、哀れみの表情に変わる。
「下から出すなら、部屋のトイレ。上から出すなら、店出て裏行って」
勇者の俺が、まさか情けない姿を見せるわけにはいかない。だから、平然とした顔で部屋に戻ろうとしたが、込み上げてきたのは上からのほうだった。俺は諦めて、階段を駆け下りた。
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勇者と違って、作者はちゃんと働きます!




