66. 弱気にねだる
後輩魔闘士はいつものように背筋を保ち、落ち着いた静かな足取りで除染室に入ってきた。
それでも同僚たちは違和感を嗅ぎ取って、後輩を観察し始める。北嶺探査基地は魔力識別嗅覚に鋭い者たちが集められている。彼の周囲には強く濃いというより、尖ったような質の闇性魔力が漂うことに気付いている。
「すみません。少し…被ばくしたようです。下がっていてください」
通常の被ばくでこの尖ったような雰囲気になるだろうか。
彼はローブを脱ぎ捨てたけれど、他は着衣のまま頭から除染液をかぶっている。平静を装いながらも切迫を隠せない様子に、魔闘士隊員たちが一斉に詰め寄った。
「何が下がってろだ。俺たちがやった方が早いだろコラ」
「ちょうどここに味覚麻痺剤が。霊木茶飲み放題だ」
「自分で出来ます。離れ…」
「俺のタックルも浴びろってんだ」
迅速に手荒に除染処理を進める一団を見ながら、ローブの上から固有魔力用の蓄魔晶石を確かめた。定性調整の精霊運用を相談すべき中堅審査官は精神操作術の検出が続けられていて職務を離れている。違反でも自分の判断でやるしかない。
副隊長が険しい顔で雪を踏みしめ歩いてきた。
「妹、おまえは怪我人だ。治癒促進術は怪我を回復させるが、裏では体力を削っている。いま後輩に調整をかけるのは明確に適切ではない」
「はい」
「だが、おまえはやる気だ」
言い当てられて思わず笑ってしまった。
「はい」
「審査官には、私が現場の判断でおまえに要請したと言っておく。私に精霊使用許可権限を与えないあいつらが間抜けなんだ。ただし、」
副隊長は顔の前に人差し指を立て、強い口調で言った。
「見極めろ。おまえの体力と魔導力を正確に見極めて、可能な範囲でやれ。我らが魔導士はそうでないといけない」
はい、としっかり返事をしてから闇堕ち魔闘士のところへ向かう。座り込んでいる彼はガチムチ魔闘士によって何重にも毛布で巻かれている。
「はーい縛っておいたよ、妹ちゃん」
定性調整の精霊については魔闘士隊では隊長と副隊長しか知らない。けれど魔闘士隊の間ではすでに公然の秘密になっているようだ。
闇堕ち魔闘士の闇性度が急激に改善したり、毎日の測定で魔闘士隊員の闇性耐性が急に上がっていたり、そんな時に同時に通常ならあり得ない量の新人魔導士の固有魔力が動くのを見たら推測出来てしまうだろう。
そして後輩魔闘士の闇性度が高いと、そろそろ来るなと察してくれるようだ。
「ありがとうございます。スリーパーホールドの練習にぴったりな素材にしてもらって」
「えっ? やめてください。あなたは怪我人なんですよ!」
「まさかその怪我人に支配的なんとかとか旋風とか、しませんよね? ほら、タックルしちゃえばもう出来ないー」
「妹ちゃん、それタックルじゃなくてバックハグ」
ローブの闇性魔力反射機能が激しく反応する。魔闘士隊員たちがさりげなく距離を取ってくれた。
「定性調整しますね。よし、相談しました」
「違います通告、ただの通告ですから。あなたが怪我から回復したら相談して、相談の定義から確認する必要があるね」
「これいい。会話がバチバチ音にあまり邪魔されない」
顔がとても近いから、ローブの反射機能がうるさくても話しやすい。険しい表情の迫力を増加させるという欠点もあるけれど。
「妹さん。定性調整はハグしなくても遠隔会話でも可能なんです」
「忘れてました。そして今また忘れました。つまりわざと忘れてます」
「本当に怒る前に離れて」
「じゃあさっさと済ませましょう。わたしの後輩さん、」
「えっ」
「今日のあなたは闇性魔力の有害性に侵されない、そういう人です」
ゆっくりしっかり見極めながら魔導した。魔力がいつもより重く感じられる。体力が落ちているからかもしれない。
それでも視界は保たれたままだ。足先もちゃんと動く。そしてローブのバチバチ音も、尖った雰囲気の半闇性魔力も大幅に減少しているのが感じ取れる。
除染液のしたたる彼の髪へ、北嶺の寒風に冷えてしまっている耳へ、背後から抱きしめながらぐりぐりと頬を押し付けてやった。赤くなって温まってしまえばいい。
彼は腕の中でうつむいたまましばらく黙っていた。そして呟く。
「相談してって、不安だって言ったよね」
「やり方じゃなくて魔導の限界をわきまえることが大事って聞きました。上手に出来たのに」
「こんな強引なやり方を続けていたら…」
何を想像したのか、彼の首筋がぞわりと震える。
「あなたまで腕の中で消えてしまったら、そんな精神的被ばくを受けたら僕はもう生物学的にも…」
「今日の後輩さんは弱気ですね」
体調が悪いのかもしれない。毛布の上から肩のあたりをさする。
「わたしが不安にさせてるんですよね、ごめんなさい。でもね、中堅さんが言ってくれたんです。『完璧じゃなくていい。倒れずに回復して、明日またやればいい。仲間たちがいる。一番効果のある君が一番上手に調整するんだ』」
彼は小さく何度かうなずいた。
「魔導超過せずに定性調整した、この実績を着実に積み上げますよ! 相談だ不安だって言わせなくします」
「相談だ、は言います」
「くやしい、弱気でも聞き逃さない…」
「そうですね。僕も今日は休んで、研究はまた明日からやります」
朝礼直後にナーサリー懲罰走二十周して、攻撃する中堅を鎮圧し、怪我した妹を救出して、精霊鑑別士の上級攻撃術を三回連続強制終了後に鎮圧、中堅の精神操作術の解除を試験後に成功させ、まだ研究をする気でいたらしい。
「働きすぎです。『すぐに眠れる魔法の白い薬』とスリーパーホールド、どっちがいいですか」
「不意打ちじゃない方法は選べないんですか?」
「不意打ち企画を考えるの楽しいんです。あと百年くらいは楽しみたいから、消えるつもりはないです」
はは、と肩を揺らして、やっと彼は笑った。
「…それで、妹さん」
彼が頭を反らして重さを預けてきた。後ろから抱き支えていないと転びそうな無防備な感じが嬉しい。
「引継ぎのことなんだけど」
すぐ耳元でささやくような彼の声がする。
「するなら僕が…僕の…、」
「引継ぎって?」
だいぶ長い間、呼吸にして二十回分くらい、彼は黙っていた。
「そうだった。引継ぎなんて、妹さんにそんな計画性があるわけない」
「なんかひどい納得の仕方してる」
「眼鏡はどこですか」
「連絡したいんですか」
「溶かしたいんです」
魔術具は高価らしいし、審査部のものだし、絶対にいけないと思う。
後輩魔闘士をデッキチェアに座らせローブをはおらせた。魔闘士隊員たちによる豪快な除染で吹き飛んで落ちていた眼鏡を拾って、溶かされないようローブにしまう。どうして溶かしたいんだろう、と不思議に思いながら。
「調整は済んだか、よし。おまえたちにはまだ大事な仕事がある」
副隊長がきびきびと指示して、現れたのがガチムチ魔闘士である時点で察した。
「妹、足りていないぞ。いい加減飲み干さないと、肉スムージー内臓骨髄増しじゃなく内臓骨髄だけのスムージーにするぞ。後輩、おまえはこれだ」
どーん、と置かれた杯を満たす粘性の高いスムージーからは懐かしい匂いがした。
「食料庫の奥に押し込められていた食料があってな。日付からすると研究所時代のおまえの在庫だ。もったいないから再利用してやった」
「フィッシュパイスムージーだ! いいないいな」
「後で食べるつもりが後で飲むことになるとは…」
「交換したいです」
「内臓骨髄スムージーに血液ソースを足してやろうか」




