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元公務員が異世界転生して辺境の勇者になったけど魔獣が13倍出現するブラック地区だから共生を目指すことにした  作者: 甘酢ニノ
第5話 勇者、闇の巣窟に潜入する

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〜2〜

 眠い、お腹が痛い、気分じゃない、行くにしても今日じゃない、など。

 思いつく限りの言い訳を並べたのに、夕方の鐘が鳴った後も、ニーアは事務所に残っていた。いつもは定時になったら、俺の紅茶を淹れている途中でも、迷わず帰るのに。

 そして、遠くの山が夕暮れに染まる頃、俺はニーアに連れられて、ゼロ番街に向かっていた。


 山の中の寂れた洋館にでも連れていかれるのかと覚悟していたが、ニーアは迷わず、街中の8thストリートに入る。歴史ある建物と高級ホテルが並ぶ、観光客が多い通りだ。


「ゼロ番街は、ホーリア市の外にあります。ヴィルドルク国内ですが、国境沿いで、どこの市にも属していない地域です」


 ニーアは周囲をはばかるように、小さな声で囁く。

 黄昏時の不穏な空気も相まって、ブルーベリー色の肌をした怪物が住む洋館に連れていかれそうだ。そんな所に行くのは、勇者の仕事ではない。しかし、ニーアに腕をつかまれて逃げられない。

 8thストリートを奥まで進むと、寂れた小さな広場に着いた。崩れた石畳と枯れた噴水が目立つ何もない場所だが、他の数本の通りからもこの広場につながっていて、辻になっている。

 ニーアは、「疲れたから帰ろう」とアドバイスをした俺を無視して、広場の奥の、狭いトンネルのような路地に進んだ。

 壁で夕日が遮られて、ニーアの横顔がかろうじて見えるくらいの闇の中を歩く。


「ライセンス証を忘れたから、帰ってもいいか?」

「勇者様、いつもそんなもの、持ち歩いていないじゃないですか」


 ニーアは振り返りもせずに、どんどん先に進んでいく。

 今のところ気配は感じないが、街を外れて山に近付いているから、魔獣が出現する危険がある。しかし、ニーアの迷いのない足取りから、突然魔獣が襲ってくる危険はなさそうだ。


 リリーナにも一緒に来てくれないか頼んでみたが、部屋の中から返事は返ってこなかった。

 部屋のドアに耳を付けると、中からカタカタとミシンの音がしていた。コスプレの衣装製作に忙しいらしい。

 中の様子を透視しようとしたが、俺が聞き耳を立てているのに気付いたリリーナが、ドアを蹴り飛ばしてきて、中断されてしまった。勇者の俺が飛び退いていなかったら、今頃、鼓膜が弾け飛んでいたところだ。


「せめて、どんな所なのか教えてくれ」


 俺は、午後のお茶から何度目かになる質問をした。しかし、ニーアの答えはいつも同じで、何か言おうとして重い口を開き、ため息だけをこぼす。

 険しい顔で「もう着きますから」と言って、俺の腕を握る手に力を込めた。


「ニーアは……勇者様を信じています」


 最後にニーアがそう呟いた時、暗いトンネルが終わって、目の前が突然明るくなった。


 +++++


 夕日の明かりとは違う。ランプと魔法で作られた、人工の明かり。銀色と金色とピンク色で、周囲の建物がきらびやかに輝く。

 夜を先取りして、周囲からはもうアルコールと香水の匂いが漂っていた。ぴったりとした白いスーツを着た男や、石畳をこするくらい裾が長く、ティッシュくらい薄いドレスを着た女が歩いている。

 ~歴史と緑の街ホーリア~の隣にいながら、俺の脳内に、【新宿歌舞伎町24時】と、前世の街の名前だかテレビ番組の名前だかが浮かんできた。


「ここが、ゼロ番街です」


 ニーアが唇を噛みしめて、悔しそうに言う。ホーリアで生まれ育ったニーアは、街のすぐ隣にこんな場所があるのが許せないのだろう。

 つまり、ここは、観光とか出張とか、いろいろな理由を付けて1人で来られる観光客が、いろいろなことを楽しむための、大人の場所。


「あー!勇者様だー!」


 甲高い歓声が聞こえて、俺は反射的に背を向けて、来た道を戻ろうとした。

 ホーリアで勇者と呼ばれて、まともな目に遭ったことがない。屋根の修理はさせられるし、腕をミンチにされかけるし。

 ゼロ番街は市外だが、職務放棄中の勇者に言いたいことがあるのだろう。集団で襲いかかられると、魔法は使えず、剣で怪我をさせるわけにもいかず、相手を怪我させないように体術で倒すのにも限界がある。

 女の子の集団はニーアを弾き飛ばして、俺の周りを厚い層になって囲んだ。


「やっと遊びに来てくれたんだぁ!」


 集団からいち早く飛び出してきた女の子は、太腿の上をギリギリ隠す白いセーターを着ていて、花のタトゥーを入れた柔らかい脚が、俺の体に巻き付いてくる。マント越しでも、女の子の感触と体温が伝わってきた。

 そのまま俺を絞め殺す気かと身構えたが、女の子は俺を上目遣いで見上げて、子猫のようによじ登ってきた。俺に顔を近付けてきて、鼻にかかった甘えた声を出す。


「ねー?私のお店、来てくれるでしょ?」

「……?」

「ミミーに会いに来てくれたんじゃないの?」


 どうやら、この子は俺に対して敵意はないらしい。ミミーは「ねー来てー!」と足をぱたぱたさせながら、俺のマントにぶら下がっていた。

 マントが前にずり落ちそうになったが、「私の店にもー!」と言いながら、女の子たちが俺を四方八方から引っ張ってきて、防御魔法がかけられているマントが、そろそろ破けそうになっている。

 俺がミミーに応えようとした時、白いセーターが後ろからつかまれて、ミミーが集団の外に消えていった。

 ミミーを放り投げたのは、キラキラと輝く青いドレスを着た女の子だ。長い黒髪が右目にかかって、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。ミミーを追い出して空いた俺の正面に来て、腕に抱きついてくる。


「ねーえ。あたしと遊ぼうよ。サービスするから、さ」


 腕に女の子の体が密着して、柔らかいアレが肘に当たる。ぼやかして言わなくても、少し視線を下げれば、胸元が大きく開いたドレスから、眩しいほど白い胸が見えた。

 そのまま腕を引かれて体が傾くと、俺の耳元に、口紅で水色に染まった熱い唇が当たる。


「ペルラ、得意なんだよ?もちろん、エッチぃのじゃなくて?健全、な、の」


 「ね?」と吐息と一緒に囁かれて、足から力が抜けた。

 そのままペルラに引きずって連れていってもらいたいところだが、今日はニーアと一緒に仕事で来た。ここでペルラについていったら、俺を信じると言ってくれたニーアを裏切ることになる。

 それに、最短でも来年まで、俺はホーリアにいるんだから、業務時間外にいつでも遊びに来ればいい。


「いや、君と遊びたいところだが……」

「やーだぁ勇者様。ペルラちゃん、って呼んで」

「ペルラちゃんと遊びたいところだが……」

「無理です。仕事で来ているので」


 女の子の集団に弾き出されて転がっていたニーアが、ペルラを押しのけて、俺の正面に立ち塞がった。

 脚に絡まるようなドレスを着たペルラは、胸を揺らしながらニーアを見下ろす。魔法剣士らしい動きやすさ重視の服装と、これまた動きやすさを重視した体格をしたニーアを、ふん、と鼻で笑った。


「何?相変わらず地味でオタクな格好してるのね。ニーア」


 ヒールで背が高くなっているペルラに見下されて、ニーアは不愉快そうに眉を寄せる。俺も仲間を馬鹿にされて、ペルラの胸元から視線を上げた。ニーアが勇者オタクなのは事実だが、服装は関係ないだろう。

 ニーアは負けずに胸を張って、ペルラに立ち向かう。


「アルヴァ」

「……ここで本名出さないでくれる?」

「勇者様に、ここの営業をどうこうする権限はありません」

「だって、勇者なんでしょ?」

「風俗営業の規制は、勇者の仕事ではないです」

「でも、この街のことを市にチクるんじゃないの?」

「次の報告は3か月後なので、忘れてます」

「……なーんだ」


 ペルラは、俺の腕からぱっと手を離した。いそいそとドレスの肩紐を直して、こぼれかけていた白い胸を布の中にしまう。

 そして、ペルラはパンパン、と大きく手を叩いた。それを合図に、俺の周りできゃあきゃあ声を上げながら、俺のマントを引っ張っていた女の子たちが、ぴたりと動きを止める。


「解散!」


 ペルラが言うと、女の子たちは波が引くように、香水のかすかな匂いだけを残して、俺から離れていった。


 夜から営業だろうから、今の時間は準備で忙しい。仕方ない。

 皆、さっきまで俺に向けていた笑顔を引っ込めて、てきぱきと店の準備を進めている。仕事熱心で真面目な子たちだ。

 だから、街の営業を守るために勇者を接待するのも、彼女たちの仕事の1つ。接客業の本音と建前くらい理解している。ちゃんと金を払えば、その分、楽しい思いをさせてくれるはずだ。勇者の立場を利用して、金も払わずに甘い汁を吸おうだなんて、そんなつもりは毛頭ない。


 それでも、心に負った傷の深さに、1人残された俺は、地面に崩れ落ちた。

 冷たい石畳の感触が、マント越しに膝に伝わる。甘い匂いを忘れさせるように、冷たい風が吹き抜けていく。気を抜いたら、目から汗がこぼれそうだ。唇を噛みしめて、手のひらに爪を立てて耐える。


「一瞬の夢……か」

「勇者様、仕事中なので立ってください」


 俺の狂おしいほどの切なさなど理解する気もないらしいニーアは、なぜか俺と目を合わせないまま、冷たくそう言った。

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