〜1〜
昼を過ぎて、そろそろ午後のお茶の時間かという頃、俺はテラスのベンチで、副市長から戻ってきた報告書をめくっていた。
3日探して見つかった報告書は、古本屋に引き渡す予定の本の束の中に混じっていた。危うく、機密情報を二束三文で売り飛ばすところだった。偶然にもそれを防いでくれた副市長に、感謝しなくては。
報告書は、最初の数日は真面目に書いている。その後、俺の料理日記が続いて、俺が料理に飽きた後は白紙だ。
市民説明会を開いた日のことは書いているし、リリーナを採用した時も、深い後悔と一緒に反省がつづられていた。その他のページは、眩しいほど真っ白だった。
夏休み最終日の絵日記のように、なんとかページを埋めようとしたが、書くことがない。覚えていないのではなく、本当に何もない。
日課として、人を食おうとしている危険な魔獣が出てきたら追い払っているが、慣れてしまった今は、それも5分で終わる。首席卒業の勇者の素晴らしさを書くにしても、毎日同じことを書いて自分の優秀さを確認するほど、自己愛は強くない。
副市長は、俺が持ってきた余白だらけの報告書を見て、「国との契約で週1回の報告が義務付けられていますが、月1回でもいいことにしませんか?」と持ちかけてくれた。
副市長にしては、有益な提案だ。
俺はそれに甘えさせてもらい、さらに3か月に1回の提出にするように交渉を続け、見事合意に達した。
報告書の提出は、また3か月後だ。古本屋に売ったり、古紙回収に出したりしないように気を付けよう。
「……?」
魔術の気配をかすかに感じて庭を見ると、事務所の門の前に1人、若い男が立っていた。
男は門を開けると、そのまま事務所の庭に入ってくる。何重にも張り巡らせた侵入禁止の魔術を、蜘蛛の巣でも払うように片手で解除しながら、普通に歩いて、俺がいるテラスまで来た。
嘘だろ。
養成校で、モベドス卒の教師に殺されかけながら学んだ、首席卒業の勇者が仕掛けた罠だぞ。
「どうも、勇者様、久しぶりです」
「……ああ」
「呼び鈴ないから入ってきちゃいましたけど、庭の魔術って、市民が入ってこないようにですか?」
「……そうだ」
通信機は自動音声案内に回すようにしているが、事務所に市民が直接押しかけてきたら、相手をしないわけにはいかない。だから、事務所の庭にも門の周辺にも、事務所の人間以外は出入りできないように、厳重に侵入禁止の魔術をかけている。
腕のいい魔術師でも、そう簡単には入れないはずだ。それなのに、今勝手に入ってきた男は市の作業着を着ていて、魔術師には見えない。
「勇者様、お茶の時間ですよー……あれ?ウラガノさん」
「よっす、ニーア。お疲れ」
トレイを持ってテラスに出てきたニーアが話しかけると、男はテラスに飛び乗って、ベンチに座った。ニーアが名前を呼んで、ようやく気付いた。こいつは、ニーアの同期のウラガノだ。
「よく入ってこられたな」
「俺、侵入系の魔術だけは得意なんすよ」
「ああ、ホーリア生まれじゃないんだったな」
「そうです。空き巣のたびに疑われてたんで、住人が全員魔法を使えるホーリアに越してきたんです」
一般的な街だと、住民の半分くらいは、魔法が効くが使えない、普通の人間だ。
魔法が発動したのかどうかも、誰の魔法の残滓なのかもわからない人間は、何か犯罪が起こるたびに、魔法が使える人間に疑いの目を向ける。ウラガノも、いろいろと大変な思いをしたらしい。
「てか普通、ちまちま小銭盗んでないで、でっかい金庫破って、そのままとんずらしますよね?」
「まさか、ホーリアに越してくる前に、やってないよな?」
「したら国外に逃げますって。トルプヴァールなら、疑われなそうですし」
ウラガノの目は本気だった。個人が自分の才能をどう活かそうと自由だ。ホーリア市から大泥棒が生まれたとしても、それを止めるのは勇者の仕事ではない。俺の手がかからない範囲で、好きにやってほしい。
「それで、仕事中にどうしたんですか?」
ニーアが、ウラガノの分までお茶を準備して、ベンチに腰掛けた。
「暇なんだろ」と俺は呟いて、ニーアが焼いたクッキーをつまむ。どこの職場でもあることだ。職員が過労死するほど忙しい部署もあれば、目を開けていることが今日のノルマみたいな部署もある。
「いや、俺んところ、超忙しいんですから」
「どうせ、民家の屋根修理が仕事だろ」
「勇者様、その言い方は失礼ですよ」
「まあまあ、実際そんなもんだし」
ウラガノが、寛大な心で俺を許すように言ったが、事実、ウラガノの仕事は屋根の修理だった。そして、代わりにその仕事をさせられたのは俺だ。
「屋根の修理で忙しい奴が、何しに来たんだ」
「実は、勇者様にお願いがあって来たんです。ゼロ番街のことで」
「……ゼロ番街?」
俺がホーリアの担当になって3か月近く経つのに、聞き慣れない通りの名前だ。
ホーリア市のメインストリート以外の道には、番号が振られている。1番街と2番街は、市民のための食料品や生活用品の店が並んでいて、観光客が少ない。3番街はホーリアで一番古い通りで、100年以上続く老舗や職人の工房が並んでいる。
通りによってそれぞれ特徴があるが、その中に、ゼロ番はなかったはずだ。
「あそこに、勇者様に行ってもらいたいって。課長が」
「私は反対です」
ニーアはそう言って、立ち上がった。
テラスの簡素なテーブルがニーアの勢いに負けてひっくり返りそうになり、俺は魔法でテーブルを地面に固定した。ニーアは夢中になると、周囲のものの扱いが雑になる。今も本気で反対しているようだ。
「ゼロ番街は、ホーリアではありません。市域外です」
「そうだけど。あそこで何かあった時に、街付きの勇者が『そんな所知りませんでした』ってのは、マズいだろ」
「それは、確かに、伝えていなかった市の責任になるかもしれませんが……」
「こっちは見て見ぬふりしてるけど、国の勇者が同じことしてたら、問題になるんじゃね?」
「そう、ですね……では、ウラガノさんが勇者様を連れていってください」
「俺もあそこはちょっと……ほら、今、俺、業務時間中だし」
「私だって仕事中です。そちらが持ってきた話でしょう」
ニーアとウラガノの言い争いは、俺を挟んで続いている。同僚とケンカしてまでニーアが行きたがらないなんて、ゼロ番街とは、そんなに危険な場所なのだろうか。
もしそうなら、そんな所に俺が行く話を、俺抜きで進めないでほしい。
「そんなに危ない所なのか」
2人の話が一瞬止まった隙に割り込むと、ウラガノは深く頷いた。
「ええ、ヤバいっす」
「ヤバいって、どんなふうに?」
「リアルに」
「勇者の俺でも?」
「パないです」
ウラガノは、語彙力が乏しすぎて役に立たない。
ニーアに通訳を任せて詳しい話を聞きたかったが、ウラガノはクッキーを口に入れて、お茶を飲み干すと、ベンチから立ち上がった。
「じゃ、頼んますわ。あの、報告とかはいらないんで!」
庭を駆けて、門を乗り越えて事務所を出ていくウラガノの背中を、ニーアは恨めしそうに睨みつける。
最近ブレがあるが、本来は仕事熱心なニーアがそんなに嫌がるなんて、本当に行きたくない場所らしい。剣術も魔法も使えるニーアが嫌がるということは、ネイピアスのように魔法が使えないとか、剣術が使えないとか、単純な話ではなさそうだ。
「リリーナも一緒のほうがいいか?」
魔法が使える場所なら、俺に何かあっても、治癒魔術が使えるリリーナがいれば死ぬことはない。
引きこもりのリリーナが、俺が頼んで一緒に来てくれるとは思えないが、ニーアのクッキーで釣れば、もしかしたらということがある。
「リリーナさんはちょっと……あー、でも、もしかしたら逆に、いけるかも……」
逆にって、何がだ。
ウラガノのところの課長なんて無視して、行かなくていいことにしよう、と俺は聡明な提案をしたが、職務に忠実なニーアに無視された。




