81. 遠隔でざわつかせる
ようやく手元に、正確には目元に返ってきた眼鏡型転送術具をきっちりとかけ直して、中堅審査官は背筋を正した。
今朝から北嶺探査基地の監督業務に復帰した。業務の監査など煙たがられる役でしかないのに、同僚たちは心底清々しい笑顔でお帰りなさいと言ってくれた。これだけは堅物審査官に感謝すべきだろうか。
堅物が嵐のようにかき乱して行った基地の運営方法や信頼関係を早急に復旧しなければいけないが、まず最初にやることがあった。
王都の魔術省にいる新人魔導士から闇がち魔闘士への、遠隔会話による定性調整だ。
精霊組成士が魔術拘束術をかけた半闇性精霊への影響は測定の手段がない。けれど後輩魔闘士は悪影響を心配して、精霊の霊的食料である半闇性魔力を与え続けていた。
結果、彼は自家汚染によって闇性度が上がっている。少しでも自己浄化力を得るため寝食まで除染室で過ごす状態らしい。
待ち合わせた会議室に入ると、すでに遠隔会話装置を運び込んだ後輩がいた。魔術省の精霊鑑別班や審査官も立ち会う正式な場であるため、基地の公的な連絡設備の一部を借りたと説明する後輩が、途中で何度か強い瞬きをした。
「後輩くん、座った方がいい。照明が眩しいようなら、楽になる暗さまで落として構わない」
素直に礼を言って、後輩は照明をかなり暗くした。高い闇性度による有害な影響と半屋外で長く過ごすせいで、さすがに体調が優れないようだ。
魔術省との遠隔での対話が繋がると、先に声をかけさせてもらった。
「おはよう、妹さん。審査官中堅だ。北嶺の可憐な太陽が魔術省の陰に隠れてしまって、基地職員たちは心寒い日々を過ごしている」
装置から華やいだ笑い声がする。
『おはようございます。中堅さんが復帰してくれて嬉しい』
そう答える背後で『え、今の審査官の挨拶?』『詩人なのか?』とざわつく気配がしている。
「妹さん、おはよう。魔闘士後輩です。体調はどう?」
『おはようございます。頭だけ一点集中で疲れ切っていますが、魔術省の食堂が美味しいので栄養補給はばっちりです。後輩さんは?』
「中堅さんに倣える気がしなくて打ちひしがれています」
『詩的才能も定性調整しましょうか』
打ちひしがれていると言う後輩は、むしろ柔らかく微笑んでいる。
『新人魔導士さん、余計な文言を足さないように。精霊鑑別班で用意した通りに読み上げるように』
精霊鑑別班であろう人物の注意が入った。妹の定性調整を管理するようだ。
『はい、ではいきます。定性調整の精霊に対し、後輩魔闘士に以下の調整を実行するよう命じる。半闇性の固有魔力に含まれる有害性が心身に与える悪影響を一週間のあいだ、感覚として半減する水準まで減少させる。…です』
何と無味乾燥な、と呆れた。隣を見ると後輩は眉を寄せ怪訝な顔をして固まっている。
『鑑別班です。後輩魔闘士さん、実行結果の報告をお願いします』
「全っ然効いている気がしません」
『失敗ですか。遠隔会話でも有効だと知らされているのですが。新人魔導士さん、精霊にちゃんと魔力を渡した?』
『わたしの固有魔力が動くの、見てくれてましたよね。ちゃんとやりました』
「中堅です。遠隔会話での有効性が確認された例では、音声だけではなく映像越しでもありました。音声だけでは効果が低減される可能性、もしくは調整の文言が適切でない可能性があります」
よって、と続ける。
「妹さんの固有魔力が回復し次第、近日中に再度、映像と音声での遠隔調整の場を設けてもらいたい。文言はより適切と思われる数例をこちらからも提案させて頂きたい。後輩くんからは?」
「直近数回はゼロ距離で非常に有効だったと申し添えておきます」
『後輩さん、大丈夫? もう一度やりますか?』
心配そうな妹の声の背後で、『ゼロ距離ってなんだ』『対面より近いってこと?』とざわついているのが聞こえる。
「大丈夫です。妹さんの欲しいもの、必要なものは何ですか。何でも差し入れします」
『えっと。教えて欲しいことがあります。魔術省に壊された超高効率蓄魔晶石の損害賠償請求を取り下げたらどうします? って、誰に聞くのがいいでしょう』
ふは、と後輩が吹き出した。腕を組んで体の揺れを抑えているが、肩が震えている。
「その提案は僕から魔術省に差し入れておきます」
「妹さん、実は僕は詩人じゃなくて審査官なんだ」
公的な場で裏取引を匂わすどころか元気よく掲げられたら、さすがに注意しないわけにはいかない。
『あっ、そうでした。善き魔導士でいられなくてごめんなさい』
難しい問題だ。彼女が善意で定性調整をかける時、例えば闇堕ちしかけた頑健魔闘士を救う時、それは悪事ではないのに違反になる。
「どうかな。法、そして公序良俗は良識の最大公約数にすぎない。それを守ることだけがすなわち善良ではない」
『じゃあ善良って何でしょう』
「僕たちはそれを更新するために生き、考えるのではないかな」
うーん、とうなる彼女の背後で『え、哲学者?』『北嶺基地って資源じゃなくて思想を探索してるの?』とざわついている。
短い制限時間の中で互いの健康を願い、通信は終了となった。
「後輩くん。純粋に君の体調を思っての質問だ。本当はどうなのかな」
「身体的には今のところ文言通りです。一週間、観察しておきます」
彼が言うところの『献身的な仕打ち』が彼を癒すのだろう。精霊鑑別班が用意した無機質な文言で『全っ然効いていない』のは嘘ではない。効いている『気がしない』と予防線まで張っている。
「妹さんが魔術省に請求している超高効率蓄魔晶石の賠償額はいくらですか。寛大ですね、僕なら二倍に上げます」
眼の奥で思考を素早くめぐらせているらしい後輩に、通信開始前のかげりはもう見えない。つまりは遠隔会話での定例調整でも、ある程度の効果はあった。
数値として定量的に測れないのが定性だけに、本人に『効いている気がしない』と言われてしまえば、審査部としては遠隔会話での効果は薄かったと報告せざるを得ない。
後輩は精霊鑑別班には遠隔での定性調整の効果が薄いと誤解させ、魔術省には高額賠償請求の取り下げで揺さぶりをかけるようだ。新人魔導士が北嶺基地に戻る日は近いだろうと思った。
案の定、二日後の朝礼で新人魔導士は帰ってきた。不在を詫び礼を述べる彼女を魔闘士隊員たちは特に熱い拍手で迎えた。
北嶺に住み着く治癒促進の精霊は、ここが魔獣討伐の前線基地だった時代から魔闘士隊が長く世話になってきた大事な精霊だ。それを無許可で強奪しようとした精霊組成士の事件は魔闘士隊の大きな怒りを買った。
実際に強奪されかけたのは治癒促進の精霊ではなかったが、未遂でも魔闘士隊は収まらなかった。魔闘士隊は精霊三班に厳重抗議、また新人魔導士への過多な研修とその間の滅声マスク終日着用は根拠なく懲罰的だと魔術省に抗議していた。
魔術省は多方面からの数々の抗議や圧力や取引を無視しきれなかった。魔術省に留置しての研修は打ち切られ、新人魔導士は大量の本を持たされて、三か月後の試験に通れば終了という形になった。
朝礼の後、新人魔導士は後輩に歩み寄った。手で制止される前に距離を保って止まる。
「ただいま、後輩さん」
「おかえりなさい」
新人魔導士は後輩の体調をたずね、定性調整に都合のいい時間と場所を聞いて精霊使用計画書を書き、本人と審査官の承認を得た。魔術省の教科書通りの流れだ。
不意打ちばかりの定性調整を受けてきた後輩は、彼女の驚きの進歩にむしろ困惑しているようだ。
「不測の緊急事態には改めて現場で書類を作ります。事前に準備して常時携帯しておきます」
にこりとされても、後輩の表情から硬さが消えない。
「了解しました。…王都で色々覚えてきたんですね」
「はい、三曲ほど歌いきれるようになってます!」
「研修のことで、ふっ」
言い切る前に後輩が吹き出した。
「あっ、そうですよね。ほらちゃんと書類書いて、ちゃんと…」
「あなたが帰って来たんだなと、やっと思いました」
にこりとされて、今度は新人魔導士が不服そうな半目をした。
「えー…後輩さん、気付いてます? 計画書の時間と場所の範囲内なら、別にどんな方法で調整かけてもいいんです。どんな不意打ちでもわたしの自由なんですよ…」
「それを言ってしまったら不意打ちにならないと思います」
「じゃあ全っ然効かない文言でやります」
「ごめん、不意打ちでお願いします。…僕はすごくおかしなことを言ってるな」
「わたしは今、精霊なしで人格の調整に成功しています」
後輩の口調は嘆いているが口元は諦め混じりに笑っている。嬉しそうだ。
あなたが帰って来たんだなとやっと思った、と後輩が言うタイミングでさりげなく場から離脱した自分の察しの良さに満足する。
一方で、このタイミングと距離の見極めがうまくなってきているのが何となく納得いかない。見守る、監視するとも言えるが盗撮感がすごい。眼鏡型転送術具の向こうで新米審査官が喜んでいるのがまた複雑だ。
「損害賠償取り下げの件、良い手でした。僕が抗議しなくてもそれだけで足りていた気がします」
「抗議もしてくれていたんですか、ありがとうございます。どういう抗議ですか」
「教えません」
きっぱりと拒絶するあたり、新米から報告のあったキスハグ☆バングルの開発エピソードが絡んだ件だなと察する。
キスハグ☆バングルなる遠隔会話及び疑似キス疑似ハグ術具の完成は、結局新人魔導士の帰還に間に合わなかった。
後輩は同僚たちに試験運用を依頼し、データ収集と調整を重ねていた。
闇堕ちを知らされていない同僚には、後輩が距離を取るのは身体的接触を嫌うためと説明されている。接触は嫌いなのにキスやハグはしたいんだね…と何とも言えない温かい表情で理解されていたこと、裏でキスハグ博士などと呼ばれたことは後輩には黙っておく。




