65. 灼熱のお怒り
新米審査官の眼には、暗示を施されなくても精霊鑑別士が野獣に見えた。眼鏡型の魔術具は囚人の惨めな様子を転送してくる。
所持品没収の旋風でぼろぼろに破れたローブ、乱れ切った髪。聴覚を自由にする代わりに舌に味覚麻痺剤を塗られ、屈辱か憤激かに歪む唇の端から獣のように荒い息と唾液が漏れ続けている。
手首の拘束具を檻に打ち付けているが壊れるはずもない。それでも腹いせのように破壊を試み続ける姿からは、朝礼に現れた時の洗練された王国魔術師の佇まいは消え失せていた。
監視と尋問にあたっていたらしい魔闘士隊員二人が肩をすくめて空振りを伝える。
『隷従の発動下じゃ下着の色さえ答えないぜ』
『履いているかさえどうでもいいです』
その声で精霊鑑別士は後輩魔闘士に気付き、拘束具の破壊を中断した。騒がしい仮面で視界を奪われている精霊鑑別士は、どこでもない中空を仰いで吠える。
『闇堕ちめ。恥さらしが、やっと役に立つかと思えば。一族の面汚し。いっそ死んでおけば英雄扱いだったのに、生き汚い男』
魔術でなくても、冷酷無惨な言葉そのものが呪詛のようにおぞましかった。
魔闘士隊員が忌々し気に顔を歪めるが、当の闇がち魔闘士には想定内のようだ。魔術師名門一家の挨拶にしては稚拙ですね、と酷評している。
『優秀な魔導士や魔闘士がいる。強力な隷従を強制終了するだけの魔力を集めることは出来る。けれど本人が望まなければ必要量は跳ね上がり、不足して強制終了は失敗するだろう』
『誰が望むものか。わたしたちはもう王国を支配している。おまえたちはすでにひざまずいて服従を捧げる側だ』
『捧げさせる力がないから隷従紋を使おうとしたくせに』
『あの娘。使える。あの娘で除染しながら闇堕ちに死骸を浄化させればいい』
美味なる権力の味に舌なめずりするような口調だ。
『何人も、何十人でも闇堕ちさせて働かせてやる。無能な王より民衆はわたしたちを支持し服従する。闇性魔力から美しい王国を取り戻した、わたしたちに』
『彼女は除染研究員じゃない』
『わたしたちに隠し事など出来ない。除染の精霊がいるだろう』
後輩魔闘士は質問をしていない。隷従によって命令や質問に答えない相手を挑発と蔑みで焚きつけて情報を引き出している。プライドの高い名門一族相手に有効な手段だと知っているようだ。
『そいつが使えれば…専属精霊でなければこんな面倒を踏まずに、わたしがやるのに。除染の精霊が使えればこんなことには!』
精霊鑑別士は定性調整の精霊が妹の専属精霊であることは知っているが、能力を除染だと誤解しているように聞こえる。闇性魔力の発生源が北嶺そのものではなく魔獣の死骸だと思っている様子もある。
彼らの情報収集は精度が低いのかもしれない。
『その印章指輪の話だけど』
『除染の娘を隷従させる、そうしたらおまえはわたしの物』
『返さなくてもいい。それは僕の物だから、どうしたっていいんだ』
話している途中から周囲の景色が変化していく。雪原が沈み、檻が傾き、岩土が見え始める。
『暑っ…、熱い!』
『さすがに難しいな。小さな指輪に熱を集めるのは』
『やめなさい、熱いじゃないの』
『僕の指輪を僕が溶かしても何の問題もない』
官給品を故意に損壊したら問題だろうと思うが、新米に止める気はない。
『僕がどれだけ腹立たしかったか、あの時の胸中はこんなものじゃない』
『熱い、いるか! こんなもの』
精霊鑑別士は後輩の印章指輪を指から抜き取り、拘束された可動範囲の最大限の乱暴さで投げ捨てた。岩の上に跳ねて落ちた指輪は赤熱し始め、やがて形を融かした。
すげ、と見ていた魔闘士隊員が呟く。
『闇堕ちごときが…、人かのように振る舞うな。穢れた魔獣の分際で。精霊が現れなければ穢れをまき散らすしか能のない役立たずを拾ってやろうと、』
また周囲の景色が劇的に変わった。高熱に溶けた雪で水浸しだった地面から水たまりが持ち上がり、渦を巻いて球体にまとまると精霊鑑別士にぶつかって行った。
泥水の大玉に直撃された精霊鑑別士は派手に転倒し、咳き込んでいる。
『あれー。後輩、俺は指輪を消火しようとしたんだよ。狙いが外れちゃったよ。水の精霊は苦手でさ』
『ありがとうございます』
後輩は水一滴かぶらず全く消火されていない指輪に石を乗せ、さらに上から踏みにじって破壊している。徹底的にいらないらしい。
『黒だったな、下着』
『どうでもいいです』
『医務室で手当てされてる妹さんの下着、見えたんだけどさ。何色だったと思う』
『蒸発したいですか』
音楽や酒に加えて妹に扇情的な下着を贈るなら黒以外にしよう、と新米審査官は思った。
『なんとなくやり方分かったよ。ありがとうな後輩、少し休んどけ。顔色悪いぞ。さーて下着が黒のねーちゃん、続きをやろうか』
お願いします、と言って後輩は素直にその場を離れた。
除染室に戻ると思われたが、様子がおかしい。眼鏡が伝える映像の揺れは通常より大きく、廊下で立ち止まったりしている。瞬間的な映像の中断が二、三度あって、さすがに声をかけた。
「後輩さん、具合が悪いんですか」
『失礼しました』
声に力がない。
闇堕ちしかけた頑健魔闘士が泣きわめいて嫌がろうが、気にしなかった後輩だ。闇堕ちへの精霊鑑別士の罵倒など響いていないに違いない。
先輩の妹を傷つけた精霊鑑別士を前にして怒りが煮えたぎった、その反動を受けているのかもしれない。
精霊鑑別士の鎮圧と妹の治癒促進に先輩の精霊を使った彼は、自家汚染による闇性度が上がっているはずだ。体内の闇性魔力の有害性も高まっているだろう。
「除染室へ。心身を休めてください」
『彼らなら実現させかねない。除染の精度を高めないと。有害性を抽出して…、霊木の成分を長時間留める工夫を…茶が有効な理由は』
「基幹除染室の研究員が研究していますから任せましょう。後輩さん、そちらは研究室です。除染室へ行ってください」
眼鏡は少し乱れた息と、壁に手をついている様子を伝えてくる。
「何十人も闇堕ちさせるのは可能でも、現時点では除染力が浄化能力を超えません。彼らの王国乗っ取り計画は成功しません」
『闇堕ちが増えたって除染施設に隔離しておけばいい。けど妹さんがそれを知ったら』
闇堕ちを防ぎ、闇堕ちした者の魔力から有害性を除く調整を可能な限りやろうとしてしまうだろう。
『動物たちは霊木林で何をしているんだろう…霊木浴なのか、他にも何か…』
「後輩さん! あなたが霊木浴してください!」
『僕が有害性も除染も研究するから、彼女を基地から解放してください。闇性魔力なんかじゃなく、それこそ本来の、王の反対勢力の説得とか王の健康状態の調整でもいい。安全で未来のある…』
「後輩さん、自分は中堅さんよりゲスなので。中堅さんが言わないでいる低俗なこと、そうですね、妄想をしゃべってると思って聞いてもらっていいです。妹さんは定性調整の精霊の引継ぎをすでに考えています」
『どういうことですか』
ややあって困惑した返事をした後輩魔闘士に話して聞かせる。
彼女は兄が彼女にしたように、自分の身に何か起きた時に定性調整の精霊を引き継げる人物を用意するつもりでいる。
それは血縁が望ましい。血縁は最初から固有魔力が似ているため定性調整の幅が少なく、比較的短期間で同質化できるからだ。
だから彼女は早期に子を持つつもりでいる。
後輩が彼女の解放を望んで北嶺探査基地から退けたとしても、意志の強い彼女のことだ。その計画を諦めないだろう。魔術名門一家が闇堕ちを増産しようというなら、なおさらだ。
「あなたは彼女が愛してもいない男と寝て作った子供に調整されながら生きながらえる事が出来るんですか。彼女が人生を重ねたい、ハグしたいとおおらかに願い出るからといって、あの笑顔の裏で覚悟と勇気を振り絞っていないとでも思うんですか」
転送映像の視点がずるずると下がる。へたり込んでいるらしい。
「彼女の子供が父親に似てきて、それでも何も知らないその子は笑顔で、善意であなたに調整をかけてくれるんです。母親譲りの寛大さで。あなたはその度に彼女を遠ざけた今日を思い出す。これが本当に最善だったのかと」
『それは闇が深いですね』
脚の間に頭をうなだれて、後輩魔闘士は呟く。
『僕は生きられますよ。生物学上は』
その声は聞き取りにくいほど小さい。
『ただ分かりつつあるのは…経験からすると、精神状態が悪いと有害性の影響が大きくなる感覚があります。悪循環だ』
確かに彼の様子は精霊鑑別士と話してから急速に悪化したように見えた。先輩の妹といる時は闇性値が高くても、有害性の悪影響は抑えられて安定している様子の時が多い。
『ひとまず循環を切ります』
彼はゆっくりと立ち上がり、向かったのは除染室のようだ。
良かった、と新米審査官は安堵して椅子に背を預ける。中堅と話を交わした意味があった。中堅から学んだことを生かせた。王の耳たる者、こうでなくてはいけない。
責められるいわれはない。妄想をしゃべってると思って聞いてくれ、とちゃんと最初に言ってある。そう、精霊の引継ぎなど思春期みたいな空想で、全て嘘だ。




