72. 実はそれを言われてない
後輩ちゃん、と声をかけてきたのはガチムチ魔闘士だ。
『献花台に持ってくの手伝って』
『はい。花ですか』
『魚』
はい? と歩みを止めた後輩魔闘士のもとに、調理場から精霊組成士が出てきて大皿を渡した。皿の上には白やピンクの生っぽい魚肉の山が積まれている。
『叔父の好物だったんで。これを作って供えてやってくれと父に頼まれたのもあって、冷凍魚を持って来たんだ』
『調理しないんですか』
『こういう料理だよ。生で食べるんだ』
俺ダメ、と顔を引きつらせるガチムチを見やって、精霊組成士が苦笑する。
『王都の人はみんな引くよな。南部でも特に魚が新鮮な港町だけの、漁師飯みたいなもんだし。実は俺もそんなに好きじゃない』
魚の生肉は色付けされたオイルや鮮やかなハーブで彩られてはいるが、やはり生肉は生肉だ。眼鏡越しに見ても食欲を削がれる。
フィッシュパイが美味なのは認めるが、わざわざ王都の端まで食べに行きたいとも思わない、というのが魚に対する新米審査官の正直な感想だ。
ガチムチが唇を歪めたまま肩をすくめる。
『包丁で魚を滅多打ちにしてた。怖かった』
『滅多打ちって。包丁を使って魚を香辛料やハーブと混ぜるんだよ。そういう料理法なの』
『何が始まったかと思ったもんね。ああ、あれ思い出した。治癒促進の精霊の儀式。北嶺に住み着いてる精霊が、魚のミンチをあげると使役しやすくなるやつ』
しまった、と思ったがガチムチの話を眼鏡越しに封じる手立てはない。
魔術師が亡くなると願望を反映した強力で特異な精霊が現れることがある、という仮説を先輩魔闘士と後輩魔闘士は研究していた。精霊目当てに魔術師が害される危険性から、審査部で情報統制している。
亡くなった魔闘士の特殊な好物と、北嶺に住み着いている精霊の特殊な好物が同じだという一致が偶然ではないと思い至る者がいれば、情報統制をかけるべき事態だ。
後輩も当然それに気付いただろう。けれど即座に話を止めたり逸らしたりせず、不審をあおらないつもりのようだ。
『預かります。精霊組成士さん、献花の場所は滑りやすい斜面です。ブーツの紐を確認し、ローブの裾を踏まないよう気を付けてください。案内します。僕とは少し距離を空けてください、闇性魔力の被ばくが蓄積気味なので』
後輩は魔闘士隊用の遠隔会話ピンで歩哨に周囲の安全情報を確認し、先導する旨を副隊長に報告して坑口へ向かった。
『君は魔闘士だったのか』
ついていきながら精霊組成士が意外そうに言う。
『職人か研究者かと思った。俺の中では魔闘士って叔父の印象が強くてさ』
魔闘士隊の資料によれば、精霊組成士の叔父は日焼けとヒゲの濃いがっちり体型だったようだ。
職種によって魔術省の官給ローブにも違いはある。魔術省の内勤とはいえ、魔術師ならば見れば分かるような魔闘士隊のローブを精霊組成士が見逃すだろうか。
叔父と比べて体格の劣る後輩をいじっているな、と新米は判断する。
『そうか、魔闘士だから妹ちゃんが仲良くしてるんだな。いいよな魔闘士隊、南部の人が多くて堅苦しくなくてさ。うちの精霊三班なんて最近一人ヤバいことしでかしたらしくて、所属してた痕跡の一切を抹消されててビビったよ』
すぐに調べた事実を眼鏡越しに後輩に伝える。
「例の精霊鑑別士です。後輩さんとの婚約騒ぎ、および中堅さんと妹さんへの攻撃で投獄された彼女は精霊三班の所属でした。つまり、そこにいる精霊組成士とは同僚です」
偶然だろう。この弔問のタイミングは不自然ではない。
鑑別士の事件は隣国のスパイ疑惑でもあるため厳重な口外禁止令が出されている。組成士は名門一族とは縁が切れていて、親族として鑑別士の消息不明を知る機会はない。恐らく無関係だ。今回の訪問は単純に叔父の追悼のためだろう。
「ただ、先輩さんの精霊の存在を知っている可能性があります。鑑別依頼が精霊三班の担当だったので」
『あれは畑?』
『樹木のナーサリーです』
『へえ。北嶺探査基地って気楽そうでいいよな。中堅審査官さんが妹ちゃんにおはようの次に、君は今日も可憐だって大真面目に口説いてて驚いたよ。審査官がだよ?』
『あれは一種の公認の挨拶です』
『友情のキスがついたら南部だ。もう魔獣もいないし魔闘士隊に移ろうかな』
精霊組成士は王令で新生した北嶺探査基地に興味があるらしい。職員も施設も観察しているようだ。
『野獣はいますが…そのことで精霊に精通する方として相談をしてもいいですか。攻撃してくる野獣をなるべく傷つけずに拘束するのに有用な精霊は何ですか』
精霊組成士は鼻で笑った。
『なんで? 野獣だろ? 攻撃術で仕留めればいい』
『無害な野獣なら野生復帰させます。動物愛護に熱心な人がいて…』
『どうせまた増えるんだし、肉とか食べれば無駄にならないんじゃない?』
『仕留めても無駄になるという話ではなく』
やり取りが続いたが、精霊組成士は倒せばいいと答えるばかりで後輩は相談を諦めたようだ。しばらくの間、曇り空の雪山の景色と雪を踏みしめる音ばかりが転送されていた。
『そうだなー』
西の岩稜が見え始めた頃、精霊組成士が思い出したように言った。
『感覚麻痺させたら? 治癒促進の精霊を縛ろうとして上手くいかなくて、ついイラっとして魔術拘束の精霊をけしかけたら効くみたいなんだよね。それで思い出してさ、あれって精神操作じゃなくて攻撃術じゃん』
魔術拘束の精霊は、各感覚器官に過負荷を与えて魔術使用を妨げる精霊の総称だ。人間相手には別名騒がしい仮面と呼ばれる魔術拘束具と併せて用いられる。
『だから警戒態勢の動物にも効くはず。魔獣相手には弱くて通らなかったけど、その辺の動物なら効くんじゃないか。加減が合わなかったら感覚器官が即ぶっ壊れたり狂ったり、余計暴れたりするだろうけど』
『精霊を縛る? 精霊班が強引な手段を使っているとは思いませんでした』
『え、だって精霊だよ? 意思も感情も痛みもない。野獣を殺す方がよっぽどひどいと思うよ』
『魔術拘束が有効なのは、精霊に感覚があるからでは?』
『君、言うねえ』
精霊組成士は声に呆れたいら立ちを含ませている。
『便利な精霊ほど高位で、より多くの言葉を理解し、意思があるって言う人もいる。けど知りようがないんだから配慮する必要ある? 精霊三班では治癒促進精霊を拘束して医療所に常駐させようとしてるんだ。便利に使う方が大事だろ?』
『治癒促進の精霊は希少です。医療所に拘束し続けた場合、医療所以外での場で呼べなくなる事態が起きる可能性は?』
『医療所に来ればいい。そのために常駐させるんだし』
言い直します、と後輩は言った。
『医療所外での緊急時や僻地で治癒促進の精霊が必要になった場合の緊急連絡手段と対応、例えば医療所で拘束している精霊を一時解放するなどの対処は考えられているんですか?』
『王都には人口の半分がいるんだよ』
後輩は続きを待っているようだったが、精霊組成士は答はそれで終わりとばかりに違うことを言い出した。
『さっき面白いこと言ってたねえ。治癒促進の精霊が北嶺に住み着いてるんだって? どうして?』
『不明です。精霊には意思などないし、あっても知りようがないと、さっきあなた自身が言った通りです』
『君…けっこう生意気だね。何、俺何かした?』
精霊組成士は好戦的に口角を上げる。後輩は鼻先でため息をつくと、話にならない、と小さく呟いた。
『ああ分かった、妹ちゃんだろ? 同郷同士、話が合っちゃうからね。魚を見て引く王都民には無理。南部の子ってすごく親密に接するから、王都のやつらはすぐ勘違いするんだ。わきまえた方がいいよ』
『そうですか』
精霊組成士はにやにやして後輩を見やったが、すぐに期待外れの白けた顔をしている。後輩は無表情なのだろう。陰険な東塔派閥で過ごした彼は、嫌味な相手が喜ぶ反応を与えてやるつもりはないようだ。
叔父の好物だという生魚の皿をぶちまけて野獣の餌にしてやればいいと新米は思うが、善き後輩はきちんとそれを献花台に届けた。そして周囲を警戒しながら精霊組成士の動向を見守り、魔闘士としての職務を果たしている。
本人に非はないのに堅物にも精霊組成士にも言いがかりをつけられる哀れな後輩に話しかけた。
「魔術拘束がかかる精霊がいる、というのは新たな情報です。精霊組成士は知性の代わりに運を持っているようです」
そうですね、と後輩が応じる。
『単なる指摘なのに攻撃や人格否定だと曲解して過剰反応されると面倒なんです。まともな意見交換が出来ない。研究や仕事の質を上げるうえで妨げにしかならないのに、なぜ魔術省は雇っているのかと思ったら、運でしたか』
疑問を述べただけのような平坦な口調だけれど辛辣で、思わず笑ってしまう。精霊組成士とは話が通じない上に、無関係の先輩の妹のことまで持ち出されてはうんざりするのも分かる。
組成士は仕事が出来ないから火炎旋風の組成チームに入れなかったのだろう。本人もやりがいを感じなくて魔闘士隊に移ろうかなどと言ってみたに違いない。魔闘士隊は移ろうと思ったら移れるような組織ではないのに。
「けれど、後輩さん。精霊組成士の『南部の子はすごく親密に接する』で思い出したことがあります。ずっと気付いてはいたんですが」
数秒置いてみるが業務に無関係な話だからか、後輩は先を促さない。あまり引き伸ばすと高価な眼鏡を野獣の餌にされかねないので続きを言った。
「妹さんは、後輩さんを好きだとは一度も言っていませんね」




