68.1 番外編 魚と音の試練
後輩と妹の関係が近付く話の評価数が多いようなので、番外編として二人の話を時々挟んでみます。興味のない方は飛ばしてください。メインストーリーを補完する話も出てきますが、読まなくてもきっと大丈夫
おはよう、君は今日もフクメロのように非常に可憐なお嬢さんだ。
と称える責務を果たすべく朝礼の場である食堂で新人魔導士を待っていたが、女性陣の居室の方が慌ただしい。
「発熱と、脚の裂傷付近の腫れが強い。炎症を起こしている」
「私が医務室へ運んでやろうか」
「いや、使い慣れたベッドで寝かせてあげよう。まだ重症じゃないし、これ以上体力を落とさせたくない。患部の冷却を頼む」
医師と副隊長の会話から推測すると、新人魔導士は怪我が原因で体調を崩しているようだ。
同僚たちから少し離れた場所に立っていた後輩魔闘士は硬い表情で居室の方へ視線と神経を向けている。
闇がちとして彼の固有魔力は有害性を含む半闇性に染まっている。怪我人のそばにいることも、治癒促進術をかけることも、冷却材を用意することさえ可能な限り避けるべきだ。
居室の方へ歩み寄って副隊長へ声をかけた。
「女性の居室に入室することを許可してもらえるなら、僕に治癒促進や冷却をさせてもらえないだろうか。今は審査の職務から離れているから、必要なだけ付き添える」
自分の油断で精神操作を受け、彼女にひどい傷を負わせてしまった。精霊を使うのが上手とは言えないが、これ以上なく真剣に誠意をもってやらせてもらいたいと思う。
「精神操作の検査士待ちの身だから、もちろん引き続き魔闘士隊の監視下でお願いしたい」
「そうか。後輩、中堅を見張っておけ」
副隊長は実に察しが良くてありがたい。
「はい。ありがとうございます」
「勘違いするな。精霊鑑別士を怒らせたのはおまえだぞ。中堅と二人、妹の心身に傷痕一つ残すな」
「はい。申し訳ありません」
「ガチムチ、解熱鎮痛剤を肉スムージーで流し込め。残りの者は一分後に朝礼だ」
指示を飛ばしながら副隊長は食堂の水差しを手に取る。防水袋に流し込まれる水は途中でしゃりしゃりと音を立てながら粒状の氷に変えられていく。一瞬で出来上がった傷の冷却袋を渡される。
「使え。怪我の冷却は繊細なんだ。風刃弾で腱を切れない下手くそには、私が後で冷却の御し方を仕込んでやろう。審査官殿の胆力に期待する」
新人魔導士が時折、かっこいい…と呟くのも納得の颯爽とした去り際だ。
「後輩くん、時間がある時でいいんだ。野獣の腱の狙い方を教えてもらえないだろうか」
「はい。副隊長のしごきの後で中堅さんに気力が残っているなんてことがあるならば、ですが」
その可能性を全く期待していないあっさりした眼で後輩は続けた。
「そもそも中堅さんが妹さんに深手を負わせられなかったのは、不慣れだったからだけではないと思います。相手が半闇性野獣であろうとも、あなたが動物好きだからです。腱を教えるより…これは後にしましょう」
「失礼するよ。おはよう、君は今日も非常に可憐なお嬢さんだ」
入室しながら挨拶すると、ベッドからふふっと機嫌を直した笑い声がした。
「おはようございます、そしてありがとうございます」
「腫れの冷却と傷の治癒促進を仰せつかったんだ。後輩くんも一緒だから安心して欲しい。そばに行ってもいいかな」
「えー、髪ぐちゃぐちゃで顔むくんでるのに…」
「ここは後輩くんが僕に倣うところじゃないかな?」
「…あなたはいつでも可憐です」
「そばに来るの全力許可です! 熱が上がって傷が治りそう。え、遠い…顔見えない…」
「いいのか悪いのか…僕の顔はどうでもいいです」
赤い顔を片手で隠しながら可能な限り距離を取った部屋の隅で、後輩は休めの姿勢で立った。この光景を新米審査官は映像転送して欲しかっただろうと思う。
少し上体を起こして脚の患部を出す新人魔導士の顔は、後輩の顔より赤かった。目は潤んで充血し、目の下にはくまが出来ている。口調とは裏腹に疲労の色が濃く、動作が遅い。
後輩が嘆くように首を横に小さく振っている。
ベッドと背の間にたくさんのクッションを入れる。これで後輩の姿が見えるだろう。額と患部に氷袋をあてがう。時々氷袋を冷却することで冷たさを保てるはずだ。
「天国ですー」
「妹ちゃーん! 肉スムージーお届けだよ!」
「地獄来た」
「これ飲み干したら次はフィッシュパイスムージーを作っていいって、副隊長が言ってた」
「やった! もう用意しておいてもらっていいですよ!」
「その意気だよー!」
新人魔導士はたちまち笑顔になってガチムチ魔闘士を見送った。
肉スムージーなるものを初めて見た。傷と体力の早期回復と食欲不振に対応した魔闘士隊の定番飲料らしい。飲料なのだろうか。
片手に肉飲料のジョッキ、もう片方の手に解熱鎮痛剤の瓶を持ち、新人魔導士は後輩へ期待に満ちた視線を向けた。
「手拍子と掛け声をお願いします!」
はい? と唖然とした返事だ。
「妹さんはあれを嫌がっているように見えてましたが」
「それが慣れてくると、あれなしでは進まなくなってくるんです」
冗談なのか本当なのか、絶妙な加減が新人魔導士は上手だ。
「ええと…実は僕はなかなかに音痴なんです」
「歌じゃないんですよ? ただの手拍子と掛け声です」
「拍子を取るのさえ難しい音痴がいる、と音痴でない人には想像も出来ないものです」
後輩は冷や汗を流していそうな顔をしている。新人魔導士はしょんぼりと背を丸めた。
「フィッシュパイ…もうずっと食べてない…」
「先輩の言葉を借りれば、あれは毛穴の開かないフィッシュパイです」
「補給員の方が三日三晩担いで運んでくれたものを…」
「掛け声が上手なガチムチさんを呼んできますから」
「後輩くん、分かっていると思うがこういうことは引き延ばすほど苦しくなるものだ」
「いいんです、無理言ってごめんなさい。自分でやります」
「両手も口も塞がってるのにどうやって…ああもう、はい、飲んで回復飲んで筋肉!」
やけな感じではあるが赤い顔を逸らして、手拍子をして、後輩は掛け声を始める。廊下を通りかかった魔闘士隊員が目を丸くしている。
結局フィッシュパイスムージーは純粋に量が多すぎて半分を新人魔導士、半分を後輩が飲むことになった。後輩は彼女が飲み切るまでひたすら掛け声を続け、最後にはきちんと調子を取れていたようだ。
鎮痛剤が効いてきてうとうとし始めた彼女に向ける後輩の顔は精神的消耗が色濃いが、硬さは消えていた。
小声で労をねぎらう。
「よくやった、後輩くん」
「この兄妹は本当に強引で…」
「だから魅了されるんだろう?」
「あなたを離反させたのは僕なので、甘んじて受けます」
自分が審査部における東塔派の内通者だったと、北嶺探査基地に異動してきた時点で彼は察していただろう。精霊鑑別士によって死亡してもいい道具として術をかけられたことで、東塔派に報復される理由があると確信させた。
それでも彼を守るためには認めるわけにはいかない。
「僕は僕の意思で行動しているよ」
東塔派に隷属や暗示をかけられていたわけではない。けれど王都で安全に生きるためには指示に従うしかないと思っていた。
公平公正な審査官という定性調整がいつまで継続するのか、とっくに効果は切れているのか不明だが、いずれにしろ今自分が守るべきなのは東塔派ではなく王国であり基地であり同僚たちだ。
「今回の件でよく強制送還になりませんでしたね」
「彼女が審査部長に談判してくれたそうだ。僕の攻撃は仲間を守ろうという意志による完全な正当防衛で、僕は探査基地にも自分にも必要不可欠な人物だと。ありがたい話だが彼女の寛大さは懸念でもある」
「同感です」
「君が彼女をうまく手拍子で誘導してくれればいい」
後輩はがくりと頭を垂れた。
「僕はなかなかに音痴なんです。協奏願います」
「油断して同化潜行紋を飲まされた審査官だよ」
「彼女はあなたの言葉を大事にしていました。それは油断の有無よりはるかに重要だと思います」
「『君は非常に可憐だ』も協奏かな?」
「それは…独唱に向けて練習させてください」
「社交辞令なら魔性のように上手だった君はどこに行ったんだ」
「僕も行方を捜しているんです」
倣うよう促されて遠くから言うだけで赤面しているようでは、高らかに独唱する舞台は一体いつになるのかと思う。
北嶺に隔離されていた彼を彼女が訪ねた頃は、彼の言葉は社交辞令混じりの他人行儀にも聞こえた。社交辞令は想定問答に過ぎない。場面と相手に応じて適切な例を引いてくるだけだ。
けれどこの熱心な観客は耳が肥えつつある。音程が合っているだけの旋律では、もう寝袋ごと回転したりしないだろう。現在の方が音痴だろうが、心に残るに違いない。
彼からは見えない布団の陰で、彼女の口角は満足げに微笑んでいる。
「氷結紋を刻んだ蓄魔晶石を保水袋に着けておけば、独立して長時間持続する氷嚢になりますね。最適温度をどう保つか…水温測定の…いや省魔力には鐘でチン! と同様に」
仕事熱心な研究員の顔で、後輩は持続型保冷袋の作成を考え始めたようだ。彼が最適解を導き出すのをしばらく待ち、考えがまとまったあたりで声をかける。
「ところで後輩くん。僕が検査士に職務復帰の許可をもらうまで、堅物審査官が職務代行する。午後に到着するはずだ。眼鏡は新米くんのものだから君から映像と音声を転送してもらえないだろうか」
「お断りします」
やや憮然とした若者の顔で、彼は食い気味に拒否した。恐らく新米との間で個人的に何かあったのだろう。断られたというのに微笑ましい事態に思える。
こんな調子では、彼が形式的な言葉ばかりが上手な彼を連れ戻すのは難しいかもしれない。
--- 因縁の瓦解 番外編 完 ---




