59. 後で話したい、を話す
「いたたー動いたから傷が痛いなー…」
「あれだけ暴れれば開きます」
魔法虫に見覚えがある、とバレたのをごまかすためにわざとらしく痛がってみせたが、実は実際に痛かった。脚に巻かれた布に血が染み出している。
精霊鑑別士はお手伝いするわとか言いながら、真面目に治癒促進をかけてはいなかったと思う。平手打ちする腕を治してくれたのが副隊長で良かった。
デッキチェアの足元にしゃがみ込んだ後輩が蓄魔晶石を出し、真剣な表情で治癒促進術をかけ始める。
「死角から高速で振り抜く平手、あれは避けられない…先輩はすごい凶器を食らっていたんですね。追い打ちまでして。あんなに血まみれで倒れていたのに。あんな…傷だらけで」
後輩の声が震えた気がした。彼は沈痛な面持ちで唇をぎゅっと一度引き結ぶ。意を決して視線を合わせてきたように感じた。
「怖い、そして痛い思いをさせました。謝罪します。僕の身内の事情に巻き込んでしまいました」
心臓が不安にどきどきと脈を主張し始める。
「後輩さん、わたし…名門一族の結婚事情を知らなくて。婚約者のいる人に近付きすぎたみたいれふ。ごめんなさ…」
「一度も。僕は一度も承諾したことはありません。確かに幼少期からそういうものだと教えられてきたし、数年前には相手も決められました。だけど本家が一方的に決めただけで、僕は一度だって」
珍しく強い勢いで言いつのってから、後輩はそれに気付いて言葉を飲んだ。
「一族の慣例に従う気はないんです。闇堕ち直後に破談を通達されて、逃れられたと思っていました。なのに先輩の精霊が発見されて世間体がいいと分かったらすぐ、今度は別の人との婚約を勝手に通知してきて」
「それが精霊鑑別士?」
「はい。すぐに断ったら何度も連絡が来て、その度に拒否したんですが…まさか本人が押しかけてくるとは思いませんでした」
「断って大丈夫なんれふか。一族の中で後輩さんの立場が悪くなりまふよね」
「王都に帰る気はありません」
やや憮然と言い捨てるようにしてから、はっと目元を和らげる。
「先輩の家には。あなたがた兄妹の家なら行きます」
「鐘でチン! でフィッシュパイ」
後輩は何度もうなずいた。
「はい。だけど、僕はその…不誠実なことをしたつもりはないんですが、僕の対応の悪さであなたを巻き込んで怪我させてしまい、申し訳ありませんでした。どう償えばいいのか…、業務以外で二度と近寄るなと言うなら従います」
彼は心細そうに眉尻を下げ、肩を落として断罪を待ち受けている。
この人は、人生を重ねたいと告げた覚悟をどの程度の重さだと感じたんだろうなと思う。彼の責任ではなく彼が償う必要のないことで、撤回したりしないのに。
「近寄らないでって言ったら近寄らないの? フィッシュパイ食べに来る気でいるのに?」
「希望としては。いえ希望とか言える立場ではないんですが」
「形見分けしちゃったのに?」
「返品したくはないんですが、代わりに魔闘士隊史の本であっても謹んで受け取ります」
「ハグ以上のずらし方を教えてくれるって言ったのに?」
「…からかってるよね?」
彼は頬を赤くして軽くにらんできている。
「頬に治癒促進かけてもらっていいれふか? 残しておいたんれふ」
彼はきょとんとしてから、はいと答えて頬にそっと指を伸ばしてきた。
「指じゃなくて。唇で」
えっ、と間抜けな声を出して固まっている。
「唇でお願いしまふ」
動揺に瞳を惑わせながら瞬きを繰り返す彼をずっと見ていたい、と思った。
「有害性の…飛沫汚染は、測る手段がなくて…ごめん。こんなことを言いたいんじゃなくて。断ってるんじゃなくて」
「後輩さんらしくていいと思いまふ」
承諾してもらえるとは最初から思っていなかったから、にっこりしておく余裕があった。むしろ承諾されたら心臓出る。
「頬と頬なら?」
「妹さんは今ローブを着ていないから分からないと思うけど、今の僕は割と闇性度の高い状態なんです」
「だから?」
「…だから、あとで除染させてください」
どんな表情でそう言ったのか、確かめる前に頬を寄せられる。彼の片腕が肩に回される。肌が触れ合うと腫れの痛みより温かさが広がった。胸がいっぱいで息が吸えてる気がしない。
ぶわり、と蓄魔晶石から魔力が魔導されているのが分かる。さすが王国魔闘士、術者を選ぶ治癒促進の精霊が働きまくっている。すぐに頬や唇の腫れぼったさが引き、感覚が戻ってくるのが分かる。
「なるべく時間かけて欲しいんですけど」
すでにしゃべりやすくなってしまっている。
「だめです。除染液も除染クリームも、傷にしみるから覚悟して」
「けち」
「あなたは寛大だけどね。僕は安全にうるさいんです。他に痛い所は?」
「じっくり時間かけて考えてます」
「…しみる場所が少ないように、切創に施術しておきます」
そう言ったけれど、彼は頬と頬を付けたまま動かない。何度か、潜めた呼吸に上下する彼の肩を眺めていることが出来た。
「あったかいですね」
優しく落ち着いた声が耳元でして、そっと頬ずりされて、気が遠くなりそうになった。
「生きてる」
安堵に満ちたため息混じりの、独り言に近い密やかさだった。
「生きてる。生きてる…」
「うん。後輩さんが指輪をくれたから。すぐ助けに来てくれたからです。守ってくれてありがとう」
「僕を思い出してくれて嬉しかった」
「新米審査官さんがすごくて、的確な指示をくれたんです」
「新米さん…あっ、しまった眼鏡」
後輩はすごい勢いで身を離し、眼鏡ごと頭を抱えている。
「ありがとうございますって何ですかそれ。途中で転送を切る配慮はないんですか。プライバシーとデリカシーは」
眼鏡越しに話をしているようだ。
「ただちに消去してください。今さらですよってどういう意味ですか。訴えますよ。訴えたら透明のドア? へえ…中堅さん助ける気が失せてきましたねえ…」
彼は時々物騒だと思う。




