79. 魔術省を困らせる
今までは中堅審査官の人柄によって、基地運営を監督するという嫌われやすい立場であっても現場はうまく回っていた。
それを堅物審査官は個人的な権力顕示欲のために引っかき回し、審査部と基地職員の信頼関係を傷つけた。後輩魔闘士から蓄魔晶石の純正魔力という、魔闘士としての力の根源を没収したのも問題視された。
新米審査官は一方で基地からの抗議を処理し、他方で堅物からの無駄で無益な指示に振り回されて憤死しそうだった。『小動物を処分する毒餌を送れ』は通信不良ということにして完全に無視した。
新米にとって、後輩の経過観察は大事な気晴らしだ。『妹さんは後輩さんを好きだとは一度も言っていません』への反応と、精霊組成士の妹への接近に動揺する後輩の反応を楽しめた。
雲行きが怪しくなったのは、精霊組成士が魔術拘束で精霊を捕獲しようとしてからだ。物質をすり抜ける精霊は捕獲、拘束する手段に乏しく、結果として専属精霊以外の精霊を独占することは不可能だった。
独占が可能になってしまうと一部の魔術師に強力な攻撃精霊を囲い込まれたり、捕獲した精霊の使用料を徴収されたり、後輩が指摘したように医療所以外での治癒促進術が不可能になったりするだろう。
もし魔術省の規制が間に合わず防御や転移や門番といった重要な精霊が反逆者の手で拘束されたら、王国の存続を揺るがす事態になる。
精霊に魔術拘束が効く事例を情報統制下で管理し、拘束を前提とした精霊三班のプロジェクトは中止させる必要がある。書類に手を伸ばそうとした時、拘束されたのが先輩魔闘士の半闇性精霊だと分かった。
何やってんですか先輩さん、と自分も先輩と精霊の区別が曖昧なことに気付きつつ頭を抱えた。
割り切って精霊を連れて行かせようとする後輩と先輩の妹で意見が分かれて焦る。この二人の息が合っていたからこそ、困難な事態が打開されてきたのだ。
『じゃあまず俺にキスでもしてもらおうかな。南部風の情熱的なやつ』
という精霊組成士の一言で転送魔術具である眼鏡への魔導が切れ、映像も音声も止まった。切れたのは魔導だけではないだろう、と経過観察者としては面白いが監督者としては致命的な情報欠落だ。
堅物審査官は『精霊など使えん』と遠隔会話ピンの使用を試しもしなかった。実際に魔能も魔導もどん底に低いらしい。とにかく直接の連絡手段がなかった。
公式に基地に連絡を入れると、堅物審査官に取り次ぎますと言われたまま待たされ続けた。違反を見つけようと基地内を徘徊する堅物を捕まえられずにいたらしい。結局、眼鏡の転送復帰の方が早かった。
『堅物審査官さん、先ほど精霊組成士さんがあなたに精霊使用の許可を取りに行ったはずです。許可したんですか』
『何? 会っていないし、そんな話は聞いていない』
後輩は審査部に見られたくない場面の転送をしっかり無視して、見せたい場面からしっかり見せていた。完全な味方同士ではない以上仕方がない。この時点でもう現場で起きた真実の証拠は得られないなと諦めた。
『だとすると僕らは精霊組成士の攻撃術を鎮圧し、精霊の強奪を阻止したと言えるかもしれません。逃走しようとする精霊組成士が、なぜか門番に拒絶されたようで地面に吸い込まれました』
後輩の描いた筋書きに乗らされるのは面白くないが、人が地面に吸い込まれたというのは面白い。危険を冒して王国に来たかいがあったと思える精霊の神秘だ。
精霊が自発的に術を発動することはない。本来の門番の使い方でない術を誰かが指示したはずだ。門番の精霊の機能を魔術省に問い合わせる必要がある。
結局、その後救助された精霊組成士が北嶺探査基地に戻ることはなかった。門番や岩に対して強い拒否反応を示したからだ。
魔闘士隊本部に転移で移送したが王都の石造建築や石畳を目にしただけで崩れ落ち、人に取りすがって泣くばかりで事情聴取どころではなかった。
南部に帰ると言い張る精霊組成士を保安員つきで一時帰郷させたが、海岸の磯や砂浜、魚の切り身でも泣く。精霊に嫌われ精霊の話をすると地面が抜けると思い込んでいるらしく、やはり事情聴取どころではなかった。
事件が起きてから一週間が経っても、魔術省と審査部は映像のない時間帯に何が起きたかを解明できなかった。
「審査部は困り果てました。門番の精霊を誰がどう使用したのかを審査官は見ていない。証拠映像もない。組成士は話さない。後輩さんと妹さんは愚痴を言ったら門番がなぜか組成士を床に吸い込んだと主張する」
『精霊とは我々の想像を超えた存在ですね』
眼鏡の向こうの後輩は何の答えにもなっていない答えを返す。
審査部は最終的に後輩の主張に沿うしかなかった。
精霊組成士が審査官の許可なく基地内で拘束術を使用し、北嶺基地に不可欠な精霊と知りながら連行を企てた。その行動を嫌った門番の精霊の制裁に遭い、岩窟の下へと吸い込まれた。途中で後輩が拘束術の強制終了を施して精霊を解放した。
北嶺探査基地は敷地内の上空に関しては基地の規則が及ぶが、直下の北嶺山中に関しては地下室でない限り基地だと定める法令がない。
術の発動場所を術者とするのか、精霊が紋を認識する場所とするのかは、魔術省内でも昔から意見が統一されていない。
基地と断言できない場所で後輩が行った強制終了が、『基地内で堅物審査官の許可なく術を使った者は厳罰に処する』に抵触するとは言えないし、状況からすれば精霊組成士の無許可の精霊連行を阻止している。
「挙句の果てに精霊組成士に逃亡されました。南方海域の航路探索船の船員募集を見つけ、大変乗り気になり、保安員を振り切って乗船してしまいました。帰港予定は早くて三年後です」
『海には吸い込まれる地面がないからですか。ゆっくりと心を癒してもらいたいものです』
拘束術の対価魔力を用意したのは新人魔導士だが罪には問われなかった。審査部の許可を得るよう進言していたのに、組成士に許可があるよう振る舞われた映像記録が残っていたためだ。
けれど審査部は定性調整の使用を疑って、事件当日に新人魔導士を魔術省に移送して聴取した。彼女のずさんな精霊運用を以前から懸念していた魔術省は、この機に法令遵守と行動規範と危機管理の研修、魔導士座学の再履修を課した。
任意および事故的な定性調整の精霊使用を防ぐため滅声マスクを終日着用のうえ、二か月の魔術省内留置となった。そして一週間が経過したところだ。
「さて、ここからは記録に残しません。そちらも同様にお願いします。魔術省で自由を奪われている女性に対し、ある魔闘士が『彼女がいないと生きていけない』と訴え出たそうで」
『違います。北嶺地域を脅かす闇性魔力の無害化の研究は滞りなく速やかに行われるべきで、それには定性調整による実証実験が不可欠だという厳重な抗議書を送ったんです』
食い気味な訂正が入った。
「それが話題の『キスハグ☆バングル』の開発者ということで注目されました。北嶺探査基地の優秀な若き魔闘士が、隔てられた王都にいる恋人を想って開発した品だという宣伝で予約受付中の新商品です」
鐘でチン! の製造会社が喜んで商品化を請け負ってくれた。契約を代行したのは自分だ。宣伝文句を提案する権利くらいあるだろう。
『僕はもう二度と王都に帰れない…帰るつもりはないけど』
「その魔闘士が想っている、隔てられた王都にいる恋人が」
『繰り返さなくていいです』
「甘い逸話で話題の女性が、証拠不十分な案件で嫌がらせのような処遇を受けていると噂が流れています。若者を中心に王都民は真偽の確認と特定に沸き、詮索と抗議が魔術省に向けられています。魔術省は妹さんへの対応改善を協議しています」
『噂を流したのは故意ですか』
「自分は王の舌ではないんですが、横のつながりはあります。舌に情報を流したのには理由があります」
『聞きます』
後輩は平静な返事だが、何か取引でもする気かと身構えているだろう。
「恐らく王はあなたに便宜を図っているからです。先輩さんにしたのと同じように」




