57. 南部の流儀を知る
北嶺探査基地の除染室は、部屋のような名前だが実際は屋根のない中庭だ。数十本の霊木を植え込んで大きな屋外用暖炉とデッキチェアや椅子を据え、霊木浴することで魔力の回復と闇性魔力の除染ができる施設になっている。
「念のため魔力索敵を発動しておく。野獣が入ろうと思えば入れるからな」
腕に念入りに治癒促進術をかけてくれている副隊長は、精霊二体使いが出来るらしい。魔闘士隊が野獣の探知に使うという魔力の網を張った。
大量の対価魔力を必要とするこの索敵の精霊を使わずに済むように、フクメロと呼んでいる小さな有袋類を利用した生体探知網が配備されたはずだ。それでも副隊長が精霊で探知したいのは敵じゃないだろう、と思う。
口の中の指輪に後輩魔闘士から眼鏡を見つけた合図が来た直後、その副隊長がのんびりと話しだしたことでそれは確信に変わる。
「精霊鑑別士、幸い鼻が悪いようだな。うちの隊長は北嶺はくさくてかなわん、とうるさいんだが」
脚に治癒促進を施していた精霊鑑別士が苦笑とも嘲笑ともつかないものを口角に浮かべた。
「魔力識別嗅覚ですか。わたしは王都で勤める身ですから、不自由に思ったことはありません」
「そうか。闇堕ちと共に暮らすならその鼻は好都合だ」
「ええ、おっしゃる通り。共に暮らすことはないでしょうけれど。わたしは王都が拠点なので」
「その方がいい。半闇性魔力の風が吹き下ろしてくるような場所では、無事では済まないだろうからな。妹、肉スムージーは冷めるとどんどん飲みづらくなるぞ。分離してくる。混ぜろ」
副隊長は肉スムージー入り巨大杯に指を突っ込んできてぐりぐり混ぜ、最後に果実ソースを使ってすっとある方角に線を引いた。
闇堕ち、半闇性魔力、風、吹き下ろす、ある方角。
スムージーを飲むふりで巨大杯を遮蔽にしながら密かにその方角へ視線だけ向ける。除染室を見下ろせる屋上に積もった雪の裏に一瞬、挙げられた腕が見えた。バングルをまとった腕が。
肉スムージーをごっごっと精一杯飲み下して、矢印代わりの果実ソースを消し去る。
「さあ次はどうする、妹? もう片方の腕か? 背中か? 髪は風刃弾にずいぶんやられたな、全体を短くするしかない。いっそ燃やしてやろうか」
氷結が得意だというこの人はどうしてヒゲとか髪を燃やしたがるんだろう、と思う。
「腕、ありがとうございまひた。どうぞお仕事に戻ってくらはい。精霊鑑別士さんにはこのまま足をお願いひまふ」
「そうか。では私と若手魔導士はしばらく中に戻る。魔力索敵は継続しておく、それでいいか」
「はい」
「喜んでお手伝いするわ。喜んで」
除染室に二人きりになった途端、精霊鑑別士の顔から表情が消える。
「はあ。やっと」
忌々しい、と言いたげなため息をつかれた。
「で、どこなの。あの男から盗った指輪はどこ」
体にかけてあった毛布をはねのけられ、乱暴に患者衣をまさぐられる。まだ残っている傷や打撲を容赦なく押されて痛い。思わず重い巨大杯を取り落とし、肉スムージーが辺りに飛び散った。
「やだ汚い! ああもういいわ。新しい指輪はわたしの物だし」
精霊鑑別士は手に飛んだスムージーを払い落とした。
「…あの男も、おまえも、わたしたちの物だし」
底冷えのするような険しい瞳に見下ろされる。精霊鑑別士がローブの前を開くと、内側には大きく複雑な紋が描かれていた。
「きれいでしょ。でも紋が立派なのも考え物ね。潜行させるには大きすぎるわ。ローブを脱がせるのに手間取っちゃったじゃない」
『隷属系の紋だ。精神操作が来る』
口の中の指輪から後輩魔闘士の緊迫した声がした。待って、映してと小さく呟き返す。
「我らの忠実なる隷従の精霊よ来たれ、」
「北嶺れ下手に魔導ふると闇性魔力を吸うけど、いいの?」
精霊鑑別士は一瞬、怯んだ。
もともと精神操作系の精霊は人間の心を歪める必要から対価魔力が多い。ローブの内側片面を埋めるような大きな精霊紋に渡すなら、さらに多いだろう。王都勤めは闇性魔力の中での大量魔導に慣れていないに違いなかった。
気を立て直したようで、精霊鑑別士は嫌悪か恐れかに顔をゆがめながら大きく魔導した。
「…来たれ、この娘を我らの盲目な」
精霊紋の周囲ではまだ魔力が揺れない。必要な対価魔力に達していない。それを横目で見ながら素早く体勢を整えた。
「識別嗅覚もないのに出来るー? 闇堕ちふるよ」
「うるさい! 我らの盲目なしもべとし、」
ばちーん! と、北嶺にもこだましそうな張り手をかましてやった。
「その喧嘩、南部風に買ってあげる!」
精霊鑑別士の集中が切れ、魔導中だった魔力が吹き飛ぶ。魔導士の新人研修で習った魔導を邪魔する超古典技、その名も暴力だ。先生は『非常時にだけ使いましょうネ☆』と言っていた。これは間違いなく非常時だ。
ちなみにこの技は兄妹喧嘩でもよく使われていたので熟練の域に達している。
「なっ…」
驚きに満ちた精霊鑑別士の顔へ憤怒と憎悪が加わる、その瞬間にもう一度張り倒した。
「治癒促進の効果を見せてあげる! あっやっぱ痛い」
「おまえ…許さない!」
髪を乱し頬を赤くした精霊鑑別士が吠えるように叫んだ。
「業火の精霊よ! 来てこいつを焼き尽くせ!」
「あとは僕が」
屋根から後輩魔闘士が飛び下りてきて、精霊鑑別士との間に割って入った。後ろ手に背中に回した掌に超高効率蓄魔晶石を握っているのを見せてくれる。
精霊鑑別士の召喚に応えて、ごう、と頭上に生まれた炎が渦巻いて大きく空気を含もうとした時、後輩が告げる。
「強制終了」
ぱち、と断末魔にしてはあっけない音しかしなかった。除染室の空を覆うほどだった炎が消え去っている。
王国魔闘士様には暴力以外の洗練された発動停止技があるらしい。
精霊鑑別士は愕然とし、急いで魔導し直し始めたが、魔闘士隊の特急魔導に比べたら無様なほど遅い。後輩魔闘士は悠然と待ち受けている。
その間に異変を聞きつけた副隊長たちが駆け込んできた。
「大丈夫です、副隊長。妹さんの保護をお願いします」
「水と酷寒の精霊よ、鋼のごとき氷の槍でこいつらを」
「強制終了」
槍になり損ねた氷の破片がきらきらと舞い落ちる。
「烈風の…精霊…! 風の刃で」
「強制終了。東塔派は防衛術と権益闘争に夢中で攻撃術は忘れましたか。基本的な上級精霊を旧式に詠唱とは。勉強不足です。よりによって僕に攻撃が通ると、これを見てまだ思いますか」
後輩魔闘士がローブを開くと、内側は省略化、最適化された精霊紋でびっしりと埋め尽くされている。あらゆる紋を網羅し、最新の火炎旋風だってあるだろう。
精霊鑑別士はおろおろと視線をさまよわせ始める。
「妹さん、見たがっていたのでいきますよ」
何の予備動作もなかった。遥か頭上から、ひゅおんと聞いたこともない野太い風の音がして、次の瞬間には精霊鑑別士の周囲に爆発のような雪が飛び散る。ずどんと地面が揺れて、精霊鑑別士が叫びながら倒れ伏した。
「あっ! 支配的…えっと」
「支配的直下降気流です。副隊長はこのために空に開けた除染室に移動してくれたのかと思いまして」
「いい所を見せたかっただろ? 私の配慮に感謝しろ」
「ありがとうございます。所持品を出せるだけ出しておきます」
下降気流の風向きが変わって、つむじ風になる。ごく狭い範囲の速く激しい旋風に巻かれて、精霊鑑別士の身体が一点でぐるぐると木の葉のように回され、ローブからぼろぼろと魔術具や杖が転がり出てくる。精霊鑑別士の悲鳴がこだます。
「すごい! 後輩さんが攻撃術を使っへるのを目の前で見るの、初めへれふ! 後輩さんって魔闘士だったんれふねえ…」
「僕を何だと思っていたんですか」
「何と言うか…後輩さんは後輩さんなんれふ」
「それは…最上の答です」
「おまえたち、いい雰囲気なのはいいが人を回してるのを忘れたか。あいつもう落ちてるぞ、止めろ。魔術拘束する」




