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善き闇がち魔闘士が、  作者: シトラチネ
因縁の瓦解 編
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64. 虫を踊らせる

 新米審査官はすでに、やられたなどと言う気力もなかった。後輩魔闘士の不可視の手に首根っこをつかまれている。先輩魔闘士の妹を便利に使おうなどと企んだ自分の未熟さを悔いるだけだ。

『説明をお願いします』

 聞いていましたかとか、ご存じですかという確認さえもすっ飛ばして、後輩は眼鏡越しに虫入りの瓶を見せてくる。盗聴虫を使う王の諜報員なら他の虫の使い方も知っているだろうと推測したんだろうし、実際にその通りだ。

「同調虫です。二匹一組で、一匹にもう一匹が追随して全く同じ動きをします。例えば大きい方を星形に歩かせれば、小さい方は同じ形の小さい星形で歩きます」

『紋の形に歩かせれば、もう片方は縮小した紋の形に歩く。けれど歩くだけでは…先輩の薬の紋はごく浅く彫られていて、塗料を流し込んであった。この虫は歩く以外も同調しますか。例えば…餌をかじり取るとか』

「すると思います。餌は樹液です。何らかの蜜、と医師が言っていた瓶がそうかもしれません」

『樹液で可食シートに紋を描き、大きい方の虫に食べさせる。同時に小さい方を未加工の錠剤に乗せておけば、小さいサイズで紋の形に錠剤をかじって、彫る』

 言いながら後輩の手はすでに薬品庫から運び出された瓶の中から蜜状の物を選り分け、未加工の錠剤の缶を探り出している。

「試す価値がありそうです」

『相似比は虫の大きさと同じですか』

 その手はすでに虫の体長を測っている。

「その通りです」

『錠剤がかじられて出来た溝に濃度の高い塗料を刷り込み、濃度の低い塗料で上塗りすれば同化潜行紋になりそうです。ありがとうございます』

 言い終わる前から後輩は虫を使った試し彫りに取りかかっていた。

 中堅審査官から後輩魔闘士と先輩魔闘士の初対面の話を聞いて、意外に思ったのを覚えている。先輩があの時の後輩の研究テーマである東塔の防衛評価なんかに興味を持って聞きに行くだろうか、と。

 きっと先輩は優秀な研究者を探していた。志を同じくして、自分の発想を慎重に正確に研究し、自分の発明を確実に上手に形にしてくれる真面目で器用な仲間を、学会を通じて見つけ出そうとしていたのだ。

 それが東塔派に反抗心を抱きつつくすぶっていた後輩だった。

 二人の初対面は三年前、先輩が定性調整の精霊を手に入れたのが一年前だ。

 先輩は、後輩が自分を慕うように定性調整をかけただろうか。優秀な研究者であるように、優秀な魔闘士であるように、妹を守るように。かけたとしたら効果はいつまで続くのだろうか。

 効果が切れたら後輩はどうするだろうか。

 先輩の妹に文言を指定して、彼が王に忠実で優秀な研究者であるように定性調整をかけ続けさせようか。

 やめよう、と思う。それが後輩に露見したら信用は二度と回復しないマイナスの底に張り付いてしまう。中堅審査官式に寄り添うしかなさそうだ。

 眼鏡からの転送映像では、医師が中堅の様子を報告に来ていた。

『副隊長、中堅審査官の鎮静薬の効果が切れそうです。数分で目が覚めるかと』

『後輩、あと何分で用意できる? 中堅に感覚障害を負わせたくない』

 精神操作による自傷をさせずに同化潜行紋を試すには、騒がしい仮面で魔術拘束をかけておく必要がある。ローブの内側に攻撃術の紋が描いてあるかは中堅しか知らないからだ。

 感覚器官への過負荷は弱い者なら三十分もあれば回復不能な感覚障害を負い、長引けば精神を壊す場合もある。意識を取り戻したら即座に短期決戦で、中堅にかけられた術を検知し解除しなければいけない。

 同調虫が錠剤に紋を彫る時間を計測していた後輩が、重ねがけを試す術のリストに目を走らせた。

『十五分ください』

『もう一瓶飲ませるには短いな。よし妹、スリーパーホールドの実践の時間だ』

『はい、副隊長!』

『待ってください妹さん、審査官を攻撃したと解釈されかねない。正当防衛のために締め技を習ったのでは?』

『後輩、おまえをバックハグするためだろう』

『違います』

『否定されるのもがっかりするな…』

『その…ある人に託されたものがあって、締め技してる間に仕掛けられないかなって』

『把握しました』

 温度の低い声がする。締め技の習得は盗聴虫を精霊鑑別士に仕掛けるためだったようだ。この件で自分の信用か好感度かが下がるのは流れ弾だと言いたいところだ。

 とにかく防音のドアを早く手配して献上しよう。広いベッドはやりすぎだろうか。雰囲気のいい音楽の入った記録石と再生用魔術具でも添えようか。王都で女性に人気の酒もいいかもしれない、と新米は考えを巡らせた。

 その後、中堅審査官が意識を回復して術の検知が行われた。リストの最初から五つのうち二つが術の重ねがけに失敗することで施術を確認され、強制終了された。

 一つは深暗示で、先輩魔闘士の妹を半闇性野獣だと誤認させたようだ。もう一つは混乱で、深暗示の効果を高める補助的な役割を果たしたらしい。

 他にもまだ施術された精神操作術が残っているかもしれないが、この二つを強制終了したことで中堅は自我を取り戻した。

 攻撃性がなくなったため騒がしい仮面による拘束を解いて事情を説明し、ローブを脱がせることが出来る。同化潜行紋を使わなくても通常の方法で時間をかけ、残された操作術がないかを確認できるようになった。

 中堅はアームガードとローブなしでは攻撃術の紋を持たず精神操作術を防ぐことも出来ないため、危険性なしとして監禁房から解放された。魔闘士隊員が監視につくが、攻撃に至った経緯が周知されたため誰もが同情的だ。

 騒がしい仮面による感覚器官への過負荷から回復するのにしばらくかかりそうだが、術の強制終了が速かったため負担は最小限だったはずだ。

 中堅への残りの対応を魔闘士隊と医師に任せ、後輩魔闘士は西坑口へ向かっている。眼鏡の転送映像を見つめながら新米審査官は集中した。西坑口外の雪原には檻に拘束された精霊鑑別士がいる。

 後輩は何を話し何をする気なのか。先輩の妹を傷つけ、隷従させようと企み、中堅を襲撃犯に仕立ててあわよくば魔闘士隊員に始末させようとした狡猾な相手に。

 場合によっては映像の記録機能を切らなければならないな、と新米は思った。

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