60. 紋を蘇らせる
中堅さんを助ける気が失せてきたという後輩魔闘士の言葉で、中堅審査官を助けなければいけないことを思い出した。
一気に色々なことが起こりすぎて優先順位も整理もつかない。頬の腫れなんて本当は一番後で良かったはずなのに、うっかりやってもらってしまった。次に怪我する場所を選べるなら唇にしよう、と密かに思った。
そんな新人魔導士のよこしまな野望をよそに、後輩は除染室に散乱する精霊鑑別士の所持品をあらためている。
「精霊鑑別士が中堅さんに用いた同化潜行紋が見当たりません」
同化潜行紋というのは精霊紋を同じ色の消化液で溶ける塗料で塗り潰しておいて、ローブの防御術に何もないようにごまかして通過させ、防御術の及ばない体内で紋を出現、発動させるものだという。
「吐き出せなかったというなら、唾液ですぐ溶けるシート状かな…転写式で水分によって剥離という手も…いずれにしろ、旧式の紋ならある程度の大きさがあるはずですが」
「一瞬だけ舌とかに光で紋を描くというのは?」
「光は口内の形状の影響を受けやすく、歪みや欠けが出て失敗率が高いんです」
「熱で焼き付ける」
「怖いことをすぐ思いつくのが怖いです。同様に組織の熱傷に程度差が出ると失敗の原因になります。塗料で舌に紋を貼り付けるのが定石です。それが定石だったんです」
焼印が失敗しやすいと知っているのも怖いと思う。
「さっき後輩さんがやってた強制終了は、精神操作術でも使えるんですか」
「ローブがなければ可能です。発動されている術の紋を用意する必要があるので、精神操作術をかけるのと同じことになり、ローブの防御術に弾かれてしまいます」
闇性魔力が立ちこめる北嶺探査基地職員には闇性魔力反射機能を持つローブの終日着用が義務付けられている。中堅も同様だ。着た状態で狂乱の術をかけられ自我を失ったため、脱がせる同意を得られる状態ではないという。
精霊鑑別士が中堅に使用した同化潜行紋がもう一つでもあれば、口内に紋を出現させて強制終了をかけられる。けれど所持品には見当たらず、中堅にかけられた術を解呪する手段がないということらしい。
「精霊鑑別士を叩き起こして聞くしかない?」
確認します、と後輩が魔闘士隊用の遠隔会話ピンで副隊長に連絡を取った。
『尋問を始めたところだが話しそうにない。恐らく隷属術の支配下にある。そうなると主の命令にしか答えない。よく思い返せ、こいつは基地に来てから誰の命令も受け入れていない』
「…朝礼の時、接近されて制止したのに、さらに近付かれました。イラッとしたので覚えています。個人的な話をやめろと言っても話し続け、指輪を返せと言っても返さなかった」
『ヒールをやめて裸足で歩けと言ったらブーツに履き替えた』
「脚に治癒促進術をかけてとお願いしたけど、かけてくれてなかったみたいです」
『気付いていた。魔闘士にも魔導士にもバレるのに馬鹿だと思っていたが、バレるとしても従えなかったんだろうな。自分の意思で治癒促進をすればごまかせるが、嫌だったんだろう。やはり馬鹿だ』
「隷属する相手は」
『不明。答えられないようになっているだろう』
「精霊鑑別士のローブの中に、妹さんにかけようとした隷属紋があります。属させる主人の名が描き込まれているはずです」
待て、の後にしばらく間があった。ローブの中に手を入れると防御術で砂にされるが、外側の生地をつかんで持つくらいは出来る。
『おかしい。主人の名に相当する空間は空だ。描かないわけがない、これでは隷属紋を発動しても無意味だ』
「時間経過で消えるインクで描いておいたのかもしれません。見られるのを防ぐために」
そこで後輩は会話先を眼鏡越しの新米審査官に変える。
「聞こえていましたか。あの時、僕は隷属紋を映したはずです。拡大は…そうですか」
悔しそうな声で、結果が分かってしまった。
その間に副隊長は除染室に戻って来た。魔闘士隊共用の遠隔会話ピンで話す内容ではなくなってきたらしい。
「副隊長、距離があったせいで映像は不鮮明だそうです。画像解析にかけるそうですが難しそうです」
くそ、と珍しく副隊長は苦々しさを表に出した。
「惜しいな。その主人というのが恐らく定性調整を知っている」
いきなり定性調整の話になって驚くが、後輩魔闘士は予想していたようで冷静にうなずいている。
「はい。精霊鑑別士は妹さんと二人きりになった時、『ローブを脱がすのに手間取った』と言って隷属紋を出しました。主目的は妹さんの殺害ではありません。医療手当のためローブを脱ぐ必要が生じる程度に怪我を負わせ、防御のない状態にして隷属術をかけることでしょう」
「妹を隷属させることで間接的に定性調整の精霊を使おうと企んだ者がいる。精霊鑑別士か、精霊鑑別士が隷属する主人が有力な線だな」
婚約者に近付く者への制裁なんかじゃない。自分が思っていたより事態ははるかに深刻だった。
もし定性調整を悪用されたら。自らの魔力の有害性に苦しむ闇堕ち魔闘士を放置されたら。魔闘士隊の闇性魔力耐性を下げられたら。王の、闇性魔力や王国民の安全への関心を下げられてしまったら。
「後輩さん。なにか…書くもの」
目を閉じる。精霊鑑別士が精神操作をかけて来ようとした情景を想起する。会話をして時間を稼ぎながら観察した精霊紋を。
「どうぞ」
後輩らしき手が何も聞かずにチョークのようなザラッとした棒を握らせてくれた。
「あなたのすぐ横に。デッキチェアのシーツに。大きく描いて大丈夫」
見えているものを、見えているように。
兄の魔術具作りを手伝って、紋の意味も知らないまま写した日々のように。一つ一つ違う魔術師の識別紋章を見分けるコツを教わって、意匠の豊かさに感心して覚えた日々のように。
兄のローブを修繕するとき、魔能が低い妹に教えてもしょうがないのに、兄は針仕事を見守りながら紋について語ってくれた。紋はいつでも心躍る魔術の世界の象徴だった。
だから転移紋だって模写できた。
きっと今回も。まぶたの手前に見えているものを、見えているように。あの情景から精霊紋を切り取って拡大して、そのままシーツに落とし込む。
写し終えて目を開くと、後輩の誇らしげな笑みに出迎えられた。
「妹さん、あなたも救国の英雄に列せられるべきです」
シーツには少し歪んだ精霊紋が出来上がっていた。修正を加えて完成させる。
「隷従紋。隷属より強力です」
「これは名前じゃないな。魔術師の識別紋章だ。風変わりな形だ」
はあ、と後輩がため息をついてから声を潜めた。
「見覚えがあります。やはり一族の本家の者です。ただ意外で…魔能は高いけれど母親が隣国出身で、本家では部外者扱いを受けている人です」
「意外ではない。魔法虫は隣国で発達した技術だぞ。さっき見つけた魔法虫と無関係ではないだろう」
はっ、と後輩が今度は息を飲む。
「隷従で一族や東塔派を密かに操り…王への情報を遮断して王国を危険にさらせば、それに乗じて国土や資産を略奪できるのは」
「そうだな。隣国のやつらだよ」




