68. 一歩外へ、前へ
後で話そうとハンドサインで示してくれた通り、魔闘士隊員たちは兄の話をたくさんしてくれた。ふとした仕事の合間に、食事の時間に、食後に歓談しながら。
兄が何者だったのか、そんな疑問が杞憂なのかは結局兄にしか分からない。けれど心から仲間を想っていないと出来ないような言動の数々に不安が薄らいでいく。
精霊鑑別士の身柄と隷従する主人についての調査は審査部に引き継がれることになった。中堅審査官の風刃弾で切られた髪は手先が器用な同僚に短くそろえ直してもらって、色々とさっぱりとした気分で夜を迎えた。
気分良く眠りについたつもりだったのに、明け方には悪夢に追われて目を覚ます。鎮痛剤が切れたようで、体のあちこちに残る切創と打撲の痛みが騒いでいる。
鎮痛剤を手に、水を探しに食堂へ向かう。凍えるような寒さの岩窟の廊下をのろのろと進んでいると、除染室に通じる扉の隙間から光が漏れているのが見えた。
二重扉を抜けて覗くと野外暖炉が温かな色で燃えていて、その前に置かれたデッキチェアに腰かけているのは後輩魔闘士だ。周囲には数冊の本や何らかの測定器具、布見本の束、試薬瓶の木箱まで色々と広げられている。
「不眠さん見つけた。睡魔の拾い寝は出来てますか」
振り返った後輩はさっと立ち上がり、暖炉のそばに肘掛椅子を置いてくれた。
「よく覚えて…痛そうですね、治癒促進をかけますか?」
「大丈夫です、水があればください。そしたらあとは『すぐに眠れる魔法の錠剤』で眠れるから」
「正しい使い方です」
「後輩さんも飲んで寝たら? 研究は明日にしますって言ってたのに」
「日付は変わってます。先輩と研究していた頃に比べれば良く寝ています」
爽やかに微笑まれるが、彼を酷使した兄の妹としては申し訳ない。
「薬が効くまでちょっとだけ、ここにいてもいいですか」
好きなだけどうぞ、少し話そうかと言いながら毛布をそっと巻いてくれる善き後輩の世話を受けてしまうと、兄が彼と一緒に過ごす時間が長かったのも分かる。
「後輩さんは聞かれたくない質問だろうけど…」
「いつでも何でも聞いてください」
濃い紺色の星空の下、暖炉の火の暖色に照らされて、彼は泰然と質問を待ち受けている。彼が顔を真っ赤にしそうな質問をしたい衝動に駆られるけれど、さっきからとても紳士的な相手を困らせてはいけないなと自制した。
「魔術名門一族は、本家が決めた結婚に逆らうと冷遇されるって聞きました」
「迫害と言っても過言ではありません。血統型の子を成すことで、彼らは高い魔能と名門の地位を守る必要があるんです」
「後輩さんは一度も承諾したことはないって言ってたけど、もし破談にされてなかったらどうするつもりだったんですか」
「先輩にしか言ったことのない話です。僕は国を出ようと思っていました」
悠然としたまま、さらりとした口調で答える内容ではない。近隣諸国と商業的な繋がりはあっても文化的な差異と地形による隔たりが大きく、人の移住は互いに多くはない。
特に魔術師は王国を出ない傾向が強い。精霊は魔術師との関係が確立している王国に集中していて、他国では魔術師の技能は格段に達成率が低くなる。王国内のような手厚い待遇は受けられない。
「他国に伝手があるわけでもなく、とにかく出ようと。魔能が役に立たなくても日常生活では特に困りませんし、手先が器用だったので何らかの職に就けるだろうと思っていました」
以前の自分の無計画さにさすがに苦笑しているようだ。
「今だから言えますが、東塔にちょっとやり返してから逃げてやろうかなと…決めていたわけじゃないんですが、表向きは東塔の防衛評価をしながら弱点を探しました」
「後輩さんが時々物騒な気がするのは間違いじゃなかったんですね」
「そうですか? 反抗期の魔術師なんてみんな似たようなものです」
魔術名門一族の闇を見た気がする。
「そんな時に先輩が学会で話しかけてくれたんです。魔獣を焼き裂くアイディアがあるから一緒にやるぞって言われて楽しそうで、気が変わりました」
「一緒にやらないかとか、一緒にやろうじゃなくて、やるぞって言ったんですか」
はは、と屈託ない笑顔に闇の気配はない。
「当時は面食らいました。僕は一族の者として東塔派内では丁寧に扱われてたので。先輩らしいよね。もうその場で話を進めだすんです」
南部では竜巻が発生して火事を起こし、炎を吸い上げて火炎竜巻になり、大きな被害を出すことがある。それを魔術で再現できないか。
南部育ちでない人間は目にしない自然現象で、もちろん魔獣も知らないから有効な攻撃手段になるだろう、と。
「壁を殴って去るのではなく、崩す道を先輩が見せてくれた。研究して開発して発明して、すごく面倒で九割を空振りさせられるけど、一個ずつ壁の石をつかんで穴を広げて」
遠い眼は兄との日々を回想しているようだ。
「先輩はそんな僕の横を、壁を打ち崩して先に行ってしまったけれど…僕が崩した穴の先で待っててもらいます。昨日は少し焦ってしまいました。中堅さんの言う通りです。完璧じゃなくていい、仲間もいる、回復して翌日また崩せばいい」
彼の視線が戻って来る。
「話が逸れました。先輩に誘われて魔闘士になった後、魔獣を討伐するまでは他のことは考えられないと言って結婚を先延ばしして、討伐できたら国を出るつもりでした。ただ困ったことに」
闇堕ちしてしまって、と続けるつもりかと思った。
「二年も経つ頃には毎日が充実してて…国を出て会えなくなるのは嫌だなと思う人たちが増えすぎていました」
魔闘士隊は快活で率直な良い人ばかりだ。離れがたいのが分かる。
「結果的に闇堕ちは結婚を破談にし、一族の圧力と干渉を弱らせ、僕をやりがいのある北嶺での仕事に復帰させてくれた。良い側面もあったんです」
「闇堕ちしましたって最初に言った時の後輩さん、何だかあっさりしてたのは良い側面もあったからですか」
「頑健さんほど絶望はしてませんでした。あの人は、彼がした闇性魔力の魔導量に比べて汚染の質が悪かったので気になったんです」
半闇性野獣駆除の際に頑健魔闘士が闇堕ちしかけた修羅場でも、状態をしっかり観察していたらしい。
「精神状態が有害性の強弱に影響していると実感する時があって、昨日は特にそうでした。これも研究した方がよさそうだな。逆手に取れば魔闘士隊員の闇堕ち防止に繋がるかもしれない」
書き留める手帳には研究アイディアのリストが連なっている。善き魔闘士隊員は優先順位の高さを強調するように、書いたばかりの文字列をぐるりと丸で囲った。
「兄の最大の功績は後輩さんに、やるぞと声をかけたことですね。ほめてあげなくちゃ」
「反抗期の未熟で生意気だった僕を、精霊なしで定性調整してくれた。いや、精霊を手に入れてからは手っ取り早く精霊で調整されてたかもしれないけど。塔から一歩出るだけで世界は変わるってことを教えてくれた。いい人たちの仲間になれる人間にしてくれた」
「ちょっと訂正します」
「はい」
「兄の功績は、そんな後輩さんをこの国に留めてくれたこと」
彼は照れたように少し笑って目を伏せ、手帳を閉じて脇に置いた。彼の膝の上に組まれた両手が緊張を反映するように握られて、開いて、をしばらく繰り返すのを楽しく眺める。
実はね、と少しくだけた彼の口調が嬉しい。
「ハグしたい時、代わりに出来ることがないか考えてる」
「わたしもです」
「うん」
「支配的直下降気流と、西坑口外で溶かされてて話題になってた指輪を見て思ったんですけど」
彼は何だか嘆くように額に手をやる。
「あの暴力的な風と融解した指輪と、ハグの何が繋がるのか想像できない」
「精霊の風圧と温熱でうまくハグ感とかキス感とか演出できませんか。それを遠隔会話つきのペアリングとセットにしたら、王都で売れそうな気がしませんか!」
「売る…」
「家族や恋人や夫婦が離れてる時にさびしくなったらすぐに指輪でお話しして、疑似ハグと疑似キス出来たら嬉しいと思いませんか!」
「それはそう…だね…売るんだ?」
「後輩さん、発明を形にするの得意ですよね」
「自他ともに認めるところです。ただ僕は魔獣を焼き裂くのは得意でも、繊細な調整には鍛錬がいりそうです」
「試作のお手伝いします。ハグ感とかキス感とか」
彼は即座に首を横に振った。
「だめです。そのまま使ったら王都中の人が、あなたのハグとキスを体感することになる」
「えー。じゃあ、カスタマイズできるようにするのは? 癖とか強さや情熱度を変えられるように」
二、三年の間、兄の酷使による身体的多忙と同じくらい、彼の心はきっととても忙しかった。彼の気持ちが分かりにくいのは慎み深さ以上に、急激な変化を丁寧に受け止めているからかもしれない。
それでも願い出れば少し遅れても、ちゃんと真摯な答を返してくれる。突然に横からさらわれないうちに一歩進み出て願い出ておこう、と思う。
「前段階として有害性測定の研究を急ぎます」
「わたしが兄の薬を盛りたくなる前に、ちゃんと睡眠は取ってください。それなら試しハグ歓迎ですよ」
「試さないハグは?」
「もっと歓迎」
「じゃあ怪我が良くなったら」
ぱちぱちとローブを鳴らしながら、指先同士を繋いだ。
----- 因縁の瓦解 編 完 -----




