82. 瑕疵を無視する
魔術省での研修中に取り寄せたハーブと海塩で四つヒゲはスープとなり、基地の夕食の一品となった。南部出身の魔闘士隊員たちは大喜びし、王都出身の同僚たちに引かれていた。
ヒゲも約束通りに分けることが出来た。神妙な面持ちでヒゲをかじる後輩魔闘士を大きな満足と共に眺める。
四つヒゲ養殖場を造ろう、お金ならある。鐘でチン! の特許使用料として資金を遺してくれた兄もきっと喜ぶだろう、と思いついた。
夕食後の後輩の個室を訪ねるとドアが設置されていた。従来のドアは闇堕ちの狂暴化や魔獣化を懸念して撤去されていたが、その危険性がさしあたって感じられないと判断され、破壊強度を下げたドアの設置が許可されたらしい。
とはいえ日中は常時開放して、同僚たちの懸念や訪問に配慮しているそうだ。盗聴虫対策のフクメロもちょこちょこと出入りしている。
四つヒゲ養殖計画を話すと、後輩は仮面のような微笑を顔に貼り付けていた。
「先輩は面白がるでしょうね…」
「中堅さんが興味深いことを言ってたんです。魔法動物たちが四つヒゲのヒゲを喜んで食べたり遊んだりするのは、四つヒゲが魔法動物に近い性質を持っているからじゃないかと」
魔術学会の動物関連研究に詳しい中堅審査官によれば、魔法動物は種が違っても魔法動物として互いを知覚しているらしいという。
「それは確かに興味深いです。蓄魔晶石を胃石として貯め込むのが偶然なのか、四つヒゲが意図的に収集しているのかは突き止める必要があると考えていました」
「また研究で自分を忙殺するようなことを…」
「実地調査すると胃石の件を察知される懸念がありました。食用の養殖場を造るというあなたのアイディアはカモフラージュになります。差し支えなければ計画に参加させてもらえませんか」
「いいんですけど、研究で徹夜したりドア閉められたりすると不意打ちできない」
「定性調整実施予定期間は開放しておくようにします」
不意打ちの打ち合わせという状況は矛盾を感じる。
「良い四つヒゲを持って来てくれた点だけは、精霊組成士に感謝です。あ、何も言わずに逃亡してくれたところもかな」
精霊組成士の名を出すと、楽しそうだった後輩は途端に表情を曇らせた。
「彼は精霊たちには横暴で、妹さんには横柄でした。あなたが不快な思いを引きずってないといいんですが」
「南部には時々いますよ、ああいうグイグイ系は。けど、魔力が個性的じゃない人に興味ないのって言うまでもなかったし…知りませんか? 南部では気のない人を断る常套句の一つです」
「魔力が個性的じゃないって…ああ、本人にはどうしようもないことで反論の余地を与えないのか。容姿や性格を否定するわけではない。なるほど」
研究熱心な後輩だけれど、こんな処世術を学んで欲しくはないと思う。
「そうだ、あなたが予定より早く帰ってきたので間に合わなかったんですが…とにかく書いた方がいいと思っていたので」
後輩が渡してくれた手帳は大きくて分厚かった。
「先輩の言動を書き出しているんです。何でもない小さな出来事も多いし、時系列にもなっていないので、いずれまとめ直します。第三者が読んで違反を掘り出されるといけないので魔法錠をかけておきます。僕かあなたの固有魔力でしか開きません」
思いがけない気遣いが嬉しくて、思わずちょっと跳んでしまった。
「ありがとうございます! すごく嬉しい。見ていいですか」
「ここに置いておくので、いつでもどうぞ。あなたのものです」
どきどきしながら早速中を見せてもらう。
『魔術学会での研究発表の場にて。前列に魔闘士が座っていた。
長身でローブを着崩し気安い雰囲気だけれど、強くて太い眼光をたたえている。周囲の研究者たちから明らかに浮いていた。それが先輩だった。
少し離れた隣には眠そうにしている、こちらも見慣れない聴講者がいた。後にこの人が中堅審査官だと判明した』
「えー! 何でどうして」
「中堅さんは魔法動物の発表を聴きに来る学会員だったんです。僕の次に発表されるテーマが魔法動物だったので」
『発表が質疑応答に入ると、真っ先に手を上げたのが先輩だった。まるで攻撃予告のようだと言って議長に発言を止められていた』
「後輩さんは兄の質問をどう感じていたんですか」
「魔闘士は鋭いなと。僕が実行する人物かを観察しに来たのかと、内心焦りました」
「そういう後輩さんの感想とか反応も書いて欲しい。兄だけじゃなくて、兄と後輩さんがどういう風に過ごしていたのかを知りたいです」
「なら、話しながら書き足していきます。意見や認識の一致も相違も理解しておくために、僕たちはもっと話し合った方がいいと思うので」
『東塔を小突くより魔獣を殴ってスッキリしようか。風系が得意なんだろ? あいつを焼き裂くアイディアがあるんだ。一緒にやるぞ、とその魔闘士は軽く朗らかに、朝の運動に連れ出すみたいに言った。魔闘士先輩だ、よろしくと自信に満ちて伸ばされた手を反射的に握り返した』
「骨を砕く気かと思いました。あの時の先輩の手の力強さは、今でも思い出す度に僕を奮い立たせてくれるんです」
後輩は穏やかに温かく微笑みながら手の平を見つめている。
「時々、兄に会いたくてたまらなくなる時があるの」
「うん」
「兄の不在を理解してるけど、受け入れきれてない。そういう時は不在に慣れるんじゃなくて、生きてくれてた時をこうやって…何て言えばいいんだろう。感じ直したい」
「うん。分かると思う」
手帳の最初のページにまだ書名はない。けれど下の隅に、『追憶案内?』と小さくメモされている。
誰も形見に欲しがらなかった兄の本が、後輩の記憶を介して一瞬にして特別な何かに変わる、魔法みたいな変化に名前をつけたいと思った時のことを覚えてくれていたらしい。
まだまだ白紙のページが有り余るほどの、大きくて分厚い手帳を用意してくれたのも嬉しい。後輩の背後の机には同じ手帳の新品が何冊も積まれている。官給の事務用品ではない。取り寄せてくれたんだろう。
手帳をぎゅっと胸に抱いた。
「ありがとう。ほんとに嬉しい。ほんとに」
「…四つヒゲより?」
「これは誰にも養殖できないもん」
後輩は満足そうにうなずいてくれた。
「手帳もですが、キスハグ☆バングルも間に合わなくて…この命名は新米審査官さんです。フクメロが大型野獣に出くわしたような顔をしないでください」
疑似キスと疑似ハグを風と温熱と水という必要魔能の低い精霊で再現し、その精度を上げているところだという。
「妹さんの友愛のキスも再現したつもりで…」
「友愛の」
彼の顔がたちまち緊張した。
「あの…ハグ以上が出来るローブのずらし方を聞かれた時、僕は…南部風の挨拶のことに考えが及ばなくて…、どれくらい思い上がっていいのか…」
「じゃあ次は好きな人にするキスのサンプルを預けていいですか」
ちょっと声が震えてしまった。
「魔力が個性的で半闇性な人なんですけど」
途端に彼は手の甲を顔に押し付け隠してしまう。
「…それは、」
「はい」
「僕だと思っていい?」
意外過ぎることを言われて返事が遅れた。
「え…、いまさら…」
「初めて言われたから」
と、手の向こうから絞るような声がする。
「魔力が個性的って?」
「好きって」
「…そう…でしたっけ」
言われてみればはっきりと『好きです!』なんて言った記憶はないけれど、同じようなことは伝えていたつもりでいた。後輩が慎み深いしずっと心が忙しそうだったから、遠慮はしていた。
彼はその返答に驚きすぎたのか、手で顔を隠すのも忘れて口を開けていた。ややあって愕然としたまま呟きだす。
「僕は一体何を悩んでたんだろう。思い悩んだ時間を返せと僕に言いたい。他人に惑わされて。いや勉強不足の僕がいけない。勉強? 経験か。能動的な経験」
「後輩さんが壊れた」
「いっそもう能動的に壊れようか」
踵をわずかに浮かせてからしっかり地面をとらえ直して背筋を伸ばす、彼のこの仕草の後にはいいことが起きる。そう分かるくらいには、彼のことを知ったと思える。
「今日は自制心も安全志向も壊れたのでお願いがあります。五秒、いや三秒でいいです。次の定性調整では、目の前にいる僕の大事な人とキスしても相手に影響がないくらい有害性を下げてくれませんか」
危機管理と精霊運用の研修中だなんてことも忘れて承諾した。
--- 思慕の収束 編 完 ---
この後は番外編→最終章 の予定です




