80. 王の何か
「先輩魔闘士さんは王の耳なのではないかと疑っていました。一介の魔闘士にしてはあまりに物を知りすぎていた。けれど話で聞く限り、破天荒で注意を集めやすく強引で反発する者も多く、諜報員向きとは言えません」
眼鏡の転送術具は深夜の除染室を映している。暖炉のそばでキスハグ☆バングルの仕様書を書く後輩の手元は淀みない。
「王の耳にも定かでない噂話として、『王の』とだけ呼ばれる者がいるそうです。耳や舌や剣のように決まった役割を担っているわけではない。王の意思を体現するような活動をする者で、時にそれは本人さえ知らされないことがあると」
『興味深い話です』
その割に平坦な口調で後輩は言った。
「『王の』者は耳、舌、指、剣などに密かに出された指示によって支援されます。通常なら許可されない許可が下りたり、通常なら手配できないものが手配されたり。操作がなされているとは分かりづらい頻度、範囲の融通がされるんです」
確信を強めた理由がいくつかあった。
「先輩さんは王国の魔法動物の研究者さえ入手困難な魔法虫を、少なくとも二種類は使役していました。魔術省にも数個しかない最高品質の蓄魔晶石を二十数個は所持していました。定性調整の精霊には即日、秘密裏のまま使用認可が下りました。秘術の貸出しを受けたりもしています」
後輩の手元は何の反応も見せず、淡々と書類を埋めている。
「先輩さんは『王の』身分を意図せず後輩さん、あなたに引き継いだ可能性があります。先輩さんの遺志を継ぐかのように王国のために戦い、研究するあなたに王の支援が移った。外出許可が通りやすくなったり、違反を追及されにくくなったり」
後輩の処遇が幸運以上に恵まれたと感じる場面はあった。
「今回に関しては、精霊組成士の逃亡です。魔術省の保安員が易々と振り切られるわけがありません。むしろ逃亡を手引きした可能性があります。証言をさせず、事件を後輩さんの有利に終わらせるためです」
そうですか、という無難な返事以外の反応はない。何かを知っているとも知らないとも、一切の情報を与えないつもりらしい。
警戒状態の後輩は崩すのが難しい。最初から何か聞きだせるとは期待していない。
「周囲の人間はあなたがあたかも王や、不可視で上位の存在の支援を受けているかのように感じると、あなたに協力し始める。自分の場合はあなたに協力して王がそれに気づき、王の耳として覚えめでたくなることを期待するわけです」
『新米さんの自由です』
「一切の証拠はありませんから、ただの妄想です。妹さんが魔術省に課された留置期間より早く基地に帰って来たら、この妄想が外れてはいない証拠が増えるか、あるいは彼女なしでは生きていけない魔闘士が動かした世間の圧力が」
『明朝から中堅さんが復帰するそうですね。無傷の眼鏡を返却できるのか分かりませんが』
そろそろ機嫌が悪くなるぞという警告だろう。話題を変えた方が良さそうだ。
「妹さんの体調を教えましょうか」
さすがに基地の同僚でも、妹の健康状態の詳細を知らされはしない。王の耳の面目躍如だ。
「自分が王の耳だと告白した記録を後輩さんのバングルから消してくれたら、妹さんが基地に戻るまで様子を伝えます」
『記録は最初からありません』
「そうだろうなと期待半分、予想してはいました」
『今の会話さえ記録されているとは思いませんか』
「あなたの信用を得るには、こちらから信用を積み続けるしかありません」
『記録は取っていません』
記録が最初からないと手の内を明かすことで、信用の欠片を一つ積み返してくれたらしい。
けれど記録機能があるのかどうかは明かさない。その程度の信用なのは無理もないし、こちらも記録されて困ることを言う気はもうない。
「妹さんは滅声マスク終日着用だからと、歌いまくっているそうです」
『…はい?』
さっきまでの静かな緊迫を消し去る間抜けな声がした。
「後輩さんの個室のドアと同時に、音楽の入った記録石と再生用魔術具を届けるつもりだったんです。それを魔術省の妹さんの居室に差し入れました。南部で人気の陽気な歌を、腕をがんがん振りながら歌っているとか」
『先輩の妹だな…と思いました…』
「魔術省付の医師によれば足の腫れは引いてきています。ただ傷痕はしばらく残りそうだと。妹さんはその場で傷痕を残りにくくする軟膏を大量買いしてました。中堅さんに貢がせるのも悪いと思ったんでしょう」
はー、と後輩の嘆きのため息が聞こえる。
キスハグ☆バングルの完成品があれば届けましょうかと言いたかったが、断られる上に心証を悪くするのは目に見えているのでどうにか黙った。するなら後輩は自分で手配するだろう。




