61. 耳と競る
映像と音声を転送してくる眼鏡越しに、魔闘士副隊長、後輩魔闘士、先輩魔闘士の妹が話し合いを続けている。
再生水盤を立ったまま凝視していた新米審査官は、ようやくゆっくりと椅子に腰を下ろした。
判明した。妹に託した盗聴用の魔法虫を仕掛けるまでもなく、精霊鑑別士の裏で糸を引いている黒幕が。王の耳たちは隣国からの干渉を予想してはいたが、容疑者を絞り込めていなかった。
結果的に成果を得たはずなのに、圧倒的な敗北を味わっている。
自分は魔闘士隊を、そして先輩の妹を過小評価していた。自分の駒として使える人物リストに並べていただけだった。寄り添うなどと言いながら、恩を売ってやるくらいのつもりだったかもしれない。
そして今は審査部という仮の身分上の同僚、中堅審査官を精神操作から救ってやる方法を思いつくことさえ出来ずにいる。
机に座ったまま調べられることなど実に少ない。中堅のように学会に足を運んで知識を蓄えていたら違ったかもしれない。フィッシュパイを実際に食べに行かなかったら、特許局の横領犯を追い詰めるにも決め手に欠けたかもしれない。
盤上の駒と思っていた人々は、自分の想像を超えた手段で鮮やかに盤の外へ、盤の先へと跳躍していく。同化潜行紋の知識、強制終了、映像記憶。
これでは自分は東塔派と変わらないなと苦々しく思う。
『我々が権益確保に明け暮れているあいだに、後進に希望を繋いで特攻した古株魔闘士に、我々の駒として討ち死にしてくれたと思っていた魔闘士に、我々がうまく隔離したつもりでいた魔闘士に、我々は討たれたんですよ』
東塔派の再審査が終わるまでは中堅を生かすだなんて、高慢な物言いをした自分を恥じる。
中堅を助けなければ。審査官としても王の耳としても新米な自分に、多様な視点と知識を分けてくれる中堅を。
『妹ちゃーん! 無事で良かった!』
映像再生水盤上では魔闘士隊員の一人が妹に声をかけている。この若いガチムチ魔闘士は、かつての同僚である先輩魔闘士の妹と親しく接している。
『肉スムージーを精霊鑑別士にぶちまけてやったんだって?』
『やってません』
『お代わり作るね! 顔色悪いから内臓骨髄増っし増しにしとく!』
『ありがとう。でも増さないで』
『任せといて。旋風の精霊で超細かく挽いてあげるから』
『舌触りの問題じゃないです。味見、まず味見させて』
その様子をやや空いた距離で見ていた後輩が、ふと呟いた。
『味見。味見のアルゴリズムを片っ端から同化潜行させれば、中堅さんにどの精神操作が使われたか検出できるかもしれない。同一の精神操作を重ねがけすることは出来ないから』
「先輩さんの精霊の能力を鑑別する時に使ったアルゴリズムですね。なるほど、例えば誰かに隷属しているのに別の誰かにも隷属するような、利益の衝突や相反が発生してしまうから、同時に同一の精神操作は不可能だと」
『そうです。ごく軽度のごく短期間で設定した精神操作術を味見のようにかけてみて、かからなければすでにその術を施されているということです。検知できれば強制終了もできるかもしれません』
「ですが、精神操作術は組み合わせられることが多いと言っていましたよね。激高と暗示のように」
『状態、対象、期限を指定するためです。例えば激高させた者に、暗示による明示で指定した対象を会わせれば、計時で指定した時間の争いが起きるでしょう。ですが強制終了に最低限必要なのは激高だけです』
「激高と闘争など複数の術を組み合わせた複雑な紋が使われていたら、どう再現するのですか」
『例えば三つの術を組み合わせた紋を発動に使っていても、一つずつ強制終了できます。魔術師が終了を交渉するのは個別の精霊であって紋自体ではないので。理論的にはいけそうですが大きな問題があります。塗料がありません』
「紋を同化潜行させるための特殊塗料ですね。同化潜行は魔術省が禁止しているから、仮にそれを持っていても魔術師は容易には明かさない…」
『魔術省にサンプルがあるでしょう。紋の検出を何度も試せる量が必要です』
「魔術省に同化潜行紋の使用許可と塗料の緊急供出を依頼します。精霊鑑別士の勤務先と自宅の捜索令状を出します」
『あまり待てません。騒がしい仮面での魔術拘束は、感覚器官に過負荷をかけ続けるものです。長くても数時間で回復不能な感覚障害を負います』
だからこそ騒がしい仮面は自白を引き出すために有効だ。けれど中堅の場合は精神操作での強制的な自害を防ぐための措置だ。心身を壊してしまうわけにはいかない。
「薬で眠らせ続けて精神操作の有効期限が過ぎるのを待つというのは?」
『出来ません。意識のない状態では有効期限の計時は一時停止します』
「全く…精神操作術というのは忌々しいほど上手く出来ているものですね。一生ローブを脱がずに防御しようとする魔術師がいるのも納得です」
こぶしで机を叩く。
精霊鑑別士の勤務先と自宅の捜索には時間がかかるだろう。書類の処理と、踏み込まれる東塔派の抵抗も予想される。仮に塗料を押収できても量が足りるだろうか。
それでも、とにかくやるしかない。どの申請書類が適切なのかも分からず自分の未熟さに歯噛みした時、後輩の抑えた音声が届いた。
『…僕には解決の心当たりがありそうです』
「どういうことですか!」
『中堅さんのため、瑕疵なき基地運営のために、あなたがどれほど尽力する覚悟があるのか、違反を最小限にする手配が可能なのかによります。率直に言いますが僕はあなたを信用していません』
無理もない。後輩にとっては妹が害されるのを予想できた立場なのに防げなかった、無能な新米審査官にすぎない。信用がないどころか、覚悟しろとまで言わせた劇的なマイナスから始まっている。
さらに妹に密かに精霊鑑別士への盗聴器材の仕込みを頼んだのを知られたら、それが隣国で発達した魔法虫だと知られたら、もう信用を得ることは完全に不可能だろう。
「後輩さん。今から記録機能を切って、自分の命に関わることをお伝えします。それを自分の覚悟とみなしてもらえませんか」
『聞きます』
「自分は王の耳、王直属の諜報機関職員です。審査部へは東塔派の内通者摘発のために潜入していました。妹さんに精霊鑑別士の監視を頼んだのは、盗聴虫を仕掛けて王への反目者を追跡するためでした」
『除染室で副隊長が見つけた虫は?』
「不明です。自分ではありません」
王の耳は忠誠の証に隷従を強制しない。精霊鑑別士は命令に応えないことで隷従の疑惑を確かにされてしまった。そうした不自然さが出ないからだ。だからこうして正体を明かすことも出来る。
「後輩さんにこれを明かすのは王国のため。自分の告白以外から事実を知った後輩さんが王への不信を抱く事態を何よりも回避すべきと判断するからです。たとえこの告白で自分が消されるとしても、です」
『証明は』
「不可能です。我々は王に繋がる証拠を決して持ちません。ですが、後輩さんの言う違反の最小化が審査部の新米に可能な権限を超えていたらどうでしょうか。職業生命も生物学的生命も賭けて上司に掛け合います。王の耳の上司に」
『事後証明が通るとでも?』
「懸念は承知です。どうか信用を試してもらえませんか」
『僕のバングルに記録機能がないと思いましたか』
ああ、やられたと清々しいほどだった。今の会話記録を審査部や魔闘士隊や王室近衛隊、どこに出されても自分は終わる。
魔法虫の技術を持って隣国から逃亡してきたなど、事実ではあるけれど、誰だって隣国のスパイか工作員としか思わない。投獄され尋問される。あの騒がしい仮面で自白に追い込まれる前に、王の耳の戦闘要員に消されるだろう。
拷問も投獄もしないどころか『潔白を証明したいだろ?』と言って雇うなんて、あの変わり者の王の耳の上司くらいだ。その上司だって、一魔闘士に正体を明かしたと知ったら自分をどう処理するつもりなのか。
「後輩さんの個室に付けるドアを防音にしましょうか? 破壊強度は下げさせてもらいますが」
『魅力的な提案です。夜中に研究する時、音や光が廊下に漏れて同僚の睡眠を妨げないか心配しているんです』
「えっ、そんな無粋な理由で防音を」
思わず本音が漏れてしまった。
「ひとまず暫定的な合意に達したと解釈しても?」
『所有者に許可を願い出ます。ローブの中の物には干渉しないと約束したばかりなのに、呆れられそうですが』




